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読書感想 『雌伏30年』 マキタスポーツ  「自意識との格闘の歴史」

   テレビドラマを見ていると、気がついたら、姿を目にしている。それだけ、いわゆる脇役として、かなりの頻度で出演しているのだろう。

  出てくるたびに「マキタスポーツだ」と、心の中で思ってしまうのは、ポッドキャストから始めてラジオ番組にまでなった放送の中で、その話す声を聞いていて、勝手に微妙ななじみ感を持ってしまっていたからだと思う。

  ただ、実は、そのマキタスポーツ(本名・槙田雄司)という人のことを、本当に知らないのを、この本を読んで分からされた。というより、当たり前だけど、他人のことは、そう簡単に知ることができない、ということなのかもしれない。


(※ここから先は、小説の内容にも触れている部分があります。未読の方で、これから、何の前知識もないまま、読みたい、という方は、ご注意くだされば、ありがたく思います)。




『雌伏三十年』 マキタスポーツ

   主人公は、いつの頃からか、自分は特別な存在だと思いながら、生きていることに気がつく。子ども時代も、学生時代も、読んでいる側も、全く同じではないけれど、特に男性であれば、どこか思い当たるようなエピソードの数がとても豊富だと思う。

   例えば、高校生の頃。

   そして、3年になり、一般推薦という形で適当に大学を決めた。
 本気を出さず、なんとなくやっていても、それなりのところまで達してしまう。そもそも俺の生まれ育ったこの地は、本気になることを嘲笑うような風潮もあった。
 俺にとって山梨は狭すぎる。だから俺は東京に出ることにした。
 1988年4月、憧れのキャンパスライフを夢見て、先に上京していた兄貴の住む明大前の風呂無しアパートで暮らし始めた。が、予想していたものとは程遠い生活がそこには待っていた。愕然。人生初の、深い、愕然だった。

 それから、大学に行かなくなったり、再び通い始めたり、夜の世界で働いたり、自分は特別な存在、という自意識は保ちながら、一度は山梨に戻ることになったりしながらも、特に音楽に関しては才能があると強く思い続け、本当にいろいろな方向へ進み、いろいろな人に出会ったり、何かにぶつかったり、そこから逸れたりし続ける。

 その右往左往の様子が、もちろん全部が本当ではないのだろうけど、その逸れ方の自分ではコントロールできない感じや、その変化がそれほど劇的でない度合いや、出会う人たちとの関わり合い方の変化が、かなりリアルに描かれていて、生きていくことは、偶然の積み重ねに過ぎないのではないか、という実感が確かめられるように、小説の中の年月も進んでいく。

流転

 うまくいくことは、とても少ない。
 華やかさとは、かなり遠い。
 それでも、バンドを組んで、音楽を続ける。

 それは、本当に「流転する」という表現がピッタリだった。

 メンバーは辞めたり、新しく入ってきたり、音楽のスタイルも、主人公は、成果を求めて、様々な試行錯誤をするが、やっぱり、目を見張るような結果は出ないままで、だから、メンバーから、こんな言葉も出てくる。

「この際だから言うけど、おっさんは理屈で音楽をやろうとし過ぎてた。俺は音楽で金を稼ごうなんて思ったことがない、純粋に音楽をやるだけだ、音楽が目的なんだ、でもおまえは音楽が手段になってる。おまえは音楽で成功したいと思ってるかもしれないが、音楽はサクセスの道具じゃない。おまえはいつも時代がこうだから、ああだからとか御託を言う。時代なんか関係ないんだよ、楽しんでる奴のとこに人は集まるんだ。だから、自分が楽しくないって心の声が出たんなら、原田は楽しい方向に身体を持って行けばいい。俺もそうするだけだ。それは誰にも止められ無ぇんだ。」

 主人公にとって、こうした外からの「痛い言葉」もきちんと残すことが、この小説の魅力的なところだと思うのだけど、そのうちに、意外なところから、チャンスが来て、音楽の仕事は増え始める。この思いも寄らない展開にも、どこか戸惑いを持ったまま、それでも乗り続けるしかなくなる。

 一方、交際範囲は広がる。番組プロデューサーはもちろん、制作会社の社長さんだの、フォトグラファーだの、演劇人だの、魑魅魍魎。そういった奴らと酒を酌み交わす日々。そして彼らが決まって言うことは「縁」とか「運」だった。出た、まただ。縁ってなんだ?運がなんだっていうんだ。 

 ただ、この小説全体でも、もしくは、実際に生きる時間が長くなるほど、成果が出るということは、「縁」や「運」が必須ではないか。そういう実感が深まるから、ここに出てくる、いわゆる「業界人」が、この言葉を連発するのは、挨拶がわりでもありながら、本当のことなのだろうという印象にもなるが、主人公は、まだここから流転する。

