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『水辺のビッカと月の庭』  第3話

月夜に帰る

「あいつ影も形もなくなっちゃたね」
びっくりした様子でムンカが言います。
「本当に居たのかな」
ビッカは不思議そうな面持ちで言います。
「あの整備員、いつもあんな調子なの?」
ムンカはつまらなさそうに歩きはじめたヒロムに尋ねます。
「ブランコを揺らしていると、あの男が姿を現すんだ」
ビッカとムンカはなるほどとうなずきます。
「いつの間にか、後ろとか前とかに姿を見せるんだ」
「それってなんか気味悪い」
ムンカは尾を震わせながら言います。
「初めは一言もしゃべらなかった。ただじっと見てるだけだった」
「余計に気味悪いな」
ビッカも左右の目玉を動かしながら言います。
「最初の言葉はどう? 耳に残っている言葉は? 覚えてない?」
「確か『上手だね』とか言ったと思う」
「なるほど。褒めたんだな」
「知らない人とは話してはいけません」
ムンカの茶化した口調にヒロムは笑みを浮かべました。
「本当にそうだよ。気を許したから怪しげな誘いかけをされてしまったんだ」
 ムンカがすぐさま話題を変えます。
「ヒロム、家はどっち? 帰らなきゃ」
ビッカはもの思いに沈みそうだったヒロムをゆすります。
「さあ家まで一緒に行くよ」
ふらふらと歩きだすヒロムの前をビッカとムンカ足取りたしかに進みます。
「陰なんか踏んじゃえ」
ムンカが声を上げてビッカの陰を踏みます。
「ほら踏んだ」
「ぎゃ痛い」
ビッカは大袈裟に声を上げます。
「陰なんかできてないじゃない」
そう言いながらヒロムもうっすらとしたビッカの影を踏みます。
陰踏みしながら帰っていきました。
 「こっちの方角でいいんだよね」
ムンカが尋ねます。
「あの橋を渡ればもうすぐだよ」
ヒロムは答えます。
「ヒロムの町って人が少ないね」
そう言われてヒロムも首をかしげます。
帰宅を急ぐ人の姿が見えません。行き交う車にも出会わないのです。
「そういう時間帯なのかな」
ビッカも首をひねります。
キョロキョロ見回しながら歩いているムンカが言います。
「ヒロムの町って変わってるね。これが普通なの?」
「なんのこと」
「だってあの家の屋根」
ヒロムとビッカはムンカの指差した方を見上げます。
屋根がそっくりかえっているのです。
「あれだと水を貯めてしまうぞ」
ビッカが言うと、ムンカが答えます。
「まるでカッパのお皿だね」
ヒロムは吹き出してしまいます。
「何がおかしいの?」
「だってさ、カッパの住む街みたいに聞こえるもの」
「カッパが住んでいるの?」
「まさか。この家知ってる。同級生の家だよ」
「教えてあげたほうがいいんじゃない」
ムンカが言い、ビッカは声をあげます。
「おまけに二階の窓枠がひしゃげてるぞ。大変だぞあれ」
ヒロムは手で目を擦ってもう一度見ます。明かりのついた部屋には人のシルエットが浮かんでいました。
「ねえ、こっちの家も面白いよ」
ムンカはその横の家を指さします。
二階建ての家がふっくら膨らんでいます。
「ここは食べ過ぎの家だね、、きっと」
「これはちょっと違うと思うぞ」
目玉の動きが止まったビッカは別意見です。
「家全体が膨らんで今にも破裂しそうだ」
「こっちの家はどう」
先をいくムンカは次々と指を差します。
今度の家はヘリウムガスの抜けた風船のようにしぼんでいます。
「これは貧相で住みにくそうだね」
面白がるムンカにビッカが言いました。
「ムンカ、なんだか危ない気がするぞ」
ビッカは目玉をとめたままムンカを見ます。
「天敵でもやってきたの?」
ムンカも緊張して身を固くします。
ヒロムはさっきから下を向いて歩いています。帰って来たよと嬉しそうに話していたヒロムはどこかに行ってしまったようでした。
遅れ気味になったビッカとムンカは足早になってヒロムに追いつきます。
「ごめんヒロム。はしゃぎ過ぎちゃったよ」
ヒロムは何も言いません。歩くことに集中しています。
 波のうねりのように上がったり下がったりしている道が現れました。こんな道はビッカもムンカも初めてです。橋を渡ってから街の様子がすっかり変わっています。家々のブロック塀は歪んだままで建ち、電信柱は根本から右や左に曲がっていて薙ぎ倒されそうです。
