しろ note850日目くらい 

二児の父。ランニング好き。ロックフェス好き。読書好き。カープ好き。ラーメン好き。松屋好…

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二児の父。ランニング好き。ロックフェス好き。読書好き。カープ好き。ラーメン好き。松屋好き。

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はたらくことの喜びについては、だいたい恋ヶ窪の焼き鳥屋で学んだ

大学入学のために上京して、はじめて住んだのは国分寺市の恋ヶ窪というところだった。 とてもこじんまりとはしているものの、なんだかほんわかしたいい街だった。 何より恋ヶ窪という地名に惹かれた。 恋ヶ窪というそれだけでときめくような地名があるなんて、さすが東京だと18歳の私はとても感心したことをよく覚えている。 はじめて一人暮らしをした街なので、思い出はいくらでも汲み出てくる。 生まれてはじめて感じるような心躍ること、今でも辛いくらい嫌な気持ちになったこと、ここでは到底書け

    • すごくテンション

      情緒不安定を国是とし、それを信念として生きている。まったく誇るべきことではない上に、人格として破綻しているので、なんの言い訳もできないが事実なので申し訳ないが許していただけると本当にありがたい。 二週間くらい前、私は体調があまり良くなく、それに伴い気分も落ちていた。健全な肉体に健全な精神は宿るのだ。 健肉健精である。 元気があればなんでもできるとはよく言ったもので、アントキの猪木である。 人生はあなたが思うほど悪くない。早く元気出して、あの笑顔を見せてほしい。それはまりや

      • 母とひたすら餃子を包む

        子どもの頃は辛いことが多かった。 私は不器用でどんくさい子どもだったので、学校であまりいいことがなかった。 できないことがたくさんあって自己肯定感が下がる場面が多かった。 そして子どもとは残酷なものでそのような、できない子どものことをあげつらったり、からかったりする。 私もずいぶん、クラスメイトからバカにされて嫌な思いをした。 私が鉄棒ができない様子を真似されたり、私が描いた自画像が下手すぎてタコみたいと言われたり、リコーダーのテストでコソコソ笑われたりとかそんな経験をた

        • うれしはずかし初体験

          この歳になるとなかなか初体験ということはしなくなる。 もちろんこれまでの人生で、やったことがないことはたくさんある。 ラクダに乗ったり、ドリアンを食べたり、インディードに登録したり、アスクルで名刺を作ったり、社内のクラウドを整備したりとまだやったことがないことが少し考えただけでもたくさん思い付く。 一般的に歳を取ると人は保守的になり、なかなか若い頃のように思い切って新しいことをはじめなくなるのではないのかなと私は考えている。 そんな中で私は、先日、久しぶりの初体験をし

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        • 父親としての子育て
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          敵は杉並区にあり

          見えない敵と戦う。それは辛いことである。 目の前に明らかに敵と分かる相手がいれば、その出方によって戦う方法も考えられる。 正々堂々と真正面から勝負を挑まれるならば、相手にならなくはないという覚悟はもっているつもりだ。 ちょっと強そうな人だったら、全力で逃げるかもしれないが、目の前に相手がいれば逃げるか逃げないかという判断も自分でできる。 敵が目に見えていれば対策の取りようがあるのだ。 ただ、いくさの相手が見えない場合は様相が変わってくる。 明らかに敵はいるのだが、表

          もうゲームなんてしないなんて言わないよ絶対

          私は楽な方に流されやすい性格である。 大河に落ちた一葉の枯葉くらい流されやすい。 楽しんごという名前を見て、はっとするくらい楽が好きである。ドドスコしてしまうくらい楽な方向へ行きがちだ。 そして今週も流された。楽な方へと。 川の流れのようにおだやかにこの身を任せてしまったのである。楽な方へと。 どういうことかというと、今週、私はゲームを始めてしまった。 そもそも私はゲームが大好きで小学生の頃から、ゲームが友達というような生活を送っていた。 大人になってからもプレーステ

          もうゲームなんてしないなんて言わないよ絶対

          泣いてもいいですか

          娘が産まれてきてから涙もろくなったなと思う。娘が産まれる以前は感動することや悲しいことがあっても涙ぐむということはまずなかった。 すごく小さい頃はもちろん頻繁に泣いていたのだろうが、私の記憶にある、私が大泣きした経験は小3の時に友達と喧嘩をした時くらいだ。 それが娘が産まれてから大きく変わった。 娘の成長を感じる機会があると、すぐに涙腺が緩む。 それが顕著に現れるのが保育園の行事だ。 発表会や運動会はほんとうにやばい。 油断をしているとすぐに泣いてしまう。 娘は

          泣いてもいいですか

          節分と逸脱

          私は日々、目立たず、慎ましやかな人生を送っている。 昼間は与えられた仕事を無難にこなし、夜は子どもたち(6歳娘、4歳息子)の世話を見る。 そんな普通な人生を私は送っている。私は普通が好きだし、普通を維持することは普通に難しいことだと思っているので、それだけで満足している部分はある。 しかしどこかで突き抜けたいという気持ちをもっているということも事実である。 ちょっと世代からずれるが夜の校舎窓ガラス壊してまわりたい気分になることがあるのだ。 盗んだバイクで走りだしてはい

