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私は震えている。

夢の終わり。
または喪失感。

娘の卒園式が先日あった。

それはもう素晴らしい式であった。

私は娘が会場に入場するやいなや涙が堪えきれなかった。

娘はというと先生に、まっすぐ前を向いて姿勢を良くして座るということを教えられているようで、保護者席には目もくれない。ちょっとさみしい。

卒園生が歌を披露する場面でも、先生の方を向き真面目に歌っている。

私はその歌を聴きさらに涙が溢れる。

娘のクラスメイトには泣いてしまって歌うどころではない子も出てきている。
私はそんな姿を見て、さらにもらい泣きしてしまうのである。

そして卒園式は佳境に入り、子どもたちが保護者に手紙を読むという場面になった。
私の娘は堂々と花道を歩み、手紙を持ちそれを読み始めた。普通にしっかり読めていてさすがだなと思ったその時である。

今まで涙はおろか全く動揺する様子を見せず、余裕な雰囲気で卒園式に参加していた娘が、急に泣き崩れたのだ。

「パパ…毎日…お迎えに来てくれて…ありがと…」
娘は普段の快活な喋りとはまったく真逆で、辿々しく何とか言葉を口に出そうとするような様子で手紙を読み続ける。さっきまではしっかりしていたのに、どうして急に?と私も動揺した。

そんな健気な娘を前にしてもう堪えきれない。涙がとめどなく流れることはもちろんとして、身体が震える。

全盛期の西野カナの100倍は震えてしまっている。

私の身体の震え方と涙の止め方のトリセツを読みたいくらいだ。

娘は涙ながらになんとか手紙を読み終えた。
私は号泣しつつ、保護者席に戻った。

今振り返ると、保育園とは私たち家族にとって当たり前の場所だった。
娘は0歳児クラスから保育園に行っている。

まだ歩くことすらできない時から通っている。

娘にとっては人生の中で、家にいる時間より保育園で過ごす時の方が多い。

私と妻は仕事が生き甲斐なところもあり、保育園に子どもを預けることはある意味、自分本位だと後ろめたい気持ちもあった。

私か妻かどちらかが仕事を辞めて、保育園に預けずに育児をすることも可能だからである。

しかし私たちは保育園に子どもを登園させることを選択した。保育園で子どもが辛い思いをしていないか、嫌なことはないかと心配することはもちろんあった。

ただ娘は保育園で多くのことを学び、人間的に大いに成長したなと思う。

人との関わり方や思いやりなど、親である私たちが教えきれていないことが、保育園にで学ぶことによって身に付いている。

保育園の先生たちには感謝してもしきれない。
ありがとうを伝えたい。いきものがかりの200倍くらいのありがとうを今、私は保育園の先生にはお伝えしたいのである。

娘は卒園式の後に、先生に「学校に行っても頑張るね」と涙ながらに言っていた。

学校では保育園と違っていろいろ大変なことがあるだろう。

保育園という守られた、夢のような環境の中から飛び出して、新しい場所に進む娘。

娘にとっては喪失感はあるだろうが、保育園で培った経験を活かして、強く生きていって欲しいと父親である私は思う。

そしてこんなことを書いていると想いがいっぱいになり、また西野カナのように震えて震えてどうしようもないのである。

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