安芸侑子

少しずつ、言葉に残しておきたいことがふえました。 思いついたことをかける場所を作ってみ…

安芸侑子

少しずつ、言葉に残しておきたいことがふえました。 思いついたことをかける場所を作ってみました。 形になるかどうかは私次第です。もしお目に留まったら読んでみてください。

記事一覧

泣血哀慟して詠める歌

立秋までの一か月を「晩夏」と呼ぶ。 俳句では夏の季語、 夏の終わり、秋の気配が感じられる頃のことをそう呼ぶ。 読みは「ばんか」 「挽歌」と同じ読みになる。 秋山の黄…

安芸侑子
13日前
2

秋刀魚苦いかしょっぱいか

暑さがようやく少し落ち着いてきたように思う。 少なくとも、朝晩の空気は涼しさを増してきたように思う。 茹っていた脳が少し蠢き始めてきた。 大変ありがたい。 あはれ …

安芸侑子
3週間前
3

赤とんぼ

夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われて 見たのは いつの日か 今年初めて、赤とんぼを見た。 雨上がりの湿った路地裏。 私を追い抜いて一瞬空中で止まった後、流れるように飛び…

安芸侑子
3週間前
1

我は海の子

我は海の子 白波の さわぐいそべの 松原に 煙たなびく とまやこそ 我がなつかしき 住家(すみか)なれ 暑い。 本当に暑い。 其の所為か、「我は…」と歌いだすと、こちらの…

安芸侑子
3か月前
1

我は湖の子

梅雨が始まる前に夏が来たような陽気が続く。 少し、爽やかな気分を味わってみようか。 われは湖(うみ)の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと 昇る狭霧(さぎり)…

安芸侑子
3か月前
1

鳥にしあらねば

梅雨になりそうでならない、どっちもつかずの気候が続いている。 色々と事が続いて、落ち着かない日々を送ることになっている。 世間(よのなか)をう(憂)しと恥(やさ…

安芸侑子
3か月前
2

野分

季節外れの台風が近づいてきているらしい。 台風は秋の季語なのだが、「野分」として思い出してしまったのでつい書いてみることにする。 「野分(のわき)」とは台風の古称…

安芸侑子
4か月前
3

甍の波と

甍(いらか)の波と 雲の波 重なる波の 中空(なかぞら)を 橘(たちばな)かおる 朝風に 高く泳ぐや 鯉のぼり      作詞:不詳/作曲:弘田龍太郎 五月の空に…

安芸侑子
5か月前
2

道程

僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちにさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄(きはく)を僕に充(み)たせ…

安芸侑子
5か月前
6

あかねさす

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 「茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖布流」 私を古典の世界へ引きずり込んだ元凶ともいえる一首。 何処をと…

安芸侑子
5か月前
1

古典へのいざない

この場を借りて、 私のバイブルともいえる本を一冊紹介しておきたい。 「古典へのいざない」  10冊の本 井上靖・臼井吉見編  シリーズ3  昭和四十三年十一月五日 主…

安芸侑子
5か月前
3

月は東に 日は西に

菜の花や 月は東に 日は西に 桜と共に、春を告げる花として菜の花がある。 鮮やかな黄色は大地を染めて可愛らしくも逞しい。 江戸時代の俳諧師、与謝蕪村の代表的な句の…

安芸侑子
5か月前
2

かえりみすれば

東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて    かへりみすれば月西渡(つきかたぶ)きぬ 日本最古の歌集「万葉集」から、 柿本人麻呂の短歌(うた)を一つ。 軽皇子に…

安芸侑子
5か月前
4

今年ばかりは

春の嵐が駆け抜けていった。 ようやく晴れ間が顔を出した。 咲き誇る桜が舞い落ち、あちらこちらに薄紅の河が出来ている。 深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに…

安芸侑子
5か月前
3

春眠暁を覚えず

春眠暁を覚えず(しゅんみんあかつきをおぼえず) 処処啼鳥を聞く(しょしょていちょうをきく) 夜来風雨の声(やらいふううのこえ) 花落つること知んぬ多少ぞ(はなおつ…

