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#父親育児
娘を抱っこしていた。
娘は5歳になるが今でもたまに抱っこをせがんでくる。それは私が娘を甘やかして、求められるままにいつでも抱っこをしていたからだと思う。
こんなに甘えさせて今後、大丈夫かなと思うくらい抱っこをしてきた。
一番覚えているのは、娘が2歳にったころ、埼玉の自宅から川崎の音楽ホールまで「お母さんと一緒」のコンサートに行った時のことである。
この日は電車で出かけたのであるが、娘は一度も地面に足をついていない
私と娘の肌感覚は確実に似ている。
noteで文章を書き始めた理由はいくつかあるが、その大きな一つとして、子どもたちの発言を記録しておきたいということがある。
子どもたちは毎日、いろんなことを言う。よく分からないことだったり、わがままだったりを言うことも多い。
しかし子どもは時としてかわいいことや、親を感動させてくれることをふと言ってくれる。
その時はとても嬉しいのであるが、言葉ってわりと儚いのですぐに忘れてしまう。
だからno
保育園の部屋から聴こえてきた曲を聴いて思い出した。
先日、保育園に子どもをお迎えに行くと、部屋の中から「虹」という曲が聴こえてきた。先生がCDか何かで音楽をかけてくれていたようである。
この曲を私は久しぶりに聴き心が突然掴まれるような、はっとした気持ちになった。
ご存知の方も多いと思うが童謡の「虹」は「庭のシャベルが一日濡れて」の歌詞で始まる素敵な曲だ。
私はこの曲を子育てするようになって知った。
この曲は現在5歳の娘が1歳の時に保育園で覚えて
子どもをそだてること、その決意
子どもに何かを求めてしまう。
子どもと自己を同一視して自己実現の道具にしてしまう。
育児を頑張ってるのだから何か返ってくるものがあってもいいのではと思ってしまう。
自分にもそんな気持ちがあるのだと最近気が付き始めた。
もちろん娘(4歳)と息子(2歳)の人生は私のものではなく、子どもたちのものであり、彼らの人生を私がどうこうしようと考えるのは、思い上がりだというのは分かっている。
でも私が勝手に
キッザニアに行き子どもの成長を実感して嬉しく思っています(素直)
久しぶりにキッザニア東京に行った。
先日は娘の5歳の誕生日であり、娘に誕生日はどうしたいかと聞くと「キッザニアに行きたい」と迷わず答えたのでそうした。
娘は3歳頃から一貫してキッザニアが好きである。キッザニアは、子どもがいろいろなお仕事体験ができるアミューズメント施設である。
各種企業がスポンサーになっているのでかなり本格的な体験ができる。
例えば宅配便の仕事体験はクロネコヤマトがスポンサーな
子ども優先の生活をしていたら、あるバンドの新しい聴き方を発見した。
この前、あまりにも仕事が忙しくて、保育園のお迎えが遅れそうになったことがあった。
ゆっくり夕食の買い物をしている暇もないので、その日は夕食をコンビニで買って帰ることとした。
急いで子どもたち(4歳娘、2歳息子)の好きそうな食べ物を選び、保育園に向かった。ぎりぎり間に合いほっとして家に帰ったのであるが私はそこではっとした。
自分の分の夕食を買い忘れているのだ。
あまりにも慌てていたので、子ども
背伸びしたい娘、そしてその発言から私が考えたこと
4歳の娘は背伸びをしたい年頃のようで、最近大きくなってからのことをやたら気にする。
保育園から帰ると「次が◯◯組でその次が⬜︎⬜︎組でその次が小学校だよね?」とか「小学校行く時に紫色のランドセル買ってね?」など進学することをすでに考え始めている。
私の娘が通う保育園の友達は全員が同じ小学校に行かない。住んでいる場所によって校区が異なり、3つの小学校に別れてしまうのである。
娘は誰に聞いて知った
ドングリに執着する男
2歳の息子は前歯が出ていて、ほっぺたがぷっくりしていてリスっぽい雰囲気がある。
本人もそう感じているのかどうか分からないが、ディズニーのキャラクターのチップとデールに変に親近感をもっているようだ。
絵本を読んでいてチップとデールの絵が出てくると必ず「これ、わたち(私)」と指をさして伝えてくる。(なぜか息子は自分のことを「わたち」と言う)
もしかしたら、息子の前世はリスであり、まだ人間に生まれ
「物体は理想の形であるべき」というタイプのイヤイヤ期
2歳4ヶ月の息子は順調にイヤイヤ期を過ごしている。
数ヶ月前から「ちない(しない)ちない(しない)」と言って、食事や着替えやお風呂に入ることなどをしたがらずに反抗的な態度を取り始めていた。
しかしここのところイヤイヤ期の様子が微妙に変化してきたのである。
相変わらず「ちない(しない))」も言うこともある。
ただ最近のイヤイヤは「物は自分が思った形であるべき」ということによって発揮されている。
子どもに甘い父親であることへの自覚と開き直り
私は子どものころ、親から怒られたり否定されたりすることが多かったので、自分の子どもにはできる限りそうしないでいようと思っている。
また、欲しいものがあまり買ってもらえず、大人になった今、物欲が強いのはその影響だと勝手に考えているので、自分の子どもの欲しいものはわりと買い与えてしまう。
そして何よりも子どもが求めるときは、できるだけそれに付き合って、愛情が伝わるようにしたいと思っている。
娘は
四歳の娘の師匠といえる存在
4歳の娘には師匠というような存在がいる。
それは保育園の一つ上のクラスにいるNちゃんである。
娘は0歳クラスから保育園に行っている。その時に一つ上の1歳クラスにいたのがNちゃんである。
Nちゃんはとにかくしっかりしている。おしゃべりが同じクラスの子よりかなり上手であり、まわりの子を引っ張るような存在だ。
娘が0歳クラス、Nちゃんが1歳クラスの時は二つのクラスが合同で運動会のダンスをした。
娘と息子の食事の向かい方の違い
子どもが二人いる。
同じように育てているつもりだが子どもによって全然違う個性を獲得することがあるのだなと感じることがある。
それは食事についてである。
お姉ちゃんである娘はとにかく偏食である。
離乳食が始まるくらいの時はベビーダノン(子ども向けヨーグルト)を偏愛していてそれ以外食べなかった。
離乳食をあまりにも食べないので、ベビーダノンをかけたお粥を食べさせていたら友達にびっくりされたことが
子どもの言い間違えがかわいすぎるから訂正できない
子どもの言い間違えや舌足らず故の言葉の間違いはなんともかわいいものである。
4歳の娘は2歳くらいのころ「野球」のことを「やきいも」と呼んでいた。
私がナイターを見ていると「パパやきいも好き」、「今日やきいもやってる」などととてもかわいかった。
かわいいので訂正せずに野球のことを私も「やきいも」と呼んでいた。
ただ子どもというのはすごいもので、ある日「パパ今日はやきいも見るからね」と言うと「