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「モノにならない人生」への覚悟について。

 ずっと書き続ける、と勝手に決めたのが26歳の時だった。
 その時に、フリーランスとなって、自分が書きたいものを書く、とも思っていた。

 木造のアパートの1室で一人暮らしも始めた。
 その時、それからどうなるのか?という具体的なイメージがどこまであったのかは、今となってはハッキリしない。

 だけど、その時には、ある程度の、こうなってほしい、という自分の人生があって、それは、そういう年代に特有なのか、それとも単純に体力があったせいなのか、なんとなく楽観的だった。

 どこかで「モノになる」と思えていた。

「コントが始まる」

 2021年4月から始まった「コントが始まる」は、もっと詳しく語れる人がいると思うので、詳細は省くけれど、3人の若い男性が10年間、コントを続けてきたのだけど、売れず、解散を決めて、これからどうしていくか、という話だった。

 夢を諦める過程を描いているのかもしれない。3人のコントグループ。菅田将暉、神木隆之介、仲野太賀は、学年は違うけれど、そのファン役を演じる有村架純も含めて、1993年生まれだから、より同世代感は出ていると思うし、静かで丁寧に進んでいくし、一緒に見ている妻は毎回、泣いている。

 彼らは、10年間、集中して一つのことを極めようとしてきた。そのことが、「売れる」という報われ方をして、それで継続が保証されることが多く、だけど、その「売れる」は、努力とか才能とかと、実は比例しないので、その彼らの「売れない」状況は、見ていて、何とも言えない気持ちにもなる。

 そして、彼らは、コントではモノにならない、と見極め、次へ進もうとしている。20代だったら、もしくはそれより遅くても、30代だったら、次へ進むことは大変だけど、もっと歳をとってからよりは、可能性があるし、次の選択肢で、「モノになる」ことも少なくない。

 このドラマに対して、いろいろな評価があるらしいと知ってはいるけれど、自分にとっては見ていて、よくできているせいか、年齢は違っても、自分のことをつい考えてしまう。

 自分も「モノにならない」まま来てしまった。だけど、最初の目標を完全に諦めることもなく、歳をとり、だから、もう次を選択できないところを過ぎたと思う。あとは、「モノにならない人生」か、「本当にダメな人生」の2択しかないように感じている。

疲れと悲しさ

 そんなことを感じているせいか、最近、微妙な寂しさと悲しさと疲れが続いている。

 19年間、家族の介護をすることを、思った以上に優先していて、その生活のせいか、先のことを考えられなくなっていた。そして、介護が終わってから3年が経とうとして、少し先のことまで発想が届くようになった時に、コロナ禍の中とはいえ、何もできていない自分に気づき、そのことで、「モノにならない」未来について思うようになった。

 介護をしているときは、介護が終わったら、いろいろとできるのではないか、と考えていた。だけど、思った以上に消耗もあって、最初から覚悟はしていたが、終わってから1年は体調を整えることを優先しないと、本当に倒れると感じていた。

 ただ、その期間が過ぎ、これから、と思った時にはコロナ禍になり、持病を持つ家族もいたし、自分も心臓の病気は完全に治っていないと思うので、感染しないことが最優先事項になった。

 そのせいにするのはフェアでないけれど、それで、また2年が経とうとしていて、それでも、しっかりと歳だけはとっていく。

「モノにならない人生」への覚悟

 そろそろ「モノにならない人生」への覚悟を、具体的に考えなくてはいけなくなった。

「モノにならない」としても、それでも、本当に悲惨な人生にならないように、どうしたらいいのか。そういうことを本当に考えないといけなくて、その上で、自分の気持ちが納得できるには、どうしていけばいいのか。

 そして、妻と一緒に生きていくのだから、妻がどれだけ幸せでいられるのか、も考えていくのが、最初に書くことだけで生きていこうと決めた20代の時とは大きく違っているし、何より、今は、老いに近づく中で考えることになるから、とても厳しいのは間違いない。

一度は終わっていた

 20代後半で、何のコネもなく、フリーランスのライターとなった。
 なんとかなる。と思っていた。
 そして、将来の目標もシンプルだった。

 自分が書きたいものを書いて、いくつまで生きられるかどうかは分からないが、なるべく健康で長生きをして、とにかく書くものの質を高めて、その中で、書くことだけで生活をしていく。

 そのことに集中したいと思っていて、だから、結婚もしないで、一人で生きていこうと思っていた。それは、若いから自己陶酔的なこともあるとも思うけれど、それだけでなく、書いていくだけで生活するのは、大変なことは分かっていたと思う。

