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『水辺のビッカと月の庭』 第6話(終)
背中合わせのトッシュ
キルカはここが出口だと言いいました。キルカの園からは出られましたが、どこへいく出口とは分かりません。一人残されたヒロムはただ待っていることだけができることです。待つこと、それも多田ひたすら待つことには慣れていません。耐えられない思いに押しつぶされそうです。
そこはキルカの園の光が途絶えた所でした。ヒロムは押しやられて、からだは暗闇の壁の中に塗り込められたようです。暗くて
『水辺のビッカと月の庭』 第5話
ここにいないヒロム
「ムンカ、もう止そう。指が傷だらけになってしまうぞ」
ムンカは必死になって黒い地面を掘っています。見かねたビッカが止めました。土で汚れた指に血が滲んでいます。
「ヒロムが地に飲まれてしまったんだよ、ビッカ」
手を止めたムンカは薄情者とでも言いたげな表情でビッカを見ました。
「もちろん心配だよ。でも地面を掘ったところで見つかりはしないよ」
ムンカは自分が掘ったあとを見る。非
『水辺のビッカと月の庭』 第4話
キルカの眠り
ヒロムは急いでドームに駆けよりました。気になると後先を考えないですぐ行動にうつしてしまうことがあります。背伸びして円形の窓から中をそっと覗きこみました。土のベッドの上には黄緑色したパジャマがきれいにたたまれています。背もたれの大きな椅子は向こう側を向いていて見えません。にぶい金色の光はそこから発していました。椅子は小刻みに揺れています。座っているものがいることがわかります。そのう
『水辺のビッカと月の庭』 第3話
月夜に帰る
「あいつ影も形もなくなっちゃたね」
びっくりした様子でムンカが言います。
「本当に居たのかな」
ビッカは不思議そうな面持ちで言います。
「あの整備員、いつもあんな調子なの?」
ムンカはつまらなさそうに歩きはじめたヒロムに尋ねます。
「ブランコを揺らしていると、あの男が姿を現すんだ」
ビッカとムンカはなるほどとうなずきます。
「いつの間にか、後ろとか前とかに姿を見せるんだ」
「それって
『水辺のビッカと月の庭』 第2話
帰ってきたヒロム
「ねえビッカ、起きてよ、着いたよ」
ムンカにからだを揺すられてビッカは目を覚ました。
ムンカの声がはしゃいでいます。ビッカはおかしなもの言いが気になります。だれもどこかに向かっていたわけではありません。屋根の上でお月様をみて眠っていただけです。それなのに「着いたよ」とは、納得がいきません。ビッカは頭をゆっくり回して落ち着こうとします。ムンカはもどかしくてせき立てるように言い
『水辺のビッカと月の庭』 第1話
〔あらすじ〕
洪水後の親水公園に生き残ったカエルのビッカと流されてきたイモリのムンカはヒロムという少年を助けて送り返そうとします。ヒロムは揺らすことができればどこへでも行けるというブランコに挑んで失敗し落とされたというのです。親水公園にのぼる青白い月の明かりに照らされた三人は、命の不十分な幽けき世界にまぎれこみます。自分の世界に戻ったとおもったヒロムは、公園のブランコの管理者であるキルカに攫われ
写真と散文 「豊洲奇譚」 1回
「何を撮っていますか」
若い男の声だった。背後からかけられた。
ふりむくといぶかしそうな表情で私を見ている。
青年の表情にはまだあどけなさが残っている。
豊洲のとあるオフィスビルの前のことだ。
私は少し返答に困ってしまう。
カメラのレンズはオフィスビルの壁にむけていた。
口で説明するよりは見てもらった方がと思い、私は指をさす。
豊洲のオフィスビルは、どのビルもガラスの壁面だ。
その壁面に、空があり
読書日記 キプリング
「ミセス・バサースト」 岩波文庫 橋本槇矩訳
キプリングは言わずと知れた「ジャングルブック」の作者だ。改めて読んだときには文体に驚いた覚えがある。暗譜している楽曲を演奏しているような文章だった。
彼はインドのボンベイで生まれ、イギリス本国の寄宿舎学校で教育を受けている。当時はスエズ運河はなかったので、インドとイギリスの行き来にはアフリカ大陸南端の希望峰を回る航路をとる。ケープタウンには彼の家が