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#真の自己
孤独感、絶望感、疎外感、恐れといったものはどこからやってくるのか?そしてどのように対処すればいいのか?
分離を強めるとは分離が強まれば強まるほど、孤独感、絶望感、疎外感、恐れといったものが増大していくことになります。
なので、分離感が強い人ほど、そうのようになりがちだといえます。
ちなみに、「分離を強める」とは、他者との分離を強めるという意味ではありません。
というのも、そもそも他者などいません。
「分離を強める」というその意味は、真の自己(本当の自分)との分離を強めるということです。
真
欠乏のゲーム、孤独のゲームから脱却していくために
「特別な愛の関係」についてこの世界に居る私たちは誰もが自分は孤独だと感じています。
というのも、私たちはワンネスである神との一体性から分離したと信じているからです。
「私は存在している」ことが、まさにそういうことであるわけです。
私たちは誰もが自分は愛されていないと感じています。
愛がないと感じています。
それゆえに、私たちは愛を求めることに没頭し続けているといえます。
私たちはその欠
「いまここ」「プレゼンス」「ただ在る」について
心を忘れた状態から心を自覚した状態へ聖霊の視点とはいったいどういうものなのでしょう?
それは、
自分が存在していることも、
自分が考えていることも、
自分が体験していることも、
そのすべてが妄想の夢の中で起きていることだと知って(悟って)いる視点だと言うことができます。
すべてが非実在の夢だと気づいている視点です。
その視点は、この時空(時間と空間)のドラマが展開されている外側にありま
「自分は死ぬ存在である」という前提で私たちは生きている
本当の安全を求めて~安住の地を求めて私たちは、この世界から自由になることよりも、つまり、この世界の夢から目覚めることよりも、この世界に留まるほうが安全だと信じています。
この世界に安全といえるものなど何一つもないというのに、それでも私たちはこの世界のほうが天国よりもマシだと思っているのです。
なんという狂気でしょう。
まともに考えるなら、この世界に安全などないと分かります。
「自分はこの肉
本当の自分(真の自己)を忘れたままでいるかぎり、そこには平安も幸せもありません
Self と selfコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)では、私たちが「自分」だと信じている個としての自分は、「self(小文字のセルフ)」というふうに呼んでいます。
そして、コースの観点から見るならば、この「self」の自分こそがでっち上げた偽のアイデンティティーであり、本当は実在してはいないわけです。
つまりは、私たちはニセモノの自分を自分だと認識している(信じている)ということで
あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要です
コースの学びはどのように深化していくのかコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びの深化とは、どんな感じなのか?
ということについて、私自身のコース学習の経験から述べてみたいと思います。
コースの歩みは、たとえその教えを分かったつもりでも、コースの学びが深まっていくごとにその分かったという理解がまた崩壊していく、という、まさにその繰り返しだといえます。
自分は分かっていなかったことに気づくたびに
コース学習の成果は、この世を超越したものである
この世界を超えたところに、私が望む世界があるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、一元論(非二元/ノンデュアリティ)のスピリチュアリティ(霊性の道)であることは周知の通りです。
その教えは、精神的な安定(平安)や、より良き人生、より良き人間関係になるといった目的をはるかに超えたものであるわけです。
コースはそういうものを超越していくスピリチュアリティであるということを覚えておきましょ
コースを学んでいくとき、そこには確かにしっかりとした学びの階梯があります
コースの学びの階梯についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいくうえで、その形而上学を理解していくことは重要どころか、必須であると言うことができます。
というのも、コース形而上学が理解できていないならば、もちろん、その実践などあり得ないのは当然のことだからです。
さらにいえるのは、だからといっていくらコース形而上学ばかりを知的レベルで理解していったとしても、日常の実践に適用し