シェア
Mikuru.M
2021年4月18日 16:02
風邪をひくと世界でひとりだけ取り残されたような気分になる。体調を崩したその日、私は車いすのおいちゃんの受診同行をしていてた。病院の入り口で検温があって、おいちゃんは何ともなかったけれども、私は37℃以上あったので隔離されてしまった。診察だけ同行して、おいちゃんの健康に何も問題ないことだけ確認した。診察室の去り際に「職員さんも頑張ってくださいね」と看護師さんから声をかけられた。帰りの車中でおいち
2021年4月17日 17:48
街の上で今泉力哉監督の『街の上で』を見て、下北沢にはもう私の帰る場所はないと改めて悟った。今泉監督作品ならではの独特のテンポの群像劇が面白かったのはもちろんだが、何よりやられたのはあまりにもリアルすぎる下北沢のあの空気感だった。画面では20代の役者さん達が焦燥不満絶望葛藤根拠のない自信を持て余しながらも、眩いほどにきらきらと輝いていた。全員あの街のどこかで会ったことがあるような気がして何だか懐
2021年4月7日 10:12
結局このところのもやもや病の正体は自分が必要だと信じてやってること(ホームレス支援&シェアハウス運営)が、資本主義的価値観のなかでその価値が可視化されににくく、また現場での自分が使い捨て要員のように感じること。そして、そのことによって、漠然とした将来の不安に侵されたり、なぜかやってることへの自信まで奪われてしまっていたことだと気がついた。要は自分が心身削って取り組んでいることが、尊重されていないと
2021年4月5日 20:46
救命救急の待合室で救急車で運ばれた81歳の奥さんの延命措置の選択を迫られている旦那さんをみている。数分おきに深いため息をつく彼の背中を見守ることぐらいしか私にはできない。職業柄、突然の別れとか延命措置の選択とかお看取りとか何度も経験するけど慣れることなんかなくて、毎回身を切られるように辛い。それなのに、市井の人は親や伴侶でその辛さをいきなり経験するんだと思うと、さぞかし焦るし苦しいだろうと思う
2021年4月2日 18:04
もう両手では数切れれないほどの死別を経験したけれども、どんなにベストを尽くしたとしても、遺された側は必ず「あのときああしてれば、こうしてれば」が残る。私に出来ることは限られていて、人を救うことなんて出来ないと頭では分かっている。だけど、心は正直で訃報が入った瞬間は背中をナイフで刺されたような感覚がする。確かにあったはずの楽しかった思い出も、その一瞬はすべてが哀しみで打ち砕かれる。人の死の前で私は無
2021年4月2日 12:35
ナースコールで呼び出されたので、Kさんの部屋に駆けつける。十中八九なんともないのだけど、なんかあったら嫌だからとりあえず階段を駆け上がる。部屋につくとKさんはすっかり癇癪を起こしていた。あーまたか、という気持ちで正直いっぱい。とりあえず怒りを受け流す。すると今度は足が痛い、頭がくらくらする、背中が痒いの怒涛の訴えがはじまる。これも共感しつつ受け流す。次に始まる病院連れてけ、救急車呼べコールに備