ムンカの表情も厳しくなってきます。ムンカはビッカにささやきました。
「なにか悪いことが起きてる? ビッカ」
ビッカは左右の目玉を同時に上下に動かして答えます。
「大洪水が押し寄せてきた後の瓦礫の町みたいだよ」
ヒロムは傷んだ家を見ないように足元を見て歩いています。
心配そうにムンカはつぶやきます。
「前を見ないで自分に家がわかるのかな」
「なんか聞こえないか? 変わった音だけど」
「空耳だよ。気のせいじゃない」
ムンカはビッカに答えます。
その音はヒロムが足を止めた家の中から聞こえています。
「ここがヒロムの家なの。良かったね。屋根も窓枠も普通だね」
ムンカの言葉に、ヒロムはにこりとします。顔を上げて確かめるように自分の家を見ます。歪んだりのけ反ったり膨らんだりしている部分は無いようです。車庫には父の車が置いてありました。ヒロムは玄関への階段を登りました。玄関のドアのノブに手をかけたとたん驚きの表情に変わります。
「どうしたの」
いちはやく気がついたムンカが尋ねます。ヒロムは首を横にふりながらドアノブから手を離しました。一旦玄関を離れて脇にあるガレージに駐めている車を見ます。ナンバーは父親が乗っている車にまちがありません。
「どうしよう、ここぼくの家だよ」
ヒロムはビッカとムンカに向かって言いました。
「よかったじゃない」
「なにか不都合でも?」
ムンカとビッカは口々に言います。ヒロムは再び黙ってドアのノブを握ります。じっと見ていたムンカが声をあげました。
「ぐにゃりとひしゃげてるよ!」
「柔らかくて熱いんだ」
「火傷するくらい?」
ヒロムは頭を横に振りながらドアを押す。そして不安げな面持ちで「ただいま」と声をかけます。家の中から発していた物音が止んでしまいました。
「入っていい?」
と言いヒロムに言いながら、ムンカとビッカも後に続きます。
ガレージに車はあるし、玄関に母親の靴もあります。父親も母親も家にいるはずです。
「ヒロム、静かだね。妹とかいないの?」
ムンカが尋ねます。
「どうして?」
「弟妹がいれば迎えに出てくるかなって思った」
「いないよ。一人っ子さ。でも『おかえり』って言ってくれないのは変だよ」
「この廊下ふわふわして歩き心地がいいね」
ムンカが床の異変に気がついて言います。ビッカは顔をしかめて後からついて行きます。ヒロムは上がり框に足をかけたときには廊下の異変にすでに気がついていました。でも口にはだしません。足の裏から伝わってくるおかしな感覚。絨毯でもないのにやわらかい。
ヒロムは居間へと一歩一歩ゆっくり歩を進めます。いつものように勢いよくは歩けません。床の底が抜けそうなくらいたよりない。居間に入って中を見まわしました。ソファもテーブルも他の調度品も見慣れたものです。しかしヒロムの表情は曇ります。
「ヒロム、あのソファに座っていい?」
ヒロムの返事も待たずムンカは座りこみました。ムンカの体全体がソファに沈み込んで包まれました。びっくりしたムンカの表情がおかしくてビッカは笑いだします。笑わなかったのはヒロムです。ムンカとビッカはヒロムの視線をたどりました。床に散らばっている紙切れをじっと見ています。
「こんなゴミをほったらかしにするなんて母さんらしくない」
ヒロムは呟きながら何枚かを拾いあげ手にとりました。ビッカとムンカも覗きこみます。
「これゴミなの?」
「紙切れにしては模様が変わってるな」
ムンカとビッカがあれこれ考えます。
「これパジャマの模様だ」ヒロムが気がつきます。
「色からすると男ものだね」
ヒロムはうなずいて言います。
「父さんのだ」
「細切れだよ」
そう言うとムンカはキョロキョロと部屋を見回します。探したのはリュックでした。ムンカはそれを手に取りました。
「それ塾用のだよ。何するの」
ムンカは床一面に散らばっている紙片を黙々と入れ始めました。
「中身を出したからこれに入れよう」
ヒロムは黙って見ています。ビッカは目を上下させています。
「大事だよね、これ」
ムンカはそう判断してリュックに紙切れをカサコソと拾い集めだしました。
「ちょっと、ムンカ手を止めて」
ビッカが突然言いました。何事かとムンカは拾う手を休めます。
「またあっちで変わった音がしてないか?」
ヒロムも耳を澄まします。
