家族と映画
爽健美茶の残量を気にしていた。
「コード・ブルー」は、私が一番テレビを見ていた頃のドラマで、私の医療への関心を高めた作品の一つだ。
それが、今回10年経って、映画化された。
母は山下智久氏のファンであり、ぜひ家族で行きたい、と言った。公開から1ヶ月経つ頃、弟は予定が合わず、3人でようやく地元の映画館に車で出かけた。
大学で医療を学ぶ身になってからの医療ドラマは、正直休みの日に見たいものではない。
「ジアゼパム」と言われれば「痙攣」。「ミオグロビン尿、CK上昇」と言えば「横紋筋融解症」。医者になるわけでもないのだが、四年も通っているとこれくらいはほとんど反射で出てくる。反射できる範囲はすべて「薬学コアカリキュラムの重点ポイント」であり、「今年受ける大きな試験でかなり出題頻度の高い項目」だ。正直、休みの日に見たいものではなかった。
終盤の人間ドラマの展開になって、母が泣いているのが聞こえる。私も少し、自分が悩んでいたことと重ねて泣きそうになる。人間は簡単だ。
エンドロールになると、皆残った飲食物を慌ただしく片付ける。照明が付くと、皆それまでの感情移入などけろっと忘れてしまったかのように、すっくと席を立ってシアターから出ていく。周囲の切り替えの速さについていけずぼうっとしていると、母に声を掛けられる。
「さあ、買い物して帰ろう。」
爽健美茶は、エンドロールでピッタリなくなった。
子供の頃の私にとって「映画を見る」ということは、前売り券についているポケモンをいち早くゲットし、映画館でしか食べられないあの謎に旨いポップコーンを、弟と父と競い合いながら食べることだった。
高校生になって、家族も友人も見ない、自分だけが見る映画ができた。初めて一人で映画館に行き、コーラやポップコーンの値段を見て目玉が飛び出そうになった。仕方なく、何も持たずに映画をみた。
私はそこで、初めて映画を見た。
確か「Another」だったと思う。中学2年の頃、涼宮ハルヒの長門有希(いつも分厚いハードカバーを読んでいる)にあこがれて、「本屋で一番分厚いハードカバーの小説」をえらんで購入した。それが映画化されたんだったと思う。
原作を読んでいたから、「あれがあった」「このシーンがなかった」などと対比した。とにかく、目の前の画面の動きに熱中していたことだけはよく覚えている。
それから、一人で映画を見るときは何も飲食物を買わない。映画が終わるころには、ぽかんと口を開けていたせいでのどがカラカラになる。しかし、コーラの残量と尿意を気にしながら時間の経過を待つことはなくなった。
久しぶりに家族で映画を見に来て、母に「何か飲む?ポップコーンは?」と尋ねられた。この家では、何か飲食物を付けられるとき、ほとんど付ける方を選ぶ。爽健美茶Sサイズかな、と答えた。父はポップコーンを頼んだ。家族と過ごしているのだな、と実感がわいた気がした。
「コード・ブルーはリピーターが多い」と聞いた母が、競うように「今度(弟の名前)も行けるときにもう一回行くわ!」と宣言した。私に参加の余地があれば、久しぶりにポップコーンを頼むかもしれない。
akaです。
家族と過ごしていた時は当たり前のように感じていたことも、大人になっていざ一人になると、「これはべつにやらないな」「これを家ではやっていなかったなんて嘘みたい」と思うことがあります。自分だけがいつの間にか家族と異なる文化を持った人間になり、組織から剥離していくような心地です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。それではみなさん、
グッド・バイ。
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