安芸侑子
5か月前
3

いざ舞い上がれ

今日は少し趣を変えて。 さくら(独唱) 作詞 森山直太朗・御徒町凧 作曲 森山直太朗 今、少し遅れた今年の桜が満開を迎えている。あまり体調がよくない日が続いたので…

安芸侑子
5か月前
3
泣血哀慟して詠める歌

泣血哀慟して詠める歌

立秋までの一か月を「晩夏」と呼ぶ。
俳句では夏の季語、
夏の終わり、秋の気配が感じられる頃のことをそう呼ぶ。
読みは「ばんか」
「挽歌」と同じ読みになる。

秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも

歌聖 柿本人麻呂の挽歌。
「柿本朝臣人麻呂妻死し後泣血哀慟して作る歌」とある。

言葉の音とは不思議なもので、
意味が違う二つの言葉が同じ気持ちを心に残すことがある。
終わりを見る眼

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秋刀魚苦いかしょっぱいか

秋刀魚苦いかしょっぱいか

暑さがようやく少し落ち着いてきたように思う。
少なくとも、朝晩の空気は涼しさを増してきたように思う。
茹っていた脳が少し蠢き始めてきた。
大変ありがたい。

あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
さんまを食ひて
思いにふける と。

       佐藤春夫「秋刀魚の歌」

この季節、秋の始まりの頃。
秋刀魚の話題が出ると思い出す一遍だ。

この詩

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赤とんぼ

赤とんぼ

夕焼け小焼けの 赤とんぼ
負われて 見たのは いつの日か

今年初めて、赤とんぼを見た。
雨上がりの湿った路地裏。
私を追い抜いて一瞬空中で止まった後、流れるように飛び去って行った。

赤とんぼを見かけるとどうしてもこの歌を思い出す。

三木露風作詞 山田耕筰作曲

有名な方々の作品であることを今回初めて知った。
懐かしいのに何処か哀しくて。
温かいのに寂しくて。
一番だけではなく全ての歌詞が一つ

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我は海の子

我は海の子

我は海の子 白波の
さわぐいそべの 松原に
煙たなびく とまやこそ
我がなつかしき 住家(すみか)なれ

暑い。
本当に暑い。
其の所為か、「我は…」と歌いだすと、こちらのメロディーになってしまう。

本当なら、「琵琶湖周航の歌」より先に紹介すべきだった。
「我は海の子」
夏、そのもののような歌だ。

大正三年に刊行された「尋常小学校唱歌」に収められた一曲。
懸賞公募によって選ばれた宮原晃一郎とい

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我は湖の子

我は湖の子

梅雨が始まる前に夏が来たような陽気が続く。
少し、爽やかな気分を味わってみようか。

われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば

          「琵琶湖周航の歌」

大正時代、第三高等学校(今の京大)のボート部の学生であった方が、
琵琶湖での合宿中に詩を書かれ当時あった曲に乗せて歌ったものだという。
それはそのまま受

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鳥にしあらねば

鳥にしあらねば

梅雨になりそうでならない、どっちもつかずの気候が続いている。
色々と事が続いて、落ち着かない日々を送ることになっている。

世間(よのなか)をう(憂)しと恥(やさ)しとおも(思)へども 
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば  

世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆

そんな時に思い出してしまう歌。
万葉集後期の歌人、山上憶良「貧窮問答歌」の反歌。
ここであえて現代語を必要とす

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野分

野分

季節外れの台風が近づいてきているらしい。
台風は秋の季語なのだが、「野分」として思い出してしまったのでつい書いてみることにする。
「野分(のわき)」とは台風の古称。
二百十日の頃、野の草を吹き分ける強い風を指している。
二百十日は立春を起算日として210日目、およそ9月1日頃の事である。
間違いなく秋の季語なのだが、もう、近づいてきているらしい。

「野分」は源氏物語の第二十八帖の題名としても知ら

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甍の波と

甍の波と

甍(いらか)の波と 雲の波
重なる波の 中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる 朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり

     作詞:不詳/作曲:弘田龍太郎

五月の空に相応しい曲を一つ。
こいのぼりの歌は「屋根より高い」で始まるほうが一般的かも知れないが、
私はこちらを推す。
文語調とでもいうか、格調高く歌い上げる様が清々しい。