 音楽だけじゃやってられないと、タレント業への舵を切る。すると、今度はお笑い芸人と勘違いされるようになった。

 俺と世間のつなぎ目にある信用は「禿げた、調子のいいおっさん」だ。発注通りのことをすればウケる。「そうじゃない、本当の俺はこうなんだ!」とやれば金は転がり込んでこない。たしかに俺は金は手にした。しかし、気が付けば「俺」はどこにでもいる「普通のタレント」だった。

 皮肉なことに、芸能界という場所で、自分の自意識の強さは、特別ではないことにも気がついてしまう。

思えば、芸能界というところは、良くも悪くも、発狂スレスレの思い込み、否、「念」を持った奴らがウヨウヨいる世界だ。味が強い。それらと比べると、自分の考えなど澄まし汁程度に薄味に感じられた。

家族と自意識

 気がついたら、子供もできて、結婚もすることになる。

 それから、主人公はライブハウスの店長として働きながらも、さらに、ラブホテルの清掃のバイトもし、その間に、自らの企画で、様々なことも続ける。家庭のこともあるから、とても忙しく、密度が高いけれど、ずっと不本意は抱えたままで、さらに年月は進む。

「げんこつ山のたぬきさん」とは、親側の絶望を歌った歌なのだ。〝親側の絶望〟とは何か?それは「自分の時間」に対してである。
 彼女のせいで、本当に時間は奪われた。
 まず睡眠時間。そして、音楽を聴く時間、読書、映画鑑賞。これら俺にとって絶対必要な時間がまったく取れなくなっていた。まして、飲みに行く時間なんてもってのほか。否、厳密には飲みには行っていた。が、母となった愛美の手前、すっきりとした気持ちで飲みに行けなくなっていた。後ろめたいのだ。

 そうしているうちに、酒量が増え、妻も病気になり、母親も亡くなり、人間として生きている以上、避けられない様々な出来事が起こり、どうしても対応していかざるを得なくて、それにも、格闘するように一つ一つ取り組んでいく。

 それらの出来事が、整理されて、すっきりと伏線が回収するようなこともなく、ただ、雑然としたまま進んでいくように感じるのは、かなり正直に率直に作者が描いているからだろうけれど、それだけに、時々、経験したことがないのに、自分もそこにいたような気持ちになる時さえある。

 それは、生きていく中で、赤裸々な事実というのではなく、もっと色としては曖昧だけど、それだけに、実は、本当は忘れてはいけない思いや、出来事が、かなり正確に、しかも膨大に、ここに記されているからだと思った。

 そして、主人公は、本当に思いもよらぬ「縁」から、映画に出演することになり、それが新人賞を受賞することになる。

これまで、いくつも名前を変えて行きながら世間を渡ってきた俺は、三平でもなく、アツシでもない、「橋本」で賞を獲った。俺は、世間では「苦労人」で「浮かばれない人」だったのだ。「俺」の使い方を知っていたのは、俺ではなく他人様だった。

 雌伏三十年が、ここで一応終わったかもしれないが、そうなると、主人公の年齢から考えると、中学生くらいから「雌伏」していたということなのだろうか。それとも、もしかしたら、著者の実感としては、つい最近まで続いていた、とういことなのだろうか、などと思ってしまうが、そんな邪推とは無縁なことが最後に起きる。

 それは、「起きる」という動詞がふさわしいのではなく、気がついたら、そうなっていた、というようなことなのだろうけど、あれだけ、まるで心身に染みるほどの「自意識の強さ」に悩まされていたはずのに、そこからかなり解放されていることに、穏やかに、どこか諦めと共に、気がつくことになる。

 槙田雄司は、明らかに「成功者」の一人であり、だから、自伝的小説は、苦労の末に成功しました、というストーリーになりがちで、そうなると、「成功していない読者」にとっては、妬みや僻みに支配されることもあるのだけど、「自意識との格闘の歴史」を、率直に描いてくれているから、普遍的で、素直に共感できると思う。

 ただ、それは、ある程度の年齢以上の男性に限った感じ方かもしれない、という偏りはあるのだろう、とも同時に思った。

おすすめしたい人

 特に昭和生まれの男性で、1980年代を、自分のこととして知っている方でしたら、少し長い休みのときに読む作品としては、かなり強めにおすすめできると思います。

 もしくは、男性の自意識のようなものに対して、どうもわからない、と疑問を持っていらっしゃって、それを理解したいという女性の方にも、比較的、強くおすすめできると思いました。


 さらに、まだ若い人も、この作品に接することで、これから生きていく時間に対しての不安が、もしかしたら、少し減るかもしれません。

 人生は、いつどこで何が起こるかわからない。それを、これだけ具体的に細やかに描いた小説も珍しいと思うからです。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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