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【掌編】夕立
睫毛の先に実った雫は、涙だったのか雨だったのか、正体を明かさぬまま頬を滑り落ちた。
家まで徒歩十分。雲行きが怪しいとは思ったけれど、傘がなくても大丈夫だと思った。歩いて三分。分厚い鼠色の雲が白く光った。数秒後、岩が転がり落ちて来るような音が鳴り響く。大粒の滴が次々と空から降ってきた。
たちまち私はずぶ濡れになった。カールのとれた髪の毛。肌に張り付いたブラウス。裾がほつれたスカート。私のありとあらゆるものから雨が滴り落ちた。買ったばかりの靴の中も洪水。歩くたびに靴の中から雨が溢れ出した。
なんて無残な姿なんだろう。そして今の私にはふさわしい。押し込んでいた感傷が溢れ出す。
あの人と目が合わなくなった。
「すいません、緊張しちゃって」
半年前、あの人はそう言って顔を赤らめていた。ボールペンを持つ手も震えていた。そんな一面を見てしまったからだ。
私とあの人は共犯者になった。
正しくないことをしている。それはわかっていたけれど、会うと止められない。だから、会うのをやめようとした。すると会えないことが苦しくなった。そうしてまた会ってしまう。その繰り返し。
二人の秘密はどんどんと大きくなり抱えきれなくなった。抱えきれなくなった私達はお互いを傷つけるようになった。やがて、あの人は、私と目を合わすことをやめてしまった。
これでよかったのだと思う。誰にも知られることなく終わったのだから。きっと時間が解決してくれるはず。頭では理解しているのに。
「大丈夫ですか」
振り返って私の手を握ってくれた。あの時の手の感触がまだ忘れられない。
「もうやめましょう、こうゆうの」
最後まであの人との会話は敬語だった。結局お互いに心を開くことが出来なかったんだ。だからかもしれない。むしろよかった。心を開く前で。
泣いていないのに、私の頬を何粒もの滴が伝う。その一粒の滴が私の口に侵入する。海の味がした。
横切った自動車のタイヤから波しぶきがあがる。潮騒のような優しい音。
「海、行きたいな」
呟いた瞬間、私の目から雫が零れ落ちる。
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