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コース学習の成果は、この世を超越したものである
この世界を超えたところに、私が望む世界がある
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、一元論(非二元/ノンデュアリティ)のスピリチュアリティ(霊性の道)であることは周知の通りです。
その教えは、精神的な安定(平安)や、より良き人生、より良き人間関係になるといった目的をはるかに超えたものであるわけです。
コースはそういうものを超越していくスピリチュアリティであるということを覚えておきましょう。
そう、ニューエイジやスピ系のノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティとはまったく別のものだと捉えておくべきということです。
というのも、コースが目的としているのは、この世界のこととは一切関係ないところにあるからです。
この世界を超えたところに、私が望む世界がある。(W-p1.129)
ワプニック博士は、そのような意味合いで、このコースのことを「純粋なる非二元のスピリチュアリティ(ピュア・ノンデュアリティ)」というふうな言い方で表現しています。
コースを学んでいくことによって、たしかにその成果として平安になっていったり、形態のレベルにおいて状況が好転したり、人生がより良き方向に変わったりすることもあったりしますが、コースの学びによる本来の成果はそういうものではないということです。
コース学習者の私たちはそれらを超越していくために、もっと正確にいえば、それらとは一切関係ない真の自己(真のアイデンティティー)を思い出すためにコースを学び、実践しているということを忘れないでおきましょう。
もし、この世界の形態レベルにおいて好転していくことにフォーカスしていくならば、むしろこの世界にとらわれてしまうことになり、本来の目的からズレてしまうことになります。
あるいは、精神的に平安になることだけを求めて、苦痛、苦しみといったものを避けようとするなら、それこそ苦しみからの脱却はけっしてあり得ません。
そうするならば、それはもはやコースの学びでも実践でもなくなってしまうことになります。
私たちが学ばなければならないのは、私たちの幸、不幸の原因はこの世界の形態とは一切関係がないということです。
そして、この世界とは一切関係ない真の自己を思い出していくことがコースの目的なのだということを覚えておきましょう。
ときに、コース学習者の中にも「精神的に平安な気持ちになること」や「より良い人生になること」といったものを目的にコースを学んでいたり、赦しを実践していたりしているケースがあります。
それがいけないということではありませんが、それではせっかくコースを学んでいるのに、コースを学んでいないのと同じだと言うことができるでしょう。
もしそうなら、難解なコースをわざわざ学ぶ必要がないというものです。
もちろん、コースの目的をしっかりと分かっておきながら、その目的をすっかり忘れるということはよくあります。
いつのまにか「この世界の夢から目覚める」というコースの目的を忘れて、精神的な平安を得ることやより良い人生になることを目的にしていることはよくあることです。
それが何を意味するのか?というと、それほどまでに私たちは無意識レベルの本当のところでは、目覚めることを、真理を、ひどく恐れている、拒絶しているということです。
コースの学びが深まっていくにつれて、そういうことが自覚/認識できるようになっていきます。
ところが、コースの目的をまったく見誤っていたり、コースの本来の目的とは違うものを目的にコースを学びそして実践をしていたりするなら、その学びと実践は無益な時間を費やすだけのものになってしまうといえます。
それは、私自身のコース学習の経験からも言えることで、私の場合、それによって数年のまわり道した経験があります。
そうなってしまうなら、何年、何十年とまわり道をすることもあるかもしれませんし、極端にいえば、歪曲したコースの教えを学びながらその生涯が終わっていくことも十分にあり得るということです。
ですから、せっかくコースを学ぶのであるならば、正しく学んで、その成果をしっかり体現していきたいものです。
コースという霊性の道は、純粋なる非二元の道なのだということを忘れてはなりません。
このコースは、この世界も、この自分も、死ですらも超越していく、そのような霊性の道だということを忘れないようにしましょう。
ヴィジョン(真の知覚)を修得していくために
コースの観点から言えば、この世界を肉眼で知覚していること自体が、まだまだこの世界に価値を置いていると言うことができます。
この世界にいる私たち誰もが皆そういうことなわけですが、それがいけないということではありません。
コース学習者にとっては、
それがどういうことなのか?
