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新しい快感、快楽

仕事が忙しい。
忙しすぎてなかなか文章を書くことに気持ちが向かない日々が続いている。
頑張って書きたいと思いつつ気力が湧かないのである。

というのも仕事のポジションが変わり、人前で話す機会が増えた。むしろそれが中心的な仕事になった。

だからというのは言い訳にはなるのかもしれないが、noteで文章を書き、自己表現するということから遠ざかっていた。

ただ4月から仕事におけるポジションが変わり、それに伴い自分の心境にどんな変化があったか記録したくなりこの文章を書いている。

読んでくれている人には大して面白くないかもしれないが、私のこの2ヶ月半の心のうちを感じとってもいいよという寛容な方がいればこの後も読み進んで欲しいなと思う。

そもそも私はものすごく引っ込み思案な子どもであった。多くの人の前で話すなんてとんでもなく、友達とまともにコミュニケーションを取ることすら難しかった。

それは小学校、中学校、高校と続き、今思えばかなり日陰な子ども時代を送ってきた。

親と兄弟以外と話さない日もかなり多かったように思う。
たまにクラスメートに話しかけられると「あのっあのっ」「えっとえっと」「くえっくぇっ」などと典型的なコミュニケーション障害のような反応を示していた。

女子に話しかけようものなら「あっあっ、あっあっ」と数多くある音声のうちの「a」以外は話せないという状況だった。

ただ大学生になり、多少はそれも改善して友達とはそこそこ話せるようになりはした。仲がいい友達とは拙いながら、心のうちを話したりしたし、彼女もできてコミュニケーション能力もほんの少しはついてきた。

しかしコミュニケーション不全という根っからの個性は根深く残っており、卒業論文の発表会などわりと多くの人の前で話す場面ではものすごく緊張し、発表会の前日から吐き気が止まらないほどだった。

それは仕事に就いてからも変わらず、身近な同僚とはコミュニケーションは取れたものの、多くの人の前で話すという場面があると緊張感がとてつもなかった。

ただ歳を重ね経験を積むことで、職場の若手を前にして話をする機会はこれまでも何回かあった。

ただそれはわりと少人数でフランクな会だったので、私が話をしつつも若手の悩みや意見を聞きつつ進めていた。それくらいなら極度に緊張が強く、コミュニケーションが苦手な私でもなんとかできるようになっていた。

そんなフランクな会を何度か重ねたことが評価されたのかよく分からないが、4月から、若手を中心に人前でノウハウを伝えるようなポジションになった。

ただ自分としてはどんなことをしたらいいかよく分からないし、何が求められているのか理解ができていなかったので戸惑いつつも新しい仕事に取り組んでいた。

そんなある日に、上司からメールで「今度新しく入ってきた人になんかいいこと話してね」というようなメールが入ってきた。

私としては去年度までやっていた、数十人の若手とフランクな研修会を行えばいいと受け取ったので気楽に「分かりました」と返信をした。

ただ、後で上司のメールよく添付資料をよく見ると驚いた。

それは数十名の研修会ではなかった。
私の職場の東京都にいる若手数百名全体に対する講演会だったのである。

とあるホールを借りて、そこに若手を集めて私が壇上に上がり話を1時間もするということになっているのだ。

壇上で数百名の前に出て1時間も喋るの?と軽くパニックになった。
そもそも人前で話すことが出来なかった私にそんなことできるのだろうか?
なぜそんなことを私に頼んでくるのかと、依頼者側のミスではないかと思ったほどである。

そんな不安でいっぱいな気持ちをもちながら、私は当日ホールに向かった。

もちろんスライド資料は作ってあり、前もって講演会の事務局に送っていた。
上司からはその資料をもとにどんなことを話すか、原稿も作っていった方がいいと言われたので、それも作成して持参した。

準備は万端ではあるが不安であることには変わりはない。むしろ講演会の時間が近づくにつれて不安は最高潮である。
途中でなにも喋れなくなったら、誰がその後をフォローするのだろうかなどと考えていた。
司会の人が「もうこの講師のライフはゼロになったので今日はこれでおしまいです」なんて言ってくれるのかなと妄想すらしていた。


会場に着き緊張マックスの中、楽屋のような場所に通されそこで少し待ち、事務局の人から促されて裏から壇上に向かう。


その道中はドキドキであった。

ただ壇上に登り、人前に出た時である。

その瞬間、緊張が全て消え去った。

どういう原理かは分からないが、ここで私は喋ることができるなとその時感覚的に理解した。

引っ込み思案でコミュニケーション能力が不足していた私であるが、この時はなぜかできる気がした。

結果的に、作ってきた原稿は全く読まず、スライド資料はもとにしているものの、アドリブで1時間話すことができた。

壇上で話すことって気持ちいい、というのが一番の感想である。

人より高いところに立ち、話すということは私にとっては僭越なことである。
聞いてくれた人たちには申し訳ない気持ちでいっぱいでもある。

ただこの快感を一度味合うとやばい。病みつきになりそうである。ほんと危険だ。

私の快楽のために多くの人を付き合わせてすみません、というような気持ちにすらなった。

ただその講演会後に、各方面から、熱い講演が聞けたとか、今までの研修にはないような話だったとか、あんなこと言っちゃっていいんですか?私は面白かったですけど、など反響はかなりあったのでホッとした。

いやホッとしてはいけない感想なのかもしれないが、講演を聞いてくれた人の、何人かの心の片隅にでも残れば嬉しいなと思っている。

そして何よりも私にとって新しい喜びを見つけた一日だった。

おしまい

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