 その後、結婚もできたのは、今も幸運なことだと思っていて、それでも子供を持つような経済状況ではなかったし、そのうちに、親の介護が始まってしまい、自分が心臓の病気になったこともあり、仕事を諦めて介護に専念することを決めたのが、30代の後半だった。

 スポーツのことを多く書いていて、サッカーのW杯のことを取材するのも一つの目標で、サッカーについて書くようにはなっていた。それでも、介護が始まった1999年に仕事を諦めたのは、取材して書くスタイルしか出来なかったから、取材する時間が取れなくなったら、やめようと思った。

 その時は、すでに、自分は終わったと思っていた。

 その頃、介護が終わったら、もしくは介護が行き詰まったら、死ねばいいや、と思っていたから、今から考えると、かなり追い詰められていたようだ。

 フリーのライターになったときは、死ぬまで書いて、なんとかしようと思っていたから、それが出来なくなったら、終わりだと思っていた。だから、本当は、いったんやめてしまったのだから、少なくとも、書くことに関しては、「モノになるかどうか」を考える資格すら、すでにないのかもしれない。

道は閉ざされていた

 自分の母親と妻の母親の介護をしていて、30代で介護に専念する生活に入ったから、周囲からは、否定的な見られ方をされることも多かったけれど、まずは命を優先させようと思った。

 もしも、いわゆる「売れっ子ライター」だったら、やめなくても、この状態で仕事があったかもしれないけれど、「売れないライター」は何回か断ったら、一切仕事は無くなった。まだSNSもなかったし、どこかで書ける気もしなかったけれど、そんな中でも、何かは書いていた。

 ノンフィクションの賞の公募があって、そこに1年に一度は送るようにしていたが、全く成果は出なかった。介護をしながら、何年か続けて、そのうちに、それもしなくなった。道は閉ざされた気がしていたし、考えたら、一度やめてしまったら、次はないのも分かっていたはずだった。

10年書くこと

「どんな仕事でも、10年間、毎日休まずに続けたら、
 必ずいっちょまえになれる」

 そんな頃に、「ほぼ日」で、糸井重里氏の語る、吉本隆明氏の話を知った。

とにかく毎日、作家であるなら、机に向かって、
数文字でもいいから書くことが重要である、と。
実際に、これを実行して、
つまり10年間、休まずに毎日続けて、
いっちょまえになれないようだったら、
「おれの首をやるよ」というところまで、続いた。

 ある年代にとっては、スーパースター的な評論家ということは知っていて、それで「共同幻想論」を買って、読んだことがあったが、自分の理解力が足りず、何を書いているか分からないくらいだった。

 それでも、その「ほぼ日」の話で、とにかく10年毎日欠かさず何かを続けたら、という話は、なんだか説得力があり、そういえば、仕事をしていた時にも、1週間に1日休んだりしていたし、これまでとにかく毎日必ず書く、ということはしていなかった。

 それから、毎日、何かしら書くようになった。

 母が亡くなって、隣の部屋に安置してもらっている時にも、何かしら書いていた。
 資格取得のために学校へ通っていた時、介護も続いていたし、論文の締め切りなど色々と重なり、どうやら過労のせいで入院した時も、吐き気を覚えながら、ノートに文章を書いていた。
 
 そして、毎日書き始めて、10年が経とうとしていた。

 そのころは、学校を卒業し、資格試験を受ける年で、介護は続いていて、仕事も探したが、夕方から数時間の仕事でも、アルバイト的な仕事でも、履歴書を送っても、サイトから応募しても、ほぼ反応もない年だった。

 70ヵ所くらい応募しても、ダメだった。表面上は、年齢制限などはないものの、一度は、電話で、年齢を伝えたらしばらく沈黙し、もう少し若ければ、と言われることもあった。

 その頃、毎日、何かしら書き続けて、10年が経った。
 だけど、何もなく、ただ仕事が見つからないだけだった。
 母は亡くなったが、義母は長生きをしてくれて、介護は続いていた。

 書くことで、「いっちょまえ」になれた気は全くしなかった。ただ、「首をやるよ」という話をしていた吉本隆明氏は、すでに亡くなっていた。

 「いっちょまえ」になれる人は、全部ではないんだと思った。

介護が終わり 、noteを始める

 資格を取り、それは支援職と言われる分野だったけれど、元々、資格をとったからといって、仕事が多くあるものでもなく、まして年齢が高いと、より仕事がなかった。だから、細々と仕事を続けても、それだけでは生活も出来なかったが、介護を続けていたから、それ以上、増やすことも出来なかった。

 2018年の年末に、義母が亡くなり、介護が終わったが、心身の消耗があったので1年休んで、と思っていたら、コロナ禍になった。仕事を増やすことに関しても、状況はより厳しくなり、それもあって、このnoteを始めた。

