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読書感想 『母という呪縛 娘という牢獄』 齊藤彩 「奇跡のようなドキュメント」

 この書籍のことを、最初にどこで知ったのかは覚えていないのだけど、その内容については、忘れられなかった。

 医学部受験を母親に「強要」されて、9年も浪人し、そして、その娘が母親を殺害する。

 そんなことがあるのだろうか。という思いと、そうした当事者がどんな気持ちでいたのか。そういうあまり上品とはいえない好奇心のようなもので、読みたいと思った。

 だけど、同時に、とても重い内容だという覚悟のようなものもあった。

『母という呪縛 娘という牢獄』 齊藤彩 

 最初に、意外だったのは、この殺人を犯した女性が30代前半で若いと思ったが、著者が、さらに若かったことだ。

1995年東京生まれ。2018年8月北海道大学理学部地球惑星科学科卒業後、共同通信社入社。新潟支局を経て、大阪支社編集局社会部で司法担当記者。2021年末退職。本作がはじめての著作となる。

 こうした事件は注目を浴びやすいし、同時に、動機が詳細になることも少ないから、もしも、そのことが綿密に語られるのであれば、それは、ある種のスクープ的なものだから、それを形にできた取材者としての自分を、不謹慎かもしれないけれど、誇るような気配になってもおかしくない。

 だけど、意外(といっては失礼だけど)なことに、著者は、ずっと控え目な姿勢のままだったと思う。

 冒頭、面会の場面から始まり、犯罪の加害者・高崎あかり(仮名)に関して、34歳。黒縁眼鏡。黒髪を耳の下くらいのポニーテール、という外見の様子と、その几帳面さと礼儀正しさを表すような言動も、簡潔に描写されている。

「あ、あの……今度いらっしゃるときは、事前に手紙か電報をくれますか。質問内容も簡単でいいので、事前に教えてく」
 ピピピピピピピピ。
 あかりの言葉はけたたましい機械音に遮られた。 

 ただ、ここから著者の姿は奥に引っ込むようになる。ただ、真っ直ぐに、加害者と被害者との間で起こった出来事が、前景になっていく。

 刑務所にいるあかりと手紙のやり取りを重ね、あかりと相談したうえで書籍化することを考えた。私が送った質問に、あかりが返信を寄せる形で、作業を進めた。だからこの本は、文字通り二人の合作である。
 この本を出したいと考えた、あかりと私の思いは一致している。起こしてしまった事件の罪を今後、生涯かけて償うと同時に、父、母、娘、息子、家族との関係に悩むすべての人に、この本を届けたいと思っている。
 亡くなられた妙子さんに、心から哀悼の意を表すと同時に、ご冥福をお祈りする。

 家族の問題は、おそらくは、どこの家庭にも潜んでいて、だからこそ、それが、このような事件にまでならないように、といった思いが、この本には込められているように思えた。

 もちろん、とても悲惨な事件であり、それが、自分とは全くの無縁とは感じられない重さはあるものの、「このような事件にまでならないように」という思いがあるから、読後感は、ただ救いようのない感覚に、ならないのだろう。

 すごい作品だと思う。

多くの家族が、「良かれ」と思いあまって互いに束縛し、苦しめあっている。それが殺人事件にまで発展するのは極端な例だが、そこに至る芽は、多くの家庭に内包されている。


(※ここから先は、暴力描写があります。DVや虐待などで、フラッシュバックの可能性がある方は、ご注意ください)。







子ども時代

 あかりは小学校時代から成績優秀で、母親の妙子は娘のあかりを医師にしたいと考え、それも国公立の大学医学部に入学させたいという強い希望を持っていた。あかりも期待に応えようと勉強を続け、医学部受験を目指していた。

 この本の大部分は、「あかりの手記をもとにして、母娘の過ごした年月を再現」する方法が採られているのだけど、その解像度がとても高い。冷静で正確な印象も強い。

 だからこそ、あかりの子ども時代から、母親の行動は、間違いなく「虐待」という言葉が当てはまることが多いのも、わかる。しかし、それは同時に、母親自身でも、どうしようもないような気持ちの動きもあるように思えてくる。

小学六年生のとき、激昂した母が包丁を持ち出してあかりともみ合い、あかりの腕に包丁の刃があたって皮膚がぱっくり裂けたことがある。不思議と、痛みは感じなかった。あかりはそのときなぜ母が包丁を持ち出したのか、はっきりした理由を思い出すことができない。

 その激しさは、配偶者にも向けられ、そのせいもあり、父と母は、あかりが小学6年生の春には、別居することになった。

 中学進学が近くなると、母・妙子のプライドがもっとも露骨な形で発揮されるようになった。
 妙子が以前から「バカ学校」と蔑んでいた公立中学への進学を徹底して忌避し、国立や私立の名門中学への進学を望むようになったのである。

