読書感想 『雌伏30年』 マキタスポーツ 「自意識との格闘の歴史」
テレビドラマを見ていると、気がついたら、姿を目にしている。それだけ、いわゆる脇役として、かなりの頻度で出演しているのだろう。
出てくるたびに「マキタスポーツだ」と、心の中で思ってしまうのは、ポッドキャストから始めてラジオ番組にまでなった放送の中で、その話す声を聞いていて、勝手に微妙ななじみ感を持ってしまっていたからだと思う。
ただ、実は、そのマキタスポーツ(本名・槙田雄司)という人のことを、本当に知らないのを、この本を読んで分からされた。というより、当たり前だけど、他人のことは、そう簡単に知ることができない、ということなのかもしれない。
(※ここから先は、小説の内容にも触れている部分があります。未読の方で、これから、何の前知識もないまま、読みたい、という方は、ご注意くだされば、ありがたく思います)。
『雌伏三十年』 マキタスポーツ
主人公は、いつの頃からか、自分は特別な存在だと思いながら、生きていることに気がつく。子ども時代も、学生時代も、読んでいる側も、全く同じではないけれど、特に男性であれば、どこか思い当たるようなエピソードの数がとても豊富だと思う。
例えば、高校生の頃。
それから、大学に行かなくなったり、再び通い始めたり、夜の世界で働いたり、自分は特別な存在、という自意識は保ちながら、一度は山梨に戻ることになったりしながらも、特に音楽に関しては才能があると強く思い続け、本当にいろいろな方向へ進み、いろいろな人に出会ったり、何かにぶつかったり、そこから逸れたりし続ける。
その右往左往の様子が、もちろん全部が本当ではないのだろうけど、その逸れ方の自分ではコントロールできない感じや、その変化がそれほど劇的でない度合いや、出会う人たちとの関わり合い方の変化が、かなりリアルに描かれていて、生きていくことは、偶然の積み重ねに過ぎないのではないか、という実感が確かめられるように、小説の中の年月も進んでいく。
流転
うまくいくことは、とても少ない。
華やかさとは、かなり遠い。
それでも、バンドを組んで、音楽を続ける。
それは、本当に「流転する」という表現がピッタリだった。
メンバーは辞めたり、新しく入ってきたり、音楽のスタイルも、主人公は、成果を求めて、様々な試行錯誤をするが、やっぱり、目を見張るような結果は出ないままで、だから、メンバーから、こんな言葉も出てくる。
主人公にとって、こうした外からの「痛い言葉」もきちんと残すことが、この小説の魅力的なところだと思うのだけど、そのうちに、意外なところから、チャンスが来て、音楽の仕事は増え始める。この思いも寄らない展開にも、どこか戸惑いを持ったまま、それでも乗り続けるしかなくなる。
ただ、この小説全体でも、もしくは、実際に生きる時間が長くなるほど、成果が出るということは、「縁」や「運」が必須ではないか。そういう実感が深まるから、ここに出てくる、いわゆる「業界人」が、この言葉を連発するのは、挨拶がわりでもありながら、本当のことなのだろうという印象にもなるが、主人公は、まだここから流転する。
皮肉なことに、芸能界という場所で、自分の自意識の強さは、特別ではないことにも気がついてしまう。
家族と自意識
気がついたら、子供もできて、結婚もすることになる。
それから、主人公はライブハウスの店長として働きながらも、さらに、ラブホテルの清掃のバイトもし、その間に、自らの企画で、様々なことも続ける。家庭のこともあるから、とても忙しく、密度が高いけれど、ずっと不本意は抱えたままで、さらに年月は進む。
そうしているうちに、酒量が増え、妻も病気になり、母親も亡くなり、人間として生きている以上、避けられない様々な出来事が起こり、どうしても対応していかざるを得なくて、それにも、格闘するように一つ一つ取り組んでいく。
それらの出来事が、整理されて、すっきりと伏線が回収するようなこともなく、ただ、雑然としたまま進んでいくように感じるのは、かなり正直に率直に作者が描いているからだろうけれど、それだけに、時々、経験したことがないのに、自分もそこにいたような気持ちになる時さえある。
それは、生きていく中で、赤裸々な事実というのではなく、もっと色としては曖昧だけど、それだけに、実は、本当は忘れてはいけない思いや、出来事が、かなり正確に、しかも膨大に、ここに記されているからだと思った。
そして、主人公は、本当に思いもよらぬ「縁」から、映画に出演することになり、それが新人賞を受賞することになる。
雌伏三十年が、ここで一応終わったかもしれないが、そうなると、主人公の年齢から考えると、中学生くらいから「雌伏」していたということなのだろうか。それとも、もしかしたら、著者の実感としては、つい最近まで続いていた、とういことなのだろうか、などと思ってしまうが、そんな邪推とは無縁なことが最後に起きる。
それは、「起きる」という動詞がふさわしいのではなく、気がついたら、そうなっていた、というようなことなのだろうけど、あれだけ、まるで心身に染みるほどの「自意識の強さ」に悩まされていたはずのに、そこからかなり解放されていることに、穏やかに、どこか諦めと共に、気がつくことになる。
槙田雄司は、明らかに「成功者」の一人であり、だから、自伝的小説は、苦労の末に成功しました、というストーリーになりがちで、そうなると、「成功していない読者」にとっては、妬みや僻みに支配されることもあるのだけど、「自意識との格闘の歴史」を、率直に描いてくれているから、普遍的で、素直に共感できると思う。
ただ、それは、ある程度の年齢以上の男性に限った感じ方かもしれない、という偏りはあるのだろう、とも同時に思った。
おすすめしたい人
特に昭和生まれの男性で、1980年代を、自分のこととして知っている方でしたら、少し長い休みのときに読む作品としては、かなり強めにおすすめできると思います。
もしくは、男性の自意識のようなものに対して、どうもわからない、と疑問を持っていらっしゃって、それを理解したいという女性の方にも、比較的、強くおすすめできると思いました。
さらに、まだ若い人も、この作品に接することで、これから生きていく時間に対しての不安が、もしかしたら、少し減るかもしれません。
人生は、いつどこで何が起こるかわからない。それを、これだけ具体的に細やかに描いた小説も珍しいと思うからです。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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