 音はキッチンの方から聞こえています。獣のうなり声とも鳴き声とも決められない音です。時おり金属の擦れる音らしきものも耳に入ってます。ヒロムはおし黙ったままキッチンに向かいます。普段はほとんどキッチンカウンター側には入りません。大型の冷蔵庫、用途別の包丁やフライパンや鍋がきちんと整理されています。耳障りな音はカウンターの向こうから聞こえています。それはそこに居ました。金属のにぶい光沢を放つ身体に大きなハサミがヒロムの目に飛び込んできました。
「いったい何なんだ」
「見たことないよ。こんなの」
それは左の小さなハサミで紙を持ち上げ、右の大きなハサミをリズミカルに動かしています。紙にハサミが入るたびに奇妙な音が発せられています。
「犬かな」
「ハサミがついてんだからカニだよ」
「ウサギかな」
「だからハサミがついてんだから、カニだよ」
ムンカは尾っぽを巻いて言います。
「カニは嫌いだよ。あいつら尾っぽをはさもうとするんだ」
ムンカとビッカが言い合いをしている間もそいつは一心不乱にハサミを動かしています。床にはあっという間に紙片が溜まりました。うめくような音とハサミの音が部屋に満ちて息苦しくなります。
ヒロムは切り刻まれた紙をじっと見つめています。
「どうしたのヒロム」
「顔色が悪いぞ」
「あれは母さんのエプロンだ」
カニがハサミを止めてヒロムを見ました。そいつはハサミを高く振りかざすとするすると近づいてきます。
ビッカが叫びました。
「危ない!」
すくんで動けないヒロムをビッカは突き飛ばします。そいつはシンクの中に飛び込むとみるみる小さくなって水のように排水溝に流れてしまいました。
「ここには長くいられないぞ」
目玉が赤く明滅しているビッカはヒロムに向かって言いました。
「そうだね。嫌な感じしかしないもの」
ムンカも口を揃えて言いました。
それを聞いたヒロムは発作のように「ワッー」と声を上げて走り出しましまた。突然の行動にいち早く反応したのはムンカです。
「ビッカ、後を追って」
 玄関から家を飛び出したヒロムは通りでうずくまっていました。追いかけて来たビッカはかける言葉もなく傍に立っています。
街灯がすっかり消えて月あかりだけが頼りの夜になっています。
「これからどうするの」
リュックを背負って後から来たムンカがビッカに尋ねます。
「ここはヒロムの町だ。ヒロムに任せる」
ビッカは答えました。ムンカはうずくまったままのヒロムを見ます。
「今のヒロムに何ができるの」
ムンカは不満そうに言います。
「できないかもしれない。でも待つしかないね」
ビッカは言い切りました。
 ムンカは背負ったリュックの位置を直しながらヒロムを見ています。沼の中からなら引き上げられるけど、今は何もできそうにないのです。ヒロムの表情がドールハウスに連れて来たときと同じように見えます。
 ビッカはヒロムの周りをのっそのっそと歩いています。何度も何度も回ります。ヒロムの正面にくると背中を見せてしゃがみました。そして話しかけました。
「ヒロムの町をまだ見てない。月夜の散歩を始めよう」
「それはいい。そうしよう」
ムンカも同意します。
うつろな目をしていたヒロムは怪訝な顔つきでビッカを見ます。すぐ思いなおして立ちあがり、素直にビッカに背負われました。
「町中に戻ろうよ」
ムンカがスタスタと歩いて行こうとします。するとヒロムの指がビッカの肩に食いこみます。
「そっちじゃない」
ビッカはムンカに伝えます。
「来た道は戻りたくないみたいだよ」
「じゃぁいい匂いがする方はどう?」
ムンカが提案します。
「お腹がすいてる?」
「そうじゃなくて、ビッカの親水公園は草いきれで一杯になるよね」
「夏は草いきれを浴びて元気になる」
「ぼくのところは水コケの匂いがしてた。匂いに包まれてうとうとしてたよ」
「言いたいことはわかる。元気の出る場所とまでは言わなくてもね。でもここはちっとも匂いがしないよ」
ムンカは残念そうにうなずきます。
「微かでもいいから水の匂いがする方角を選ぼうよ」
「陸は苦手だよね」
ムンカが言いビッカが答えます。
「町はずれに遊水池があるよ」
 か細い声でヒロムが言いました。顎はビッカの肩にもたれかけさせています。疲れて今にも寝入りそうです。
「眠ってていいぞ」