 これを「極端な価値観」と否定するのは簡単かもしれないが、そうした「思想」が、どのように母親の中で芽生え、成長し、定着したのかについては、わからないままだ。

 中学のとき、あかりが書いた作文がコンクールで賞を取っている。しかし、実は母が書いた文章を、あかりが書き写して提出したものだった。
 作文だけではない。
 あかりの幼少時から、祖母や大叔母に送る手紙、父宛てのメール、学校に提出する作文や読書感想文などを、母がしばしば代筆し、それをあかりの名前で出していた。「娘はこんなにかわいくて出来のいい子なんだと演出するためだった」とあかりは理解している。高崎家では、それが当たり前のことだった。 

罵声

 受験勉強ののち合格した私立中学では、成績が下がっていったことがある。それについて、母親がどれだけ怒るのか予想もつき、だから、あかりは、成績表の「偽造」をしてしまったこともあった。

 中学二年生の私は、狡い浅知恵がついた。定期考査の結果が悪かったのだが、担任教師が作成した簡素な成績表を改竄して母に見せたのだ。粗末な偽造はあっけなく見破られ、母は激怒した。
 当時は冬で、リビング真ん中の灯油ストーブで暖を取っていた。常に薬缶を上に置いていて、注ぎ口から湯気が出ていた。母はコップに熱湯を入れ、正座する私の太腿めがけてぶちまけた。
「ぎゃーっ!!」驚きと激痛で叫ぶ。熱湯をかけられた皮膚がでろん、と溶ける。
「……今後は挽回しなさいよ。……病院に連れて行ってあげるから、勉強中にうっかり飲み物をこぼしたって言いなさい」
 痛みと恐怖でしゃくりあげる私に、冷ややかな母の声が突き刺さる。

 この部分は、おそらく「あかりの文章」をほぼそのまま使ったと思われる。これは、明らかに「虐待」というより、傷害といっていい行為であり、薬缶という表現を使うなど、漢字の知識も豊富だが、何より、この冷静な再現力に、恐れと驚きを感じるし、その過酷さも想像できる。

母の罵声は、「詰問」「罵倒」「命令」「蒸し返し」「脅迫」など、いくつかのパターンがあった。暴風雨のようなその怒声の前に、いつも立ちすくむほかなかった。

医学部志望

 その動機や理由は、やはり、分からないままなのだけど、母親の妙子は、娘のあかりを、医者にすることにこだわっていた。高校時代、とにかく医学部受験以外の選択肢がなかったようだ。

 母はさらに、「自宅から通える国公立医学部」という枠をはめた。
 必然的に第一志望は、国立の滋賀医科大学医学部医学科となる。偏差値は六五を優に超える超難関だ。   

 ただ、あかり本人に動機が弱く、理系の科目に苦手意識もあったため、医学部受験をするには、成績が届いていない。だから、担任教師との三者面談も、実りのある時間には、ほど遠くなる。

「そもそも、医師を目指すのにふさわしくありません」
 車に乗り込むと、案の定母は激昂した。
「何なのあの担任!あかちゃんが医者にふさわしくないって失礼なっ!たかが高校教師風情で舐めた口を利きやがって!」
 空気がピリ、ピリと震え、フロントガラスが割れてしまいそうだ。
「そもそもあかちゃんがあんな恥さらしな成績しか取れなかったからでしょうがぁっ!バカタレがぁっ!お母さんに大恥かかせやがってえぇっ!ちゃんと勉強しろおぉっ!」
 母の咆哮に耳が痛くなり、涙が出た。

 そして、母親の「監視」の元での受験勉強は続く。

高校生の娘と母が二人で風呂に入るのは、水道代と電気代を節約するためだ。それから、時間の節約にもなる。そのあと夕食を摂り、勉強を開始して、床に就くのは夜〇時ころ。起床は朝六時、睡眠時間はほぼ六時間だった。

 さらに、母親の「独特」の勉強方法を強いられ続ける。

母はあかりの横で勉強の様子を監視していたが、問題集などを一緒に解くことはなく、具体的に勉強を教えることもなかった。母はもっぱら問題集を買い与え、その進み具合を監視することが成績を伸ばす近道と思い込んでいる節があった。

 しかも、模擬試験などで、受験合格ラインの偏差値まで、足りない「数」だけ罰が与えられる。

帰宅後に成績表を見せ、夕方から夜まで数時間の罵倒、説教の後、刑罰が加えられる。
「持ってきなさい」
 やっと終わった。今日は真夜中にならなくて良かった。明日学校行くまで寝られる。
 使わなくなった洋箪笥の戸を開くと、直径3㎝、長さ60㎝ほどの鉄パイプが外された状態で立てかけられている。私はそれを手に取り、平静を装いながら母に渡す。

