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【掌編】花火の音

 持っていくべき荷物は数少ない。カーテンもソファも彼と一緒に選んだモノだし。嫌がらせのようにこの部屋から持ち去ってもいいけど、こびりついた彼との思い出は、強力な漂白剤を使ったって、色褪せそうにない。
 今日、この部屋を訪れたのは、花火大会があるから。彼と初めてデートしたのが、ちょうど三年前の花火大会だった。今年は、あの子と一緒に花火を見ている彼。二年同棲したこの部屋とお別れをしに来ている私。
 お別れの儀式をしようと思った。
 部屋のカーテンを開け、明かりを消した。暗闇の中ソファに腰掛ける。どこからか、かすかに彼の匂いがする。
 ドンというお腹に響く低い音がして窓が白く光る。この部屋から花火は見えない。周囲の建物が高すぎて。だけど、音と光だけはこの部屋にも届く。
 彼と一緒にこの花火を見上げているだろうあの子は、私の親友だった。あの子はとても魅力的な女性だった。わかっていたのに。まさか、彼が私の親友を好きになるなんて。あの子が私の彼氏を好きになるなんて。油断していた私も悪かったのかな。
 彼氏を失うだけじゃなく、親友を失うことにもなった。人が人を好きになる気持ちは自由だ。わかってる。わかってるけど。
 裏切られた。大嫌いだ。最低だ。二人とも。
 呼び出されたカフェに、二人は並んで座っていた。何となく、勘づいていたけれど、思い違いだって何度も言い聞かせてきた。けれど、申し訳なさそうな表情で並ぶ二人の姿は、もう決定的で。
 悲しい、寂しい、悔しい。沸き上がる様々な思いは怒りへと変わっていく。安っぽいドラマみたいに、水をぶっかけてやろうかと本気で考える。
「俺が全部悪いんだ」
 彼はあの子をかばうように言う。あの子はうつむいて何も言わなかった。彼はそんなあの子の手を握っていた。
 守られるべきなのは、私ではないんだね。傷ついて苦しいのは、私の方なのに。私の隣には手を握ってくれる人はもういない。
 その事実をつきつけられた私は、とても惨めになった。ここで怒りを二人にぶつけたら、もっと惨めになるような気がした。だから、私は、思いっきり笑顔を作った。おそらくひきつっていたと思う。これまでの人生で一番不格好な笑顔。
「お幸せに」
 振り絞るように一言残して席を立った。
 ドンとまたお腹に響く低い音。窓から溢れる白い光。私の抱えた膝小僧も白くする。
 ドン、ドン、ドン。低い音が繰り返される。そのたびに、部屋が明るくなる。明るくなるたびに浮かび上がる彼との思い出。花火みたいに、夜空に消え去ってしまえばいい。
 ドン、ドン、ドン。
 花火の光がこの部屋に思い出を浮かばせてしまうから、私は膝に額を押し当てた。そして、声を出して泣いた。子供のように泣きじゃくった。
 きっと街の皆は花火に夢中だから、私の泣き声なんて、気にかけやしないだろう。
 花火大会が終わると部屋を出た。そして、郵便ポストに合鍵を落とす。カランという乾いた音。
 これで、儀式終了だ。
 来年の花火大会は思いっきり笑う。花火の音をかき消すくらい大笑いしよう。

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