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野分

季節外れの台風が近づいてきているらしい。
台風は秋の季語なのだが、「野分」として思い出してしまったのでつい書いてみることにする。
「野分(のわき)」とは台風の古称。
二百十日の頃、野の草を吹き分ける強い風を指している。
二百十日は立春を起算日として210日目、およそ9月1日頃の事である。
間違いなく秋の季語なのだが、もう、近づいてきているらしい。

「野分」は源氏物語の第二十八帖の題名としても知られる。
野分が吹き荒れる日、源氏の息子である夕霧は初めて義理の母である紫の上を垣間見る。
彼の心の動きを、作者の筆は余すところなく浮きだたせる。
野分の吹いた日に、心にも野分が吹き荒れた。
夕霧の心に焼き付いた面影は、彼の人生に少なからざる影を落としていく。

ある方が「ここは紫の上が一番幸福であった時だ」と述べておられた。
一番幸福で美しい姿を作者はなぜ夕霧に見せつけたのだろう。

幼い頃、源氏に攫われるようにして妻となった紫の上。
当時の高貴な女人は、夫と子供以外に姿を見せないことが望ましいとされた。
紫の上の美しさを誰よりもわかっていた源氏は、自分以外の男に姿を見られる事を彼女に強く戒めている。
私の記憶違いでなければ、その紫の上を源氏以外にただ一人見る事が出来たのがこの時の夕霧だと思う。
まるで
「覚えていて」
「彼女を覚えていて」
「この瞬間の美しさを覚えていて」
「忘れないで」
と、何かが告げているかのようだ。
この後、彼女を無常の闇に突き落とす源氏ではない誰かに。


季節外れの台風が近づいている。
吹き荒れる風も雨も、少しでも穏やかであれと祈ってやまない。



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