          ラブ大阪

          私は三重県出身の自称関西人であるが、関西には全く詳しくない。18で上京して、関東で暮らす年月の方が長くなっているので、関西のことより東京近辺のことの方がよほど詳しくなっている。 ただ、やはり出身地に近い場所には興味があるのだ。 そういった中で私は、大阪の新今宮の再開発に数年前から興味をもっていた。 大阪のことは詳しくないが、新今宮周辺は労働者の街であり、あの有名な通天閣があるということはなんとなく知っている。 そして二度付け禁止の串カツ屋さんもたくさんあるらしい。 私が

          駅弁と両極化

          2024年1月1日 私の実家(三重)に行くために、東京駅から新幹線に乗った。 新幹線に乗る時の楽しみといえば、なんと言っても車内で駅弁を食べることである。 デパートなどでわざわざ駅弁フェアをやるくらい、世の中の人は駅弁に心をときめかせる。 駅弁の中には食べ物だけでなく、旅情や夢が詰まっていると言っても過言ではないだろう。 私、妻、娘(6歳)、息子(4歳)は駅弁を吟味するために、乗るべき新幹線の発車時刻よりだいぶ前に東京駅に到着した。 東京駅は人でごった返していたが

          ライフタイムリスペクト

          年末年始は、餅つきをしたり、フェスに行ったり、高校サッカーを見に行ったり、妻の実家に泊まったり、私の実家に出かけたり、大阪へ旅行したりとなかなか忙しかった。 そのためnoteを書いたり、読んだりする時間がほとんど取れなかった。 というのはすごく言い訳である。確かに忙しかったが、スマホを触るくらいの時間はいくらでもあった。 シャ乱Qくらいの言い訳をしてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいである。 なぜnoteができなかったか。 その中心的かつ、ほぼすべてを占める理由は

          ライフタイムリスペクト

          たぶん最高の年末

          日記の続きを書きたくなった。 なんも面白くないかもしれないが、面白くなる可能性もほんの僅かにあるので、ギャンブル的にこの後の文章を読んでいただければ嬉しい。 12月29日 カウントダウンジャパンという音楽フェスに行く。毎年参加していたフェスだが、ここ数年は子どもの参加が禁止されていた。今年からそれが撤廃されたのでチケットをとってみたのである。 息子がvaundyにノリノリであった。ずっと踊っていた。ところでこのバウンディの綴りはあっているだろうか?数日前に公開した記事の横

          TADANO日記

          ただの日記だ。 年末年始にあったことを記録しておきたい。 きっと何年か後には忘れてしまうので、ここに記しておく。 それをすることに意味があるのかはよく分からないが、人が生きてきた証は歴史であり、その歴史は記録しておかなければ改竄されてしまうこともある。 いや別にそんな大したことではない。 ほんとうにただの日記が書きたいと思っただけなのになぜこんな前置きが必要なのだろうか? すぐに思いつく理由が一つあって、たぶんこの文章には面白みとオチがないからということである。 文

          夢、それは誰かの夢をかなえること

          私の夢は、誰かの夢をかなえるためにお金を使いたいということだ。 漠然としている上にきれいごとっぽいが、そう思うようになったのには、はっきりとした理由がある。 そんな経験を今日は書いていきたいなと思う。 私は小さい頃からなんとなくお金持ちになりたいなと思っていた。 なぜお金持ちになりたいと思ったかというと、美味しいものが食べたいとか、いいところに住みたいとか、海外旅行に行きたいとか、甚だ自己本位な理由であった。 幼いがゆえの未熟さから出た考えだった。 大人になり、小

          夢、それは誰かの夢をかなえること

          共感性羞恥2024

          この恋がいつか終わりますように。 そんなことを考えて去年は一年間ずっとずっと文章を書いてきた。 あなたのことをいつか忘れられるだろうって儚い願いだけとともに、忘れようとしてるってことは覚えてるってことだよってその矛盾を噛み締めながら生きてきた。 そんな人生も悪くはないと思うこと自体が悪いってことはよくよく分かっているんだけれど、常識だけでは人の心って量れないよね。 そんな毎日。 今年はあなたのことはどうか忘れて暮らしていきます。 あなたのとびきりの笑顔と一番困った時

          運の使いどころ間違ってる問題

          運、もってる人ももってない人もいると思う。 私はどうかなと内省すると普通であると思わざるを得ない。 日々悩んだり困ったりすることはあるが、衣食住が足りて普通に暮らしていられるのでそれだけで運が悪くないと言える。 ただ宝くじが当たったり、投資とか株とかで大儲けできたりするわけではなく細々と生活しているので別に運がいいわけでもないと言うこともできる。 つまり普通である。 ただ私がただ一つだけ、人より圧倒的に運がいいと思うことがある。 それはコンビニのくじについてである。

          運の使いどころ間違ってる問題