「橘かおる」
この文だけで爽やかな木の香の中で、
澄み渡る青空を仰ぎ

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道程

道程

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充(み)たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

       『道程』  高村光太郎

完璧な言葉。
完璧な音。
高村光太郎の詩は何故ここまで心に響くのだろう。

この詩を紹介する以上どうしても共に伝えたい絵がある。

《道》1950(

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あかねさす

あかねさす

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

「茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖布流」

私を古典の世界へ引きずり込んだ元凶ともいえる一首。
何処をとっても瑕疵の無い、暴力的なまでの感覚。
風景だけでなく、そこに感情を込め静かに強く歌い上げる。

「万葉集」巻第一 二十 
天皇(すめらみこと)、蒲生野に遊猟(みかり)したまう時に、
額田王(ぬかたのおおきみ)が作る歌。

意味も謂れも

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古典へのいざない

古典へのいざない

この場を借りて、
私のバイブルともいえる本を一冊紹介しておきたい。

「古典へのいざない」
 10冊の本 井上靖・臼井吉見編
 シリーズ3
 昭和四十三年十一月五日 主婦の友社発行

私が古典に対して初めて興味を持った時、どうしてもと言って買ってもらった一冊。
誰に勧められたのかはもう忘れてしまったが、自分から欲しがったことは強く覚えている。

長く実家にあったがこの程手元に引き取った。
もう五十

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月は東に 日は西に

月は東に 日は西に

菜の花や 月は東に 日は西に

桜と共に、春を告げる花として菜の花がある。
鮮やかな黄色は大地を染めて可愛らしくも逞しい。
江戸時代の俳諧師、与謝蕪村の代表的な句の一つ。

前回上げた柿本人麻呂の和歌とは、全てが対比をなしているように思える。
太陽と月。
西と東。
暁と夕暮れ。
清冽な印象を受ける人麻呂の和歌に対し、蕪村の句は優しくも暖かい。
菜の花が揺れる春の夕暮れ。
受ける風の強さも匂いも、肌

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かえりみすれば

かえりみすれば

東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて
   かへりみすれば月西渡(つきかたぶ)きぬ

日本最古の歌集「万葉集」から、
柿本人麻呂の短歌(うた)を一つ。

軽皇子に従って狩に出た時の風景を詠んだといわれている。
太陽と月。
西と東。
全てを見渡せる狩の野にあって、今、夜が明けようとする暁の様を見たままに詠み上げた。
ありのままの風景を伝えることは、簡単なようで実はとても難しい。
他の人には真似の

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今年ばかりは

今年ばかりは

春の嵐が駆け抜けていった。
ようやく晴れ間が顔を出した。
咲き誇る桜が舞い落ち、あちらこちらに薄紅の河が出来ている。

深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け

挽歌。
逝くものではなく残されてしまった者の慟哭と悲哀。何処にも行き場のない感情が想いが胸を締め付ける。
初めてこの歌を知ったのは「あさきゆめみし」―――大和和紀さんの源氏物語を読んだ時だった。源氏の初恋にして永遠の恋人藤壺の中

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春眠暁を覚えず

春眠暁を覚えず

春眠暁を覚えず(しゅんみんあかつきをおぼえず)
処処啼鳥を聞く(しょしょていちょうをきく)
夜来風雨の声(やらいふううのこえ)
花落つること知んぬ多少ぞ(はなおつることしんぬたしょうぞ)
   
    

昨夜からの雨がようやく上がりそうだ。
桜雨、花散らしの雨、思い返してみると桜の開花に合わせるように雨が降ることが多い。
はじめてこの詩に触れたときは「春眠暁を覚えず」の一節への共感が強かった。

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いざ舞い上がれ

いざ舞い上がれ

今日は少し趣を変えて。

さくら(独唱)
作詞 森山直太朗・御徒町凧
作曲 森山直太朗

今、少し遅れた今年の桜が満開を迎えている。あまり体調がよくない日が続いたので今年の花見は今一つ乗り気にならなかったのだが、今日、やはり桜を見に歩いてみた。

さくら、さくら。
温んだ風を纏う春の薄曇り。真白ではない薄い紅の花弁が、霞のように黒みを帯びた幹に枝に絡んで揺れる。
桜を歌った歌は多くあってそれぞれに

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