 10年が過ぎたあとも、とにかく毎日、書いていた。

 だから、その書く場所が変わるだけだと思っていたが、確実に人に読んでもらっている感触が得られる場所だったので、その書く意識も変わってきた。
 
 そして、1年が過ぎた。

 確実に、これまでなかったつながりもできた気がしたし、読んでもらえる嬉しさもあって、こうした場所が今あることはありがたいと思った。私が仕事をやめた時は、自分のコンピュータスキルの未熟さもあったし、SNSもほぼなかったから、こういうこともできなかったからだ。

違う不安

 ただ、noteに投稿することに慣れてくると、また違う不安が育ってきていた。

 このnoteを始めた頃は、自分にとって未知の世界だったから、より大きく、ある種の恐れのようなものがあったように思う。noteを始める際に迷っていたが、最後に背中を押してもらったのが、この本だった。

 

 本当に恥ずかしいほど、甘い考えなのだけど、こうして誰かの目の止まるところで書き続ければ、何か「いいこと」があって、それで、やっと「モノになる」のではないか、と思っていた。

 1年経って、途中で2週間ほど中断があったが、それ以外は毎日書いてきた。

 だけど、自分が思うような「いいこと」はなかった。
 それは、欲深いのだけど、書くことが仕事になるような感触が欲しかった。だが、当然ながら、そんなことはそう簡単にあるわけもなかった。

 そうなると、どうしても、自分の運のなさ、みたいなことを改めて考えるようになった。noteの連続投稿が途中で中断してしまった時も、コンピュータの故障だったから、余計に、そんなことを思うようになったのかもしれない。

もしも、書く仕事を続けていたとしたら

 仕事を始めた頃は、運が悪いと思っていなかった。
 それは、社会全体が景気がいいから、売れないライターにも仕事があったせいも大きいと思う。

 それでも、あるときに、雑誌の編集者に連載をやりませんか?企画を考えてください。と言われ、企画書を持っていって、前向きなはずだったのだけど、しばらく経ったら、連絡が来た。
 申し訳ないのですが、編集長が連れてきたライターが連載をすることになりました。
 そんな話だった。

 そのライターの人の話は、それから、何年かたって、別の場所でも聞いた。取材相手に、締め切りのことを聞かれ、答えたら、少し前に、そのライターに取材をされた、その人は私の倍くらいの締め切りを抱えている、と聞かされた。自分と、そんなに力の差があると思えないのは、自分への見方が甘いせいもあったかもしれない。
 
 それでも、そんなことがあったあたりから、実力だけでなく、自分は運がないのではないか、と思うようになった。


 それでも、何とか仕事を続け、貧乏ではあったけれど、フリーランスでライターを始めて10年がたった頃に、親に介護が必要になって、自分も、その時間の中で心臓の発作を起こした。

 

 あの頃、介護をするようなことがなく、変わらずにライターの仕事を続けていたとしても、本当に「モノになった」のだろうか、と想像すると、確信は持てない。というよりも、ライターの仕事だけで生活できれば、それで「モノになった」と言えるのだから、介護がなかったしても、あれからの20年、それができたのだろうか。

 当時、現場で一緒だったライターの人たちで、出版業界が厳しくなっている中で、今も仕事を続けている人たちは、本当に一握りで、そういう人たちこそ「モノになった」人たちだと思うが、その人たちの努力や工夫を少しでも知っていると、自分では無理だったのではないか、とも思う。

 それは、自分の運のなさ、みたいなことも、改めて考えたせいもある。

運について

 資本主義の矛盾した状況を表すときに、ごく一部の富裕層に豊かさが集中する、という話がある。

 これは、例えばフリーランスの世界でも似ている、という印象があった。ごく一握りの人が豊かになり、後の大部分は、食うや食わずの状況である、という感触だったし、ずっとその仕事を続けること自体が難しい、と思っている。

 そして、それを左右するのが、実力や努力だけではなく、才能や運といった素質的なことで、中でも、ある程度生きてくると、改めて、その重要性を感じるのが「運」という、自分ではどうしようもできない要素だった。

 例えば、長年、プロの漫画家として活躍を続けている倉田真由美氏がツイッターで、こう書いている。それは、正直で重い言葉に思えた。

所属しない働き方

 私は、資格をとった支援職でも、常勤といった形を取ることもできず、年月がたった。これから先、どこかに所属することもできないだろうし、ずっとフリーでやってきた人間には、それ自体が難しいし、何より採用してくれる場所がなく、働くとしても、もっともうまくいっても、非常勤のかけ持ち、といったほぼフリーランスという状況が続くはずだ。

 さらに、それに加えて、20年ぶりに、書くことを仕事にしたいと思い始めたものの、昔仕事をしていた頃とは状況が全く変わってしまい、その上、今はプロのライターがどういうものか、も曖昧になってきている。

