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Advanced A Course In Miracles

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コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、非二元、真理、悟り、解脱を目指しているコース学習者のためのマガジン。
コースをもっと深く理解していきたい方へ。コースの学びが進んでいくとどうなっていくのか?というテーマ…
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2022年4月の記事一覧

最高の人生はいまここにすでにある

最高の人生はいまここにすでにある


最高の人生を引き寄せる巷には、「最高の人生を引き寄せる」といった願望実現を提唱しているスピリチュアルや自己啓発があふれています。

中には、コース(奇跡のコース/奇跡講座)もそういうものだと解釈されて学ばれていたりもします。

ですが、コースを学ぶ者であるならば、コースは純粋な非二元の霊性の道であるということを知っておく必要があるといえます。

純粋な非二元から見るならば、「人生」と呼んでいるも

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『ア・コース・イン・ミラクルズ』のイエス、聖霊について

『ア・コース・イン・ミラクルズ』のイエス、聖霊について


コースの教えを通して言葉を超えていくコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくと、つまり、コースが教えていることの内容を真に理解するようになると、コースそのものがすべて比喩で書かれてあるということが分かってきます。

コースはキリスト教用語や心理学用語を使って書かれてあるわけですが、その内容は純粋な非二元の教えであり、つまりは、この世を超えたもの、言葉を超えたものであるということです。

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心が変われば、世界が変わる

心が変われば、世界が変わる

悟りの視点、真の知覚を修得するということ心が変われば、世界が変わります。

ただし、それは見ている知覚が変わるのであって、外的なもの(形態)が変わるのではありません。

むしろ、外的なもの(形態)は何一つ変わりません。

ですから、正確に言うならば、

心が変わるとき、見えている知覚の仕方が変わる、

と言ったほうが的確でしょう。

それをコース(奇跡のコース/奇跡講座)では、「知覚の訂正」とか「

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投影に気づいていく実践をしていくことによってどうなるのか?

投影に気づいていく実践をしていくことによってどうなるのか?


他者はいない、全一なる自分が在るだけコース(奇跡のコース/奇跡講座)では、「投影」という心理学用語が出てきます。

コースという霊性の道を歩んでいく上で「投影」についての理解は必須であり、その原理(仕組み)を理解しないかぎり、コースの実践はあり得ないと言うことができます。

実際に、コースの実践では投影に気づいていくことをしていくだけでなく、投影に気づいたならその投影の源である心に戻っていく訓練

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すべては自ら願望して引き寄せたその結果を体験しているだけです

すべては自ら願望して引き寄せたその結果を体験しているだけです


『引き寄せの法則』は真理の法則であるコース(奇跡のコース/奇跡講座)の観点から見るならば、そもそもがこの世界で体験していることのすべては、自分で自らが願望したその結果であると言うことができます。

つまり、私たちは自分で願望したものを体験して(受け取って)いるにすぎないということです。

たとえそれが悲惨で、惨めで、不幸な体験であろうと、自分で願望したのだということです。

ですから、何かや誰か

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「自我の平安」と「神の平安」のちがい

「自我の平安」と「神の平安」のちがい

神の平安はすべてを包含しているコース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践をしていく上で、私たちは「自我の平安」と「神の平安」のちがいについて、しっかりと理解しておく必要があります。

というのも、「自我の平安」を「神の平安」と勘違いして、コースを実践しているつもりになっているケースがよくあるからです。

ふつう、私たちが平安と呼んでいるものは、ほぼと言っていいほど「自我の平安」だといえます。

いわゆ

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ネガティブな感情やネガティブな感覚について

ネガティブな感情やネガティブな感覚について


内側で拒絶されたものは外側へ投影される普通、私たちはネガティブな感情やネガティブな感覚というものを嫌っています。

なぜなら、それらは不快な感覚だからです。

いわゆる、ネガティブな感情や感覚というものを嫌なもの、悪いものとして捉えているわけです。

そう、自分の内側にあるネガティブなものを拒絶し、排除しようとするわけですが、

そうするとどうなるか?

