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てへぺろ

家事分担の気づきというお題がnote公式から出された。
ここは家事育児系noter(自称)の私の出番である。
私はこれまで誰の役にも立たない家事や育児についての記事をnoteで100くらい書いてきた。

100というのはものすごく適当でもしかしたら50くらいかもしれないし、200くらい書いているかもしれない。基本的に私は物を数えることと過去を振り返ることはしないので、そのあたりはものすごく曖昧である。

曖昧模糊としている。

そして曖昧模糊としているという表現を使いたいだけで数字の話を持ち出したのかもしれないと、瞬時に自己分析した。

それは目にも止まらぬ一瞬である。
矢を放つや否や獲物の背を射止めたくらいの名手の所業である。

そんなどうでもいいことを言う理由も実は私の中で明確にもっている。

それはどういうことかというと、家庭の家事育児分担にはそれぞれの家のやり方があり、それを実社会で表明するとあんまりいいことがないと実感しているからだ。

だからテーマに沿って、家事分担について書こうとしているもののそれほど気が進まない。
気が進まないなら書かなければいいのだが、重症note中毒の私は、note公式から出されたお題についてはなにかを表現しなければ気がすまないところまで精神を蝕まれている。

全部noteくんのせいなんだからね、ぷんぷん。

だから余計な話を挟みたくなる。

家事育児分担を夫婦でどのような比率でやっているかということについては、各家庭の都合による。私はその家庭が模索して辿り着いたその分担比率がおそらくベターな答えなのだと思っている。

しかしというか、だからこそというか他の家庭の家事育児分担を聞くと、なんかそれって違うんじゃないとモヤモヤする人が多いのではないかと思うのである。

また、男性の立場からいうとあまり家事育児をしているアピールをするのは得策でないと感じることが多い。

私の現状の家事育児分担としては、朝は妻が行い、夜は私が行うというものである。朝は妻と娘(6歳)および息子(4歳)が起きる前に私は仕事に向かう。

その代わり、私は夕方に保育園に娘と息子を保育園に迎えに行き、寝かしつけるところまでする。妻は私と子どもたちが寝静まった頃に帰ってくる。

私たち夫婦は年収がほぼ一緒であるので、家事育児についても、朝と夜に分けることで平等に行おうというスタイルに落ち着いた。

お互いができる時間で仕事をして、できる時間で家事育児をするという完全分業制度である。

これはうちの生活様式やお金の稼ぎ方や私と妻の性格から生み出した形である。

これが誰にでも当てはまるなんて到底思わないし、これが正しいなどと思ったことなどない。

ただ、うちではこれ以外の方法で家事育児をすると夫婦の関係、親子の関係がよくなくなるという歴史があり、その歴史的反省によりいまの感じに落ち着いた。

ようやく結論めいたことを言うと、家事や育児分担なんて「それぞれの家庭が勝手に気づけばいいのでは?」ということである。

あれ、なんかnote大好き人間の自分が、note運営に対してテーマ設定がよくないんじゃないの?と異をとなえるような結果になってしまった。

でもnote運営の人たちは寛容かつ寛大で海のように心が広く、山のように動かざるごとしなので許していただけますよね?

てへぺろ。

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