 それでも、書きたいことを書いて、それが仕事として収入にも結びつく、といったことも試みたいのだけど、それ自体が、今はとても高いハードルに思えている。

 何より、自分には、運がない、と思うからだ。

 支援職と、ライターと、両方ともフリーランスだけど、どちらも努力していけば、何とかなるかもしれないが、何ともならないかもしれない。フリーランスである以上、ごく一部の「上層」に入らなければ生活していくこと自体が難しい。

 今のところ、自分にとって「モノになる人生」は、この二つの仕事で、自分が納得できるような成果をあげられるようになり、同時に、それで生活も成り立たせるようになることだけど、40歳を超えてから、完全に人生は下り坂になっていて、いつか死ぬことへの実感が強くなり、それを後押しするように体も老いていく。

 そんな時間の中では、「モノになる人生」自体が、本当に難しいと思うと、ちょっと悲しくはなる。

「モノにならない人生」への覚悟

 長年会社で働いて、家族を養い、定年後は年金で暮らす。
 私には、その要素が、ほぼ全くないので、生きている限り、働いていくしかない。

 ただ、能力が限られているので、できることが少ししかない。
 そのために、収入よりも、自分の適性を考えて資格をとった。さらに、とにかく毎日、書き続けてはいる。10年を超えて、かなりの時間がたって、その間も、インフルエンザに初めてかかったりと、危ない時はあったけれど、とにかく毎日書いてきた。だから、書くスキルは少しは上がったと思う。

 だけど、「運」という要素に頼れないとしたら、何か飛躍的に「いいこと」があるという希望を一切捨てなければいけない。

 毎日、1ミリずつ進むようなことを、絶対にやめないこと。

「モノにならない人生」だからこそ、それを続けないと、「本当にダメな人生」に、すぐに転落するのは分かっているし、続けたからといっても、不可抗力な出来事で、ダメになることはある。

 そこを覚悟しながら、暮らすことを考えると、結構辛いが、運以外のことを続けていくしかなくて、もし、運がないから、といって、今投げ出してしまったら、ダメになるのは確実な上に、やっぱり後悔はすると思う。

 そうなると、そんなジタバタをしながら生きていって、どこで終わるかも分からないけれど、それでも、例え、モノにならなくても投げずに、腐らずに生きていくこと。そういう覚悟を持てるかどうかだけど、その重さを考えると、ちょっと自信はない。



(腐るっていう表現は、本当にそうで、目に見えないけれど、気持ちや体のどこかがダメになることだと思う。別に病気ではないし、ただの感覚的なことだけど、自分もそうなったら、微妙な腐臭が漂う気がする。一度、そうなったら、自分は気がつきにくい上に、もしも復活するにしても、相当の時間がかかるし、不可能かもしれないので、それは気をつけたい)。

毎日を生きていくこと

 希望はない。というか下手に持った方が身を滅ぼす。
 「ものにならない人生」を前提とする覚悟は、たぶん、そういうことだと思う。

 チャットモンチーも、希望はなくてもいい、といったことを、「シャングリラ」で歌っていた。

 ただ、その覚悟だけだと、重い日々が続くだけで辛すぎるので、もう少し考えを進めれば、モノになるかどうかにこだわるのは今ではなく、先に意識が向いていることが分かる。

 だから、もしもモノにならないとしても、毎日を、少しでも楽しく生きること。今を大事にすること。そんな平凡だけど、当たり前のことができれば、おそらくは、人生の後悔が少なくなるはず、といったことに考えが至る。

 そんなことを思うと、私の場合は、そのモデルケースがそばにいたことにも気がつく。

一緒に生きていくこと

 それは、こんな訳のわからないことを考えている人間と一緒に生きているパートナーがいることだった。

 妻は、私とは違って、基本的に強運な感じがするし、何より、同じような状況でも、楽観力が強い。悩んで何かを聞くと「なんとかなるよ」と根拠もなく答えてくれる。

 だから、私も、何とか生きてこられた感じもするのだけど、これから先は、より見習うことが多いと思っている。

 先を見過ぎないで、毎日をきちんと生きていくこと。
 楽しさを見つける力を上げること。
 幸せを感じられるような気持ちの状態を保つこと。

 そんなことを考えていると、モノになるかどうか、といった発想が、変な欲や見栄から出てきているような気もするけれど、それでも、やっぱり歳をとると、できないことがはっきりと分かってきて、悲しく思えることが多くなる、ということかもしれない。



 何か違う出来事があったり、それで思うことが変わったりしたら、また書きますが、決してポジティブなことではないかもしれません。ここまで、読んでもらって、ありがとうございました。



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