ビッカはしっかり背負って歩きます。赤くて黒い月は、雲間から顔を出したかと思うとすぐさま隠れてしまいます。
「こんな暗い夜は久しぶりだ」
そう言いながらビッカはヒョイヒョイ歩きます。
「ヒロムはすっかり寝ちゃったね」
「そうか」
「歩くリズムがゆりかごになっちゃたかな」
「そうか。ゆりかごには歌があったな」
「あ、ビッカ、歌わなくていいからね」
ビッカは空を見上げます。
「ビッカ、雲がお月様を持って行っちゃったね」
「そうだね」
ムンカは暗さにとまどい、ビッカの足取りを見ながら不思議そうに尋ねます。
「こんなに暗いのによく歩けるね」
ビッカは首をかしげます。
「なぜだかわからないが、こんなうきうきした気分は初めてだ」
「おかしなビッカ。ちっとも楽しくないのに」
「背中のね、重みがさ、悪くはないんだ」
「暗いのも怖くないんだね」
「それも初めてだ」
「じゃビッカ、重くない?」
「ちっとも重くない」
「軽いの?」
「軽いとも言えない」
「変なビッカ」
「背負っているリュックはどう?」
ムンカが背負っていたリュックです。背負ったときと変わらず膨らんでいます。
言われてハッと気がつきます。
「重くなくなっているよ」
「おかしなムンカ」
ビッカも言い返します。
「おかしいのは他にもあるよ、ビッカ」
そう言うとムンカは急に立ち止まりました。
「待ってビッカ。止まって」
「どうした?」
「ビッカ、足が消えちゃったよ」
耳を疑ったビッカは尋ね返えします。
「何が消えたって」
「足だよ」
ビッカも立ち止まって自分の足元を見ます。言われてみると、確かに足先が見えありません。黒い川に膝までつかって歩いているのとかわらない様子です。
「見えないだけだよ」
ムンカが笑い声を上げ言いました。
「ちょっとびっくりした?」
ムンカの笑い声を聞くとビッカは緊張が緩みました。
「ずいぶん歩いたよね」
「どのあたりだろう。町外れまで来たかな」
「町外れって寂しいんだね。暗さが違って感じられるよ」
 ビッカの背中でヒロムのからだが動きました。
「橋を渡った? 遊水池の近くにあるんだ」
目が覚めたヒロムが言います。
「どうだろう、ムンカ、気がついた?」
「足元暗いし小さくて分かんなかったかな」
「水路でも小川にでもかかった橋じゃないよ」
ヒロムは説明します。
「小さくない。これは橋だって橋だな」
「ビッカおろして。もういいよ。歩けるよ」
ビッカはまだ下ろしません。足元が暗すぎます。
 「あの灯りは何? お月様じゃないよね」
ムンカは目ざとく暗闇にそれを見つけ指さしました。ビッカもヒロムも斜め前方を見ます。
「あの赤いのは交番のあかりじゃないかな。確か交番があったと思う」
ヒロムが言います。
「こんな町のはずれにあるの?」
「それとも消防団の器具を置いてる建物かもしれない」
ムンカの問いかけにヒロムが答えます。
ビッカは首を傾げる。
「ビッカ、行ってみるしかないよね」
ビッカは乗り気ではありません。
「あそこで休めるかな?」
ビッカはヒロムを背負い直して歩きます。
 明かりを発する建物らしき物が次第にはっきりと見えてきました。ビッカは離れた地点で立ち止まります。正体がわからないものです。目にするものは交番でもない消防器具の置き場でもなかったのです。
「風変わりな形だね」
展望台のドームの形をしていました。ムンカもビッカも目にしたことないものでした。ビッカの肩越しに見ていたヒロムが言いました。
「土で作った大きなおできみたいだよ」
大量の粘土が丸く盛られたような造りでした。
「こんな交番はないよね」
ムンカが言います。
「消防団とも関係なさそうだ。人が住んでるとは思えないな」
「ちょっと怪しくない?」
ムンカは窓らしき穴から漏れでている光を見て言いました。遠くから見えていたのはその明かりでした。
「ここで待ってて見てくるから」
ムンカはスルスルと音もたてず近よっていきました。
ドームの壁面に這いつきこっそりと窓からのぞいてみます。
その動きをずっと追っているヒロムが言いました。
「あんなことして危くないのかな」
ヒロムは興味を持ったようです。ビッカは左右の目玉を回しながら首をぶるるっと横にふりました。危険を感じている仕草です。
