毎年、終戦の日に後悔すること 〜兵士だったおじいちゃんへ〜
日付が変わったが、また終戦の日だ。この日が来る度に思い出して、後悔することがある。
亡き祖父。ボルネオ、中国大陸と新婚時代に2度も召集されて戦火をくぐり抜けた祖父に、生前、十分に戦場のことを聞けなかったことだ。
ちょうど、りのさんのnoteにも、夢にお爺さまが出て来られた話があったので、私も少しだけ、備忘録として記しておこうと思ったのだった。
明治生まれの祖父は、柔道を嗜み、豪快な九州男児であることを全面に押し出す古風なタイプで、私は子供の頃は苦手なところもあった。自分の娘(=私の母)が産まれた時に、「女の子だと知ってがっかりして最初は見に行かなかった」と笑って話すのを何度も聞かされて、全く面白くもなんともない、なんて発想だと不愉快だった。しかし祖父は、実はとても繊細で裏で気配りをしていること、会社では部下や後輩を庇って人気があり、リーダーシップを発揮したりしていることなどを後で知った。
そんな祖父は時折戦争の話になるのだが、いつも決まって武勇伝だった。私はそれがすごく嫌で恥ずかしかった。
ボルネオでは乗っていた船が爆撃を受けて海に放り出され、真っ暗闇の波間を漂った。もう死ぬと思った時に、鉄兜の中に入っている「恩賜のタバコ」(天皇からの賜り物として兵士達にも配られたらしい)を最後に皆んなで吸おうと取り出して、マッチも使えたので火をつけたところ、近くを通りかかった友軍の船がその火に気がつき、祖父の隊は救われたのだという。
そのほかには、敵軍の戦車が来たので穴を掘って身をかがめたら真上を通りすぎて命拾いしたとか、弾が喉を貫通してもうダメだと思ったけど、軍医に緊急手術をしてもらって助かったとか。
しかし、私はずっとなんかもやもやしたものが残ったままだ。その武勇伝が、何かスポーツの試合を振り返って語るようで、あまりに無邪気すぎる気がしたからだ。
戦闘になった時に恐怖心はなかったのか。横で仲間の身体が吹き飛んだりした時どう感じたのか。逆に敵を撃ち殺した時にどう感じたのか。それともそんな心の余裕はなかったのか。そもそも何のために、自分は一体何をやっているのかと自問することはなかったのか。さらには、被害ばかりでなくてその逆もあってもおかしくない。言えないこともあったのだろうか。また上官の命令などで理不尽なものはなかったのか、また逆に何か感動したこと、嬉しかったことなど、記憶が山盛りのはずだ。
死と隣り合わせの究極の状況下で、彼は何を考えていたのだろう。
戦争の経験がない自分には、頭に疑問符ばかりが浮かぶ。こちらの思うことは理屈であり、戦場にはそれを超えるものすごいものが存在することは想像がつく。もっと色々本音のところを聞き出したかった。
祖父は阪神大震災で家が全壊しても無事生き残ったサバイバー。助け出された時、心配する家族に対して、「こんなん、戦争に比べたら大したことない」と言ったという。
地震の後も何年か元気だった。聞く時間は十分にあったはずだ。なぜ聞かなかったんだろう。本当に聞きたかった。
亡くなる直前の施設では、祖父特有の気配りと明るさとリーダーシップで、周りのおばあさんにも人気があり(笑)、仕切って合唱をしたりして、彼の周りは常に笑い声が溢れていたといつ。そんな明るく優しい人が、人が殺し合う戦場でスポーツの試合の後のような感想しか抱かないはずがない。
きっと一言で軽率には言えない、色んなことがあったはず。
また、祖父の家には、中国人から贈られたという書も存在した。祖父の死後、初めて気がついた。
名前も書かれていたのに、なぜ、自分は中国に行ってその人を探し当てようとしなかったのだろう。何か知りたくない真実が見つかるかもと勝手に想像していたというのもあるが、単に行動力が足りなかっただけだ。その気になれば、調べることはできた。
今、またウクライナでこんなことになっている。きっとウクライナ兵にもロシア兵にも、祖父の経験したことと同じようなことが起きている。それを考えるためにも、本当に祖父の体験を知りたかった。
最後に写真を何枚か。ボルネオの写真だ。
どうしても祖父のことが気になっていて、彼がいつも口にするボルネオとはどんな所なのか、どうしてもこの目で見て、雰囲気だけでも感じたかったので、数年前にボルネオ(マレーシア側)に行ってみたのだった。この場所に行ったかどうかはわからないが、きっとこんな感じの場所にいたのだ。
以下は、コタキナバルの日本人墓地。どうも改修したようにも見える。この墓地については、まだ全然調べていない。ご存じの方、教えてください。
とにかく、ボルネオは美しい。
この海。このジャングル。
おじいちゃん、
こんな綺麗なところで、どんな体験したん?
夢でこっそり、教えてくれへんかな。
今、世界めちゃくちゃになってんねん。
そういえば、上官から職業軍人にならないかと言われて断った時に、心の中では「絶対嫌や」と思ってた、という話も思い出したよ。
おじいちゃん、
やっぱりまた会って、聞きたいよ。
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今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😀
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