入学式は泣かない。
時の流れは早い。
子どもの成長は想像以上にあっという間である。川の流れのようにゆるやかではなく、華厳の滝のようなたちまちさである。
たちまちさという日本語があるのかよく分からないが、今の素直な感情からでた言葉なので許して欲しい。
何が言いたいかというと先日、娘の入学式があったのだ。
あんなに小さくて幼くてかわいかった娘が小学生になるなんて。
本当にびっくりする。0歳児クラスで保育園に娘を入れたのだが、はじめてお迎えに行った日をまるで昨日のことのように覚えている。
私がお迎えに行くと、そのころまだ歩くことができなかった娘は、健気におしり歩きで私のところに来てくれた。
そんな小さな頃のことの印象が深い。
毎日、たくさん歌をうたい寝かしつけたこと、絵本を読んでそのまま眠りについたこと、小さかった娘と一緒に歩んだ日々を思い出す。
そんな娘がもう小学生である。
「もう中学生」くらい何か作り物をしてボケてくれるのだろうか。有吉を喜ばすことはできるのだろうか。
もう中ならぬ、もう小である。
話はそれたが入学式である。
妻が仕事の都合でどうしても出られなかったので私だけが参加した。
学校に着くとクラスのメンバー表みたいなのが貼ってあり、娘は保育園の友達が2人も同じクラスであることを知り喜んでいた。
体育館に入ると同じ保育園や幼稚園ごとになんとなく固まっていて、私と娘も仲間がいるところに行き、写真を撮ったり雑談したりと入学式が始まるまでの時間を過ごした。
仲間っていいなと思った瞬間である。不安を胸に私と娘は小学校にやってきたが、顔馴染みの仲間がいることでだいぶ気持ちが和らいだ。
これなら安心して入学式を迎えられそうだ。
そして入学式がはじまる。
卒園式ほどじゃないにしても、私にとって入学式は感情を揺さぶるものだろうなと思っていた。まだまだ小さいと思っている娘が小学校に入学するのだ。これは感動必至である。卒園式にみっともないくらいに号泣した私は、また泣いてしまうのではないかと心配していた。
ただその懸念は意外な形で杞憂に終わったのだ。
それはなぜかというと、入学式がはじまり君が代をみんなで歌うのであるが、音楽の先生がピアノの伴奏を失敗しまくるのだ。
きっとものすごく音楽の先生は緊張していたのだろう。楽器の演奏に詳しくない私でも分かるほどのミスタッチの連続だ。
「分かった…お前は良くやった…もう休め…後のことは心配するな…」と言葉をかけてやりたいほどの伴奏である。
最後までなんとか弾き終えた時には私は拍手を送りたくなった。
と同時にこの後、校長先生とかにこの音楽の先生が怒られないか心配になってしまったのである。
もう娘の入学式に感慨深くなっているどころではない。
音楽の先生の今後の立ち位置について、思いを馳せるモードに入ってしまった。
音楽の先生、きっとたくさん練習したんだろうけど、本番の空気にのまれてやってしまったんだろうなぁ。私も仕事で緊張した時にいつものパフォーマンスができなくなる時があるから気持ちはわかるなぁとそのことに思考が支配された。
そして式もつつがなく進み、最後に校歌斉唱の場面で音楽の先生が出てきて、またピアノの前に座る。
君が代ショックもあってイップスのような状態になっていたのだろう。
校歌の前奏を2回ほど盛大に間違えてやり直して、3回目にはたどたどしくもなんとか弾き通すことができた。
もはや入学おめでとうではない。伴奏おめでとうである。
音楽の先生を心配するあまり、私がみっともなく号泣することがなかったのでむしろ感謝である。
娘には楽しく学校生活を送って欲しい。
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