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ハワイ島海外出産 体験記

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2016年夏 ハワイ島での海外出産の記録 日本人家族の海外出産奮闘記 2016年夏、ハワイ島 アカカフォールズという滝の近くにある助産院で海外出産した記録を記事にしました。文化の… もっと読む
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2019年5月の記事一覧

私の海外出産ものがたり。 Part 7 日本にて、そして決断

私の海外出産ものがたり。 Part 7 日本にて、そして決断

日本に帰って数日後、
ハワイ島で出会ったコナの “日本人経営の宿” の奥さんからメールがあった。
今度日本に行くので、会わないかと言うお誘いだった。

そう、「うちで産みますか?」と声をかけてくれた人....。

別件で話があると言うことで、渋谷で会うことになった。

渋谷で食事をしてから、代々木公園を散歩した。
彼女と色々な話をしているうちにまた
出産の話になった。
素敵な助産師さんを知っ

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私の海外出産ものがたり。Part 8 日本の産婦人科

私の海外出産ものがたり。Part 8 日本の産婦人科

2人目の我が子を海外で出産することを、
決めた時、
娘は6歳になっていた。

ここで1人目の日本での出産を振り返ってみようと思う。

2009年11月

彼女を産んだ時は里帰り出産で
実家の近くの小さな産院で産む予定だった。

しかし、予定日より1か月早い早産で、
結局、近くの大きな病院で出産した。

その時、娘はNICU に入り、生後20日程病院で過ごした。

この時から、
現代の出産に

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私の海外出産ものがたり。 Part 9 なんの疑問も持たず信じていた

私の海外出産ものがたり。 Part 9 なんの疑問も持たず信じていた

そんな長女の出産の時の経験もあり、
その後の私は世の中の当たり前とされている
すべてのことに疑問を持ち生きてきた。

けれど、海外で出産することに対しては、
不安もあったが、
それ以上に何か新しい体験ができるようなワクワクと
今回は絶対大丈夫!という妙な自信もあった。

この根拠のない自信は言葉では説明がつかない。

今でも、説明することは出来ない。

そして、娘の出産の頃とは違い、
この

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私の海外出産ものがたり。 Part 10 途立つ

私の海外出産ものがたり。 Part 10 途立つ

出産2カ月前、
私たちは再びハワイ島に降り立った。

ハワイについて、初めに目指した場所は、
プナのジャングルだった。
以前、
私たちが初めてハワイ島のジャングルを訪れた時、
私に子どもを自然の中で、山の中で、
ふたりの娘を自ら出産したこと、自らの胎盤を食べたことを、
話してくれたジャングルの女性と
おうち交換をする予定だったからだ。

彼女はFBで、しばらく日本に行くから、
滞在する場所を探

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私の海外出産ものがたり。 Part 11 助産師 マラ

私の海外出産ものがたり。 Part 11 助産師 マラ

緑と触れ合い、朝から晩まで自然と寄り添う
1週間が過ぎ、プナのジャングルステイを経て、
コナの宿に移動した。
コナの宿で初めて助産師さんに会ったとき
大きなカルチャーショックを受けたことを覚えている。

初めて会ったとき彼女は、
両手を広げて迎えてくれた。
欧米のあいさつのスタイル。
けれど、初対面からハグするのは、
ごく稀なことのように思う。
彼女はとてもフレンドリーな感じのする人だった。

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私の海外出産ものがたり。 Part 12 海 海 海 の 日々

私の海外出産ものがたり。 Part 12 海 海 海 の 日々

イルカのコンサートの翌日から、
カヌーのレースの大会のため、
オアフ島に行っていた助産師のマラが、
再び私たちを訪ねてきたのは、数日たったある日。

彼女は、コナの町から、約1時間半、
ハワイ島の反対側東の町、
ホノムという場所に住んでいた。
観光で有名なアカカフォールズという滝の近くに
家があった。
毎日、ホノムから、
海に行くよー!エクササイズするよー!と、
私たちを訪ねてくる。
ホオケナビ

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私の海外出産ものがたり。 Part 13 アカカフォールズの町 ホノム

私の海外出産ものがたり。 Part 13 アカカフォールズの町 ホノム

彼女の住む町はアカカフォールズという滝で
有名なホノムという小さな町。

彼女の家は、カーペンターだった亡くなったご主人が
造ったセルフビルドの家だった。

内装も外装も美しくカラフル。
遊び心でいっぱいな建物だった。

中心にはマラが住む可愛らしい建物があり、
2階部分は助産所として使ったり、
長期滞在する人向けに貸しているという。
マラは一階に住んでいて、アンツハウスと呼んでいた。
確か