 ムンカは素早く部屋の中を見まわします。室内は土壁がむきだしで殺風景です。調度品らしいものはほとんどありません。あるのは姿見と背もたれのついた大きな椅子でした。そして部屋の真ん中にあったのが土でできた広いベッドでした。三つとも小さな部屋には大きさが不釣り合いです。ムンカは目をこらして椅子を見つめます。部屋を照らす灯りは椅子の向こうからさしています。背もたれが高いので何がいるのか見えません。ムンカは身じろぎもしないでじっと待ちました。
 ムンカの様子をビッカは離れたところから見ています。ムンカには動きがありません。ビッカの背中で背負われたヒロムがじりじりしている様子が伝わります。
「ムンカって我慢強いね」
「そう大したもんだ。それは間違いない。ヒロムは正しいことを言った」
 ビッカは、ムンカが三日三晩流されたことを思いだしました。怖かっただろうに、それに耐え続けたのでした。できるなら故郷の湧水の地に返してやりたいと思います。
「それにへこたれないし、遠くを見ているよ」
ビッカは話を付け足した。
「目が良いんだ。でもビッカの方が目が大きよね」
ヒロムの返答に、ビッカは目玉を回してしまいます。
「視力の話じゃないよ」
「わかってるよ」
ヒロムはゆっくりにうなずきます。
「寝ても覚めてもブランコだね、ヒロムは」
ビッカは淡々とした口調で言います。背中でヒロムは身を固くした様子が伝わります。
 ドームの壁にはりついたムンカは息をひそめていました。やっと椅子がゆっくりと回転しはじめました。それの姿を目にしたムンカはでかけた声をおしころしました。
 ぴょんと窓をとびのいて急いで駆けもどる。
「ビッカ、ビッカ、ビッカ」
「あわててどうした」
「ビッカ、もしかして兄弟がいる?」
「どういうことだ?」
ビッカは何を言っているのかといぶかしそうにムンカを見ます。
「ビッカにそっくりだよ」
「だれが?」
「あの中にいるんだよ、ビッカより体の大きなビッカが」
ビッカはおどろいて目玉を回転させます。背中から降りていたヒロムはムンカに言います。
「ビッカはずっとここにいたよ」
「ビッカには兄弟はいるよね?」
ムンカはもう一度言います。
「居ない筈がない。でも居ても兄弟だとはわからない」
ビッカは目玉を上下に動かしながら言います。
「あそこにビッカがもう一人いるよ」
「まさかそんなはずはない」
やりとりを聞いていたヒロムは顔を上げて言います。
「ぼくもちょっと行って見てくるよ」
 ヒロムは言い終わらないうちに走っていきました。ムンカの話に気を取られていたビッカは止めようとするが間に合いません。ビッカとムンカは後ろ姿を見送ることになってしまいました。
「どうかしたの? 何かあったの?」
あわててその場から去るように離れたヒロムを見て言いました。
「気に障ることを言ってしまったかも」
ムンカは問いつめるような目でビッカを見ます。
「つい『寝ても覚めてもブランコだね』って」
「言ってしまったの?」
ビッカは申し訳なさそうにうなずきます。
ムンカに呆れられてビッカの目は赤くなりました。その様子をみてムンカが話をもどします。
「ビッカと同じで目が赤いんだ」
「だれの目が?」
「だからあの中にいたんだよ」
「泣きはらしたんじゃないか」
「からだも金色だった」
「そういう種類なんだろ」
見てきたことをうち消されてムンカは不機嫌になっています。
「ほんとうだって、見にいこう」
ムンカはすたすた歩きはじめました。ヒロムが気になるビッカもついて行きます。
「今明かりが消えたぞ」
ビッカが叫びました。
「おかしいね。窓があって中が見えたんだ」
ビッカとムンカは早足に急ぎます。思ったより近くありません。移動しながら沈んでいます。
「近よっているのに小さくなってるぞ」
ドームが頂上の部分だけを残す小高い膨らみになってしまいました。ムンカはその周囲をひと回りしてみます。
「窓どころかドームの屋根さえも地面の中だ」
ビッカはドームの跡形をじっと見ます。
「ヒロムが閉じ込められちゃったよ」
ムンカとビッカは途方に暮れました。

続く


第一話



第四話

第五話

第六話(終)


#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門

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