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掌編小説

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#短編

靴紐【掌編】

靴紐【掌編】

 靴紐がほどけた。僕はしゃがみこんで靴紐を結び直す。きれいに結んだ靴紐。今朝磨いたばかりの靴の爪先には、憂鬱な僕の顔が映し出されている。
立ち上がり、爪先を軽くノックする。すると、その音を合図に風が吹いた。街路樹の枝が揺れ、葉が小波のような音を鳴らす。
 今日も僕は会社へ向かう。行きたくないのに向かう。本当は、会社へ向かう道とは逆方向の道を選びたい。しかし、選べない。
 自転車に乗った学生達が僕を

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蜜柑空【掌編】

蜜柑空【掌編】

 蜜柑の皮に爪を当てると甘酸っぱい果汁が飛んだ。テーブルに雫が一粒。その一粒の水面に僕の顔が映る。感情のない顔。僕はそれほど悲しくはないんだ。
 同級生の高村からメッセージが届いた。
「明けましておめでとう」
 高村とは三年以上会っていない。故郷に帰るたびに一緒に食事をする仲。だけど、三年以上故郷に帰れていないから。こうやって、正月にメッセージを送り合うだけ。
「明けましておめでとう。今年こそそっ

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夜明け【掌編】

夜明け【掌編】

 薄紫色の縁に橙色の滴がひとつ。小さな雫は次第に大きくなり、やがては獣のように牙を剥き口を開け夜を飲み込んでいく。夜の叫び声が星々に響き渡る。怯えた星は震えあがり姿を隠した。朝だ。朝がやって来たのだ。
 雲にまとわりついていた闇は朝が奪い去った。漂白された雲に朝陽が滲む。甘酸っぱい果汁の色をした雲に吸い寄せられ、鳥たちが空へ飛び立つ。鳥の囀りと羽ばたきが地上へと降り注いだ。
 朝の光は正しい。僕は

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走る人【掌編】

走る人【掌編】

 口から吐き出される蒸気は空に昇る。朝陽の果汁に浸され桃色に染まり、横切った小鳥の羽根を撫でた。僕の足音に小鳥の囀りが交ざる。ドラム音のように鳴り響くのは僕の鼓動。
 仕事を辞めた僕は、早朝にランニングをするのが日課になった。通勤する大人も通学する学生もいない。世界に一人きりになった気分だ。冬の早朝はとても寒いけれど、走って十分ほどすれば、身体が温まり気にならなくなる。むしろ、冷たい風が眠気を吹き

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ある日暮れ【掌編】

ある日暮れ【掌編】

 溢れ出す朱色の光。光に飲まれ滲む窓枠。やがて消失する。崩壊する。まるで洪水のように注がれる夕陽。私の部屋に。壁に飛び散る夕陽の飛沫はシミをつくる。血しぶきみたい。永久に消えることのないシミ。
 熱い。手の甲が。押し付けられる夕陽の刻印。もう逃れることなど出来ない。やがて部屋は夕陽に満たされるだろう。私は夕陽の底に沈み溺れるのだ。
 揺れるカーテン。炎に包まれる。立ち上る火の粉。天井にぶつかり私に

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【掌編】花火の音

【掌編】花火の音

 持っていくべき荷物は数少ない。カーテンもソファも彼と一緒に選んだモノだし。嫌がらせのようにこの部屋から持ち去ってもいいけど、こびりついた彼との思い出は、強力な漂白剤を使ったって、色褪せそうにない。
 今日、この部屋を訪れたのは、花火大会があるから。彼と初めてデートしたのが、ちょうど三年前の花火大会だった。今年は、あの子と一緒に花火を見ている彼。二年同棲したこの部屋とお別れをしに来ている私。
 お

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【掌編】辛口ジンジャーエール

【掌編】辛口ジンジャーエール

 子供だった僕はジンジャーエールがどんな飲み物なのか知らなかった。ビールを飲む大人に憧れた子供が飲む甘ったるい炭酸飲料、そんな風に思ってた。
「ジンジャーエール飲む?」
 ミオさんが僕に訊ねた。
「は、はい」
 正座をした僕は汗ばむ手を太ももで拭いながら頷く。
「ちょっと待っててね」
 キッチンへ向かうミオさんの後姿。ショートパンツから伸びる白い脚につい目を奪われる。
 バイト先の先輩ミオさん。高

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【掌編】サイダー

【掌編】サイダー

 青。空の色、海の色、幸せの鳥の色。ママの髪の色。
 ママの青い髪が好きだった。ママは私を自転車の荷台に乗せて、いろんな場所へ連れて行ってくれた。肩まで伸びたママの青い髪。風に揺れる様を後ろから見つめ、時々触れたりしていたずらする。ママはそんなことで怒ったりはしなかった。ママが怒るのは私が汚い言葉を使った時だけ。例えば
「クソババア」
 なんて覚えたての汚い言葉を使った時は、私の大切にしていたウサ

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【掌編】夕立

【掌編】夕立

 睫毛の先に実った雫は、涙だったのか雨だったのか、正体を明かさぬまま頬を滑り落ちた。
 家まで徒歩十分。雲行きが怪しいとは思ったけれど、傘がなくても大丈夫だと思った。歩いて三分。分厚い鼠色の雲が白く光った。数秒後、岩が転がり落ちて来るような音が鳴り響く。大粒の滴が次々と空から降ってきた。
 たちまち私はずぶ濡れになった。カールのとれた髪の毛。肌に張り付いたブラウス。裾がほつれたスカート。私のありと

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