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白洲次郎・白洲正子 武相荘折々のくらし 

神戸ゆかりの美術館で開催中の白洲次郎生誕120周年記念特別展「白洲次郎・白洲正子―武相荘折々のくらし」に行ってきました。


英国流のマナーと教養を身につけ、プリンシプルを生涯の信条として第2次世界大戦後、日本の復興に尽力した白洲次郎と幼少期から能を通して古典芸能に親しみ、きものや骨董を愛し、随筆家として多彩な活躍をした白洲正子

白洲次郎・正子夫妻のライフスタイルは、なかなか真似できるものではありませんが、二人の考え方や価値観にはとても共感します。

展示物の中では青山二郎から正子宛の書簡が特に印象に残りました。

「お能で力むところに肉体的な力を加へるのは乱棒(ママ)といふものです。手頸(ママ)が柔軟だから釘が打てるのです。ものを見る眼、日常の生活大方此の如し。自然に手紙一本書いても上手にならねば文章の士と言ひ難し」

いまなぜ青山二郎なのか

わたしも物書きの仕事をしています。「普段の生活の中でも柔軟な心の眼をもって、力まずに書きなさい」という二郎の教え、心に刻みました。


”すみません”は駄目だ ”SAY THANK YOU”だ

牧山桂子「たしなみ」ということ

親切にされたり、何かをいただいた時、日本人はつい「すみません」と言いがちです。次郎はそうではなく「ありがとう」といいます。

わたしも「ありがたいな」と思った時は、次郎と同じ「ありがとう」派です。
逆に相手に「すみません」と言われると「こちらの好意でしていることなのに、そんなに恐縮しなくても……」と思ってしまいます。

うれしいときは素直に「ありがとう」と言ったほうが、自分も相手も気持ちが前向きになれるのではないでしょうか。

お能は「大人の芸術」であります

能は衣装と所作の美しさなど表面的なことだけでなく、世阿弥の残した世界の神髄に触れるには、精神的な「大人」へと成熟する必要がありそうです。

私がそうありたいと望むものは、単純と平凡の2つにつきます。兼好法師は「よきものは、少しにぶき刃をつかふ」という言葉を残しましたが、それが私の御手本です。

人間も繊細で敏感過ぎるよりも、少し鈍いくらいのほうが肩の力を抜いて楽に生きられそうです。切れ味鋭く抜け目のない完璧さよりも「適度にゆるく」「シンプルイズベスト」ということでしょうか。

よい趣味というものは、世界中共通している。和服とか洋服とか、わけて考えるのが、そもそも観念的なことで、粋とシックに区別はない。

白洲正子「日本のきれ」「白洲正子全集 第二巻」

人に見せるのではなく、自分がたのしめばよい。きものはそのためにあるのです。

白洲正子「きものが好きになるまで」「きもの美 選ぶ眼・着る心」

もし、いま白洲正子がSNSをやっていたら……「映え」が最優先の現代人に正子はどんな言葉を掛けるでしょうか。SNSなどは一切しないかもしれませんが、案外、その審美眼からインフルエンサーになっていたかもしれません。

SNSで人に見られるのを前提とするせいで、自分が楽しむことは二の次になってしまう人もいるといいます。彼らには正子の言葉はどう映るでしょうか。

清少納言を親友にすることにきめた

白洲正子「清少納言論」

正子は清少納言と紫式部について書いています。わたしもこの二人が大好きです。どちらも知的な女性だと思いますが、紫式部は落ち着いて上品な「師匠」で、清少納言は冗談も通じる楽しい「先輩」といった感じです。
親友になれるかどうかはわかりませんが、カフェでたわいもない話で盛り上がりそうなのは、ちょっとシニカルでユーモアのある清少納言かも……と思っています。

Hope SHE will be MORE TIDY!1979 (ママ)

「もっと片づけをしてほしい!」次郎が正子のために作ったブラシ入れに書かれていた言葉です。これに関して正子は知らんぷりで気にもしていなかったそうです。「片付けろよ!」というのではなく、面白おかしく伝える次郎の茶目っ気と、スルーしている正子。二人の顔を想像すると、何だか頬がゆるみます。

この戦争のお陰で肉親を失った人は全国で数え切れない程いる。私もその一人である。この悲惨なことは絶対に繰り返してはならない。

「白洲次郎 雑感」『新潮』1952年9月号

美術館へ行ったのは8月6日、広島に原爆が投下された日です。吉田茂首相らと渡米し、サンフランシスコ講和条約調印に立ち会った白洲次郎。欧米の生活を知り尽くした彼は、この戦争をどのように俯瞰していたのか。想像すると胸が痛みます。
「この悲惨なことは絶対に繰り返してはならない」
この一言に彼の思いが凝縮されているような気がします。

「葬式無用 戒名不要」

次郎の遺言書に記された言葉です。
彼の飾らない人柄と、まっすぐな生き方が凝縮されています。思い残すこともなくすべての執着から解き放たれるとは、こういうことかと感じました。

白洲次郎と白洲正子は互いを尊重し、別行動も多く夫婦で一緒に旅行することは稀だったそうです。次郎は晩年になって「夫婦円満の秘訣は?」と問われ「一緒にいないことだよ」と答えたといいます。子や孫ともほど良い距離感を大切にしながら、互いを尊重して暮らしていたそうです。

それぞれのフィールドで自分のスタイルを追求し、精神的にも自立した二人。知れば知るほど夫妻の粋なライフスタイルに惹かれます。またいつか武相荘も訪れたいです。



参考・引用文献:白洲次郎生誕120周年記念特別展「白洲次郎・白洲正子―武相荘折々のくらし」公式サイト


音楽・美術・読書を中心に書いています。いちばん好きで落ち着くのはクラシック音楽とピアノの音です。




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