というと、内側で拒絶されたものは、外側へ

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闇を通り抜けていかないかぎり、光に到達することはできない

闇を通り抜けていかないかぎり、光に到達することはできない


ラディカルな霊性の道コース(奇跡のコース/奇跡講座)がどういうものであるか?

その内容を真に理解するならば、コースを喜んで学ぼうとする者はほとんどいないと分かるでしょう。

ようするに、このコースは誰もが歩むような霊性の道ではないと分かってくるということです。

というのも、このコースは、罪悪感、恐れといった無意識に隠された心の闇の部分と向き合っていくことが求められているからです。

私たちは

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「起きることが起きているだけ」と分かっていても、それだけでは何の助けにもならない

「起きることが起きているだけ」と分かっていても、それだけでは何の助けにもならない


起きることが起きているこの世界の中で私たちが経験していることは、真理から見るならば、すべてあらかじめ自分で設定していることを経験しているにしかすぎないといえます。

非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティでは、それを「起きることが起きているだけ」とか「自作自演」というふうな言い方をしています。

そのことについてコース(奇跡のコース/奇跡講座)ではどのような言い方をしているか?というなら

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このコースは「奇跡」という手段を使ってこの世界の夢から目覚めていくことを目指している霊性に道である

このコースは「奇跡」という手段を使ってこの世界の夢から目覚めていくことを目指している霊性に道である

コースはそんな容易い道ではないコース(奇跡のコース/奇跡講座)が教えている内容を理解していくにつれて、じつは、このコースはけっして喜んで学んでいけるようなものではないと分かってきます。

むしろ、とんでもない霊性の道を歩みはじめたと実感することになるといえましょう。

もし最初からその教えの内容が分かっていたなら、ほとんどの人が学ぼうとは思わないでしょう。

それが、コースの教えを真に理解するコー

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理由のない恐れはどこからやってくるのか?なぜやってくるのか?

理由のない恐れはどこからやってくるのか?なぜやってくるのか?

存在論的罪悪感と存在論的恐れについて真理から見るならば、この世界にいる誰もがみんな自分自身に嘘をついて欺いている、と言うことができます。

その嘘とは、自分とは誰なのか?という自分の本性(真のアイデンティティー/真の自己)についての嘘です。

本当は一なる神のひとり子であるにもかかわらず、自分をその真逆である個別の存在として、個人の人間だとしてしまって、自らを欺いているということです。

本当の自

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神の教師という生き方について

神の教師という生き方について

手本を示すコース(奇跡のコース/奇跡講座)という霊性の道を歩む学習者たちは、その学びが深化していくにしたがって、やがては神の教師として生きはじめることになります。

それは、コースの学び自体が実践的なものとなっていくことを意味します。

つまり、訓練を通して学ばれていくプロセスになるということです。

ちなみに、コースを教えていくこと、つまり、コースの教えを誰かに伝えていくことが、神の教師として私

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コースにはしっかりした実践カリキュラムと学びの階梯のプロセスがある

コースにはしっかりした実践カリキュラムと学びの階梯のプロセスがある


なぜゆえに、ワプニック博士なのか?私は、コース(奇跡のコース/奇跡講座)を学ぶのであれば、ワプニック博士が解説した教材で学んでいくことをお奨めしています。

コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びを通してこの世界を超えて夢から目覚めていこうと思っているコース学習者の方であるならば、ワプニック博士の教材でコースを学ぶことは必須であるということです。

逆を言えば、この世界で幸せになることやこの人生

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体現していくことでしか知り得ない内容がそこに語られている

体現していくことでしか知り得ない内容がそこに語られている

ワプニック博士がコースについて解説する教材について私は、コース(奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいる生徒(学習者)です。

私は、ケネス・ワプニック博士の教材でコースを学んでいるわけですが、ワプニック博士が解説している内容を理解するようになってくると、明らかになってくることがあります。

それはコースという霊性の道がいろいろなコースティーチャーやコース学習者によって、さまざまに解釈されているという

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