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私の海外出産ものがたり。

Part 14 葛藤とホノムヘの移動

私の海外出産ものがたり。 Part 14 葛藤とホノムヘの移動

水中で自然分娩、
家族全員で赤ちゃんの誕生を迎えることが出来るなんて...。

娘の子育てで育児ノイローゼになり、
自己改善をするために、精神世界の勉強を始め、
体調面でも、自然派思考になっていた、
当時の私にとっては、夢のような展開だった。

しかも、大好きな滝の近くにあり、大自然の中。
夢のような環境だった。

しかし、今まで詳しくは書いていなかったが、
私たちはほとんど英語が話せない。

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私の海外出産ものがたり。 Part 15 ホノムでの生活

私の海外出産ものがたり。 Part 15 ホノムでの生活

マラは友だちの日本人を2人、私たちに紹介してくれた。
通訳として紹介してくれたが、
いざとなったら、助けを求められる人がいることを
私たちに知らせて、安心させてくれたのかもしれない。
1人はカーディーラーのご婦人、
1人は二児の母でサーファーのママだった。

マラは、マウナケアの儀式に連れて行ってくれたり、
マーケットや地元の観光地へと私たちを案内してくれた。

毎日、検診だと部屋に来てくれて

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私の海外出産ものがたり。 Part 16 なぜ海外出産するのか....

私の海外出産ものがたり。 Part 16 なぜ海外出産するのか....

ここまで、詳しく書いていないけれど....
なぜ海外出産したのかと言われたら、
今でもはっきりとは答えはわからない。

息子にアメリカの国籍がほしかったのかと
問われることもあるけど、正直なところ
そういったことに執着してたわけでもない。
ハワイ島に住みたいという想いはあったけれど、
出産したからと言ってすぐに住めるわけでもないことも
知っていた。

ただ....産みたいと心から思える場所で

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私の海外出産ものがたり。 Part 17 いよいよ出産

私の海外出産ものがたり。 Part 17 いよいよ出産

ホノムヘ移動して、1週間ほど経ったある日。
いつものように、夕方のんびり過ごしていたら、
下腹部に違和感を感じ、急に破水した。

前の日のマラの検診では、
もうそろそろかもしれないけど、
もう2、3日は大丈夫だろうと言われていた。

予定日より、2週間早かった。
陣痛より先に破水したのは、娘の時と同じ。

同じパターン。
けれど、あの時は日本の病院。
今はハワイ島の森の中。

同じだったのは

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私の海外出産ものがたり。 Part 18 嵐の夜

私の海外出産ものがたり。 Part 18 嵐の夜

陣痛が強くなっていくに連れて、
娘の出産の時は、
陣痛がとにかく痛くて泣きそうだったのを思い出した。
言葉に出来ない痛みに涙を流した....。

2度目の出産なので、
骨盤の開いていく陣痛の痛みはさほどでもなく、
耐えられる痛みだった。
しかし、やっぱり時間が進んでいくと、
腰にあのなんとも言えない違和感を感じ始めた。

この頃、外は大雨が降っていて、
風の音も強くなっていた。
マラの住むホノ

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私の海外出産ものがたり。 Part 19 そして、誕生

私の海外出産ものがたり。 Part 19 そして、誕生

陣痛の間隔が5分から3分、3分から1分
短くなるに連れ、次第に痛みも強くなっていた。

外では雷が鳴り続けていた。

マラからよくジェントルバース(痛みというより、快感と感じるようなごく自然な形で出産するスマートな出産)の話を聞いていたから、
そんな出産は理想ではあったけど、現実はやっぱり痛い。
私は、気がついたら、唸り声のような泣き声のような声を発し始めていた。
一緒にタブに入っていた主人は

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私の海外出産ものがたり。 Part 20 おにぎり

私の海外出産ものがたり。 Part 20 おにぎり

胎盤が出てきた後、
私は大量の出血でふらふらになっていた。
気を失うようにうとうとと眠りにつき、
ふと気がついたら、時間はもう朝方だった。
赤ちゃんはへその緒と胎盤はまだ切っていなかった。

身体を休めるため、眠ってみようとしたが、
マラの家は村のようになっていて、
毎日いろんな人が訪ねてくる。

外はなにかと賑やかでなかなか眠れなかった。

出血もなかなか止まらなかったので、
トイレにも通

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