秋刀魚苦いかしょっぱいか
暑さがようやく少し落ち着いてきたように思う。
少なくとも、朝晩の空気は涼しさを増してきたように思う。
茹っていた脳が少し蠢き始めてきた。
大変ありがたい。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
さんまを食ひて
思いにふける と。
佐藤春夫「秋刀魚の歌」
この季節、秋の始まりの頃。
秋刀魚の話題が出ると思い出す一遍だ。
この詩が書かれた背景には、かなり有名な逸話があるので
ここでは会えて言及を避けさせていただく。
冒頭の部分と最後の部分、
「秋刀魚苦いかしょっぱいか」の部分のみ覚えていたので。
今回、改めて全文を読んでみた。
思っていた以上にはっきりと
現実的な情景が表されていたことに驚いた。
中身全てを覚えていなかったのはこの為か?などと考えている。
正直、作者である佐藤春夫氏に関して、
私はこの詩以外を知らない。
この詩の持つ秋の季節感と、底辺に横たわる哀切が交じり合った様が
強く印象に残って忘れられないだけだ。
「秋刀魚」というあまりにも即物的な食べ物を主題におきながら、
渦巻く自分の心を強く強く描き出す。
このインパクトは何なのだろう。
今年もサンマの季節がやってくる。
このところの不漁で手が出しにくくなったサンマを
今年も一度は買って帰ろう。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
さんまを食ひて
思いにふける と。
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどい)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝えてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて、
涙をながす、と。
さんま、さんま、
さんま苦いか塩(しょ)っぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
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