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背伸びしたい娘、そしてその発言から私が考えたこと
4歳の娘は背伸びをしたい年頃のようで、最近大きくなってからのことをやたら気にする。
保育園から帰ると「次が◯◯組でその次が⬜︎⬜︎組でその次が小学校だよね?」とか「小学校行く時に紫色のランドセル買ってね?」など進学することをすでに考え始めている。
私の娘が通う保育園の友達は全員が同じ小学校に行かない。住んでいる場所によって校区が異なり、3つの小学校に別れてしまうのである。
娘は誰に聞いて知ったのか、どの友達どの小学校に行くかなぜか分かっている。
「◯◯ちゃんは学校に行っても一緒だね」とか「⬜︎⬜︎ちゃんとは違う学校だからさみしい」というようなことを言ってくる。
我が子ながらいろんなことを理解してきてるのだなーと思って聞いている。
そしてさらに私が子ども頃の学校のことについても興味があるようで、パパの小学校一年生は何組だったか、中学校三年生の時の担任の先生は誰だったかなどを聞いてくる。
昔のことなのですぐには答えられないが、ちゃんと答えを出さないと娘は怒るので、頑張って思い出している。
学校時代の担任の名前なんかは普通に暮らしていたら思い返すことなどほぼない。
期せずして、ずいぶん久しぶりに小学校や中学校のことに思いを馳せる機会になった。
そして、娘の背伸びしたい感は大人の持ち物が早く欲しいという気持ちにも表れる。
どれくらいの年齢になったら何が買ってもらえるかも気になるのだ。
例えば「お財布は何年生で買える?小学校一年生で買える?」とか「携帯は中学校?」など私に聞いてくる。
そしてやはり「パパは何歳の時に携帯を買ったの?」と私のこともどうであったか知りたいようなのだ。
そんな会話の中で「昔の携帯は電話しかできなかったんだよ、写真も動画も撮れないし、YouTubeも見れなかったんだよ」というと娘はしばらく絶句した。
そして悲しそうな顔をしながら「パパかわいそうだったね…大丈夫だった?」とものすごく心配そうに言うのである。
「昔はそれが普通だったから何とも思わなかったよ」と言ってもよく分からないようで「パパ悲しかったね…」と謎の同情をしてくれた。
娘にとって携帯(スマートフォン)がある世の中が当たり前すぎて、それがないことが理解できないのであろう。
私にとってはスマートフォンがない時代を生きていた日々の方がまだ長いので、それがなくても普通に暮らせるイメージがある。
しかし、スマートフォンがあるのが普通である世代が、もうわりとたくさんいるのだと、当たり前のことながら気が付き不思議な気持ちになった。
でも私だってテレビやエアコンや洗濯機がない世の中は想像もできない。
私の祖父母の小さいころは、それらがなくても普通に暮らしていたという事実は、頭では理解できてもイメージがもちにくい。
こうして世の中はどんどん便利になっていき(それがいいか悪いかは別として)それに伴ってジェネレーションギャプが生まれていくのだなと妙に考えさせられてしまった。
きっと娘が大きくなって今の私くらいの歳になったら、現在では考えられないくらい便利な物が開発されているのだろう。
そしてそれがあることが当たり前に思う世代が出てくる。
こんな繰り返しが脈々と続いているのだなと、思いを巡らせることになった。
図らずも、なかなか考えさせられたなと思った娘の発言であった。
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