そのことを認識していくことが重要なのだといえましょう。
この世界の中の一つでも価値(重要性)を置くならば、それは自我を選択しているということであり、つまりは、平安(聖霊)を拒絶しているということです。
そして、それによって私たちはこの世界の中に幽閉されることになるわけです。
そう、今や、私たちはその状態になっていると言うことができます。
なので、コース学習者の私たちはこの世界を超えたところへと、つまり、この時空(世界)の外の視座を思い出していくと共に、そこに居る真のアイデンティティー(真の自己)へとシフトしていくことを目指しているということです。
そして、そのための実践手段を「赦し」と呼んでいるわけです。
赦しとは、どういうものか?
というなら、見る(looking)ということです。
それは、
この世界とはどういうものなのか?
私たちが同一化している自我とはどういうものか?
自我(私たち)はこの世界(幻想)を使って何をしているのか?
ということについて見て、はっきりと自覚/認識していくということです。
見ることによって私たちははじめて、「すべてが虚偽である」ことを自覚/認識することがきます。
そう、それが「赦し」であり、その「赦し」によってもたらされる知覚が「ヴィジョン(真の知覚)」と呼ばれるものです。
私たちはコースの学びと実践を通して、その「ヴィジョン(真の知覚)」を修得していくことを試みているのだと言うことができます。
その「ヴィジョン(真の知覚)」は、すべての源である「心の決断の主体」に戻っていくことによってもたらされるものであって、この世界のこと、もの、状況といった形態にとらわれてしまうならば、その知覚を見失ってしまうことになるわけです。
つまりは、この世界のものに価値を置いておきながら、「ヴィジョン(真の知覚)」を修得していくということなどあり得えないということです。
この世界の中に喜び(希望)を見出しているということが、もはやこの世界の牢獄に閉じ込められているということなのだということを覚えておきましょう。
それがいけないということではなく、そういうことをしている自我(自分自身)を見ていくこと、認識していくこと、それが私たちに求められているということです。
「死の夢」から「幸せな赦しの夢」へ
コースの教えは、この世界のあらゆることから自由になっていくことを目的としていると言うことができます。
そういう意味でも、コースはかなり過激な教えだと言うことができます。
ようするに、私たちはコースの実践を通して何を訓練しているのか?
というなら、
この世界に意味や価値を置かなくなり、この世界を超えたところのものに価値を置いていく訓練をしているといえるでしょう。
そうなるとき、私たちはこの世界の夢から自由になり、目覚めていくことになるわけです。
言い換えるなら、そうなっていかないかぎり、この世界に価値を置いたままでこの世界の夢から目覚めることはあり得ないということです。
コースはそのようなスピリチュアリティです。
コースは、そのための具体的な道が示してある霊性の道です。
ちなみに、コースでは、目覚め、覚醒という言葉以外にも、「復活」という言葉でも表現しています。
復活とは、死の夢から目覚めるということです。死の夢とは、「私」のこの人生のことです。
「私の人生」と思っているそれこそ、まさに「死の夢」にしかすぎないとワプニック博士は述べています。
であるにもかかわらず、私たちは「死の夢」でしかないこの人生をどれだけ価値あるもの、重要なものとしていることでしょう!
それを見なさい!そのことを認識しなさい!と、コースのイエス、そしてワプニック博士は教えてくれています。
「死の夢」にしかすぎないものを価値あるもの、重要なものとしてしまっているその愚かさ(狂気さ)を認識しないかぎり、その愚かさ(狂気さ)から自由になることもできなければ、もちろん、その夢から復活(目覚め/覚醒)することもあり得るわけがありません。
でも、そのことを認識していくなら、それは「死の夢」から「幸せな赦しの夢」へとシフトしていくことになっていきます。
「幸せな赦しの夢」は、
「私」はいない、「私の人生」も存在しない、この世界も存在しない、
という真の知覚のシフトと、それに伴うアイデンティティーのシフトによって達成されていきます。
「真の知覚」とは、「心の決断の主体」からみた全一なる知覚のことであり、「ヴィジョン」と呼んでいる知覚のことです。
私たちが知っておくべきことは、「幸せな赦しの夢」とは、この世界の状況や形態が好転して幸せになっていくことではないということです。
真の自己(真のアイデンティティー)は夢の外にいる、つまり、この時空の世界の外にいるのだということを自覚していくことによって、「幸せな赦しの夢」となっていきます。
そう、コース学習の成果はそういうものであり、この世界のこととはまったく関係ない、むしろ、この世を超越したものであるということをしっかりとわきまえてコースを学んでいきましょう。
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