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読書日記 V. ナボコフ

「フィアルタの春」


帝政ロシアの亡命貴族であったナボコフは蝶の収集家でもあった。言葉、その音感、思い出と彼の収集癖の対象とならないものは無い。「ナボコフの1ダース」「ロリータ」の二作品は手に入りやすいと思われる。

 「フィアルタの春」は、語り手の「ぼく」が1930年代の保養地のフィアルタを訪れ「ニーナ」と最後の邂逅と思い出を語る。

「ぼく」は仕事の合間に息抜きの休暇をとってフィアルタを訪れる。
「フィアルタの春はどんよりと曇っている。」と文章は始まる。光・色彩、香り、音、肌触りなど五感にはたらきかける感覚的な描写で街の様子が記される。耳にはツグミがさえずりの声。海の気配がただよいサーカスのどぎつい色彩のポスターが目を引く。
この街は架空の保養地で古い街と新しい街の二つの顔を持つ街だ。過去と現在が入り混じりせめぎあってもがいている。
この架空の街で、お互いが十七歳のときに知り合ったニーナと最後の出会いをする。
気がつくのはいつも「ぼく」で、その後に「もしや」といった面持ちでニーナが両手をあげて十本の指をおどらせて応える。

「ぼく」とニーナはアーケードのある商店街に入り買い物をする。
この間にニーナとの思い出が次々と回想される。
二人が初めて会ったのは叔母の誕生日のパーティだった。別荘に招かれた客の中に彼女はいた。当時ニーナはフィアンセがいる身だった。夕陽が照らす雪原を招待客と一緒に散歩する。「ぼく」が懐中電灯を雪の中に落とす。笑うニーナと目があい、「ぼく」は発作的に彼女の頸筋にキスをする。彼女はおどろきながら「ぼく」の唇にお返しのキスをする。
ロシアを脱出して二度目に会ったのはベルリンの友人の家だった。ニーナは軍人で実直だったフィアンセと別れていた。「ぼく」は結婚する直前だった。
次に会ったのは弟を見送りに行ったとある駅のプラットホームだ。ニーナはパリ行き急行列車のそばに立っていた。この時のわずかな時間にフェルジナンドと結婚すると聞かされる。「ぼく」は入場券をぐちゃぐちゃになる程握りしめていた。
1、2年後パリで会う。映画俳優をしている友人に会いに行ったホテルの踊り場だった。ニーナは「フェルジナンドはフェンシング行ってるの」と話しかける。この後初めてフェルジナンドにカフェで会う。彼の作品は会う前から読んでいた。処女作は感心させられるところがあったが新作出るたびに文学的興趣は薄れどぎつい表現に溢れ、嫌悪を覚えるようになっている。しかし「踏切」という作品でパリでは人気作家になっていた。ニーナはすっかり彼に傾倒している。しかし、「ぼく」には二人の関係は愛情で結びついているというよりも一蓮托生のような関係に見える。
そのカフェでは女だけのオーケストラが演奏している。小さめのテーブルを連ねて両手を広げフェルジナンドは陣取っている。禿頭の音楽家、詩人とそのパトロンのけちな実業家、ピアニストにモスクワから来たばかりの小説家。オールバックにした髪型で彼は取り巻きの中心にいた。「ぼく」はこれは邪な者たちの饗宴だと断じる。

場所はフィアルタに戻る。
商店街からカフェにいく道すがらニーナの夫のフェルジナンドと合流する。防水コートを着て肩にはカメラを下げ、フィアルタ名物の月長石色のキャンディーを舐めている。
取り巻きのセギュールも来ている。彼は芸術がわかるといってニーナは擁護する。四人揃うが、フェルジナンドとセギュールより一足先にニーナとホテルのレストランに向かう。
ここからも回想の場面が入る。
ニーナは生活の周辺に度々姿を表す。
時と場所もバラバラだがしっかりとニーナの女性像が浮かび上がってくる。
「叙情的な手足をした浅黒い小柄な女」
「旅行会社のクック社の受付カウンターで肘をかけ左のふくらはぎを右の脛に重ねて爪先で床をコツコツと叩いていた」
いつだとは明示されてないがニーナと関係ができ、「ぼく」はニーナの愛人という関係が窺われる。
ニーナに会うたびにそれまでに起きた出来事とは切り離されてリセットされる。そして今の生活のペースが変わり、軽やかな時間の中に生きる。どんな運命かわからないが離れても幾度もニーナと引き合わせてくれる。会うたびに不安になってくる。彼女の浮薄な生活を認めてしまっていることが不安なのだ。それを取り除く論理的帰結は一つしかない。一緒に暮らすことだ。妻帯している身でその関係を解消するまでは踏み切れない。もし暮らしたとしてもニーナの男友達の顔が一瞬たりとも忘れられないに決まっている。「ぼく」は「つもりに積もった悲しみ」に埋もれ、どうする術もないままにいる。

ホテルの裏庭からレストランに入ると、窓越しにフェルジナンドとセギュールが向かってくる姿が見える。裏庭にあった黄色い大きな車はセギュールのものだという。食事中に「ぼく」はフェルジナンドの近作について話をする。「ぼく」は芸術家ぶってる連中、流行りの思想やら耳目を集めそうな文言を散りばめて書かれたこれ見よがしの文は嫌いだが、これは多分にフェルジナンドに対する嫉妬心、対抗心の表れでもある。このとき彼の作品を故意に話題にだす。フェルジナンドは不評だった書評の話をされて語気を荒げて抗議する。彼は席を立って長距離電話をかける。どこからか音楽が流れてくる。サーカスの前触れが来ている。「ぼく」とニーナはぶらりと散歩に出る。古い石造りの階段を登りテラスのような見晴らしの良い高台に出た。かすかに見える聖ゲオルギー山、入り組んだ屋根に糸杉、そして灰色の海。ニーナは笑顔のままでキスをする。出会いからの一切の場面がよみがえってきて「ぼく」は気持ちを抑えきれなくなる。「もしぼくがきみを愛したら?」ニーナはちらりと「ぼく」を見る。もう一度言う。ニーナは笑い飛ばさずドギマギする。その刹那ニーナの表情に暗い影がスッと走った。「何でもないよ。冗談を言っただけさ」と取り繕う。「ぼく」の「フィアルタ」は日の光が満ちはじめ全てを溶かして姿を消してしまう。
最後に「ぼく」は列車で出ていくのだが、ムレチ駅で新聞を読む場面で終わる。フェルジナンドやニーナ、セギュールが乗った車が、街にやってきたサーカスの一団の車に猛烈なスピードで突っ込み事故を起こした。悪運の強い者は生き残ったが、ニーナひとりだけがあっけなく死んでしまう。


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