 ここから、10回、背中を殴られる描写が続く。それも、おそらくはあかりの手記が、ほぼそのまま載せられているようだった。

 熱さと痛みと恐怖で涙が出そうになる。頬の内側を噛んで目を見開く。まばたきをしてしまうと涙がこぼれる。涙を見せると母の怒りが再燃してしまう。今夜は眠りたい。
 制服を脱ぐ。母の目を盗んで全身鏡に背中を映してみる。赤黒かったり青紫だったりの細長い痣が広がっている。
 やっと前のが消えかかっていたのに。
 脱いだ制服をハンガーにかけようと腕を伸ばすと、背中がずきりと痛む。
 また何日間か寝返りを打つたびに痛いんだろうな。嫌だな。嫌だなあ……。
 視界がぼやける。 

 この出来事を書くのは、本人にも相当な苦痛があったと思われるのだけど、それだけ、心に刻まれてしまっていることなのかもしれない。などと推察すること自体が、不遜なことだろうと思うものの、この再現の正確さには、怖いほどの凄みを感じる。

家出

 最初の受験は失敗し、その後、9年間も、ずっと医学部、それも地元の国立大学を目指しての受験を強いられている。それは、虐待としか表現できない日々が続くことでもあり、だから、あかりは、何度も家出をしようとし、住み込みの就職をしようともした。ただ、母によって連れ戻されてしまうし、就職面接の採用合格を知らせる電話も母親が断ってしまう。

狂ってる。逃げなくては。
「あかちゃんは未成年でしょ。親の許可がないと就職ができないの。でも、お母さんは絶対に絶対に許しません。お父さんが仮に許しても、お母さんが許しません。そんな人を会社は雇ってくれると思う?
 あかちゃんは、お母さんと約束した通り、来年医学科に合格するの。お祖母ちゃんに京大の学費出してもらって、それで予備校に通わせてあげるから、頑張って勉強しなさい。
 あかちゃんが逃げても、お母さんはどこまでも追いかける。絶対に逃がさない。合格するまで、ずっと」 

 20歳になってからも、探偵を雇ってまでも、就職しようとする娘の動きを母親は阻止し続けた。

殺意

あかりは母親から長年にわたって執拗な干渉と虐待を受ける生活を強いられ、高校卒業後九年間にもわたって母の監視下で「監獄のような」浪人生活を送っていた。

 そして、20代後半で、ようやく医大の看護学科に、しかも首席で合格し、勉強を続け、卒業後は、看護師として就職が決まりそうな時、母親は、別の「目標」を持ち出してくる。

 医大の看護学科を卒業し、ようやくその束縛から逃れようとしたところで、今度は助産師学校を受験するように強いられ、「とても耐えられそうにない」と思ったが、そのストレスを、誰にも相談することができなかった。 

 さらに、母が、娘のスマホを破壊するという「事件」まで起きた。

激しい叱責を受けた。母・妙子はスマホを叩き壊し、あかりに土下座して謝罪するように強いた。
「そのとき、私は、スマートフォンだけでなく自分の心まで母に叩き壊されたような気持ちになりました」 
 とあかりは弁護士に話している。あかりはこのころから、母親に対して、明白な殺意を抱いた。 

 全く無関係の読者に過ぎないので、何かを語るのは不遜だとは思うのだけど、それでも、あかりは周囲に対してSOSを何度も出していて、その時に、何かしらの適切な支援ができていれば、やっぱり結果は違ってきたのではないか、と思ってしまう。

 さらに、母親自身も、おそらく何かしらの問題を抱えて、本人としては戦うように生きてきたように思えるから、どこかの時点で、誰かが何らかの助力ができたのではないか、というような気持ちにもなる。

あかりが母を殺そうと思ったのは、九年におよぶ医学部浪人を強制されたからではなかった。その「地獄の時間」を脱し、ようやく自分の足で歩こうとしたとき、またも母の暴言や拘束によって「地獄の再来」となることを心から恐れたのだ。 

 これも、とてもごう慢で失礼な推測になるのだけど、これは、本当に純粋に「殺意」と言えるのだろうか。とにかく、この「地獄」から抜け出したい。それが第一の欲求であり、そのために、母親の存在が邪魔になる。もちろん、かなり混乱しているのだろうけど、個人的には、少なくとも真っ直ぐに対象に向かう「殺意」とは、やや違っているように感じてしまう。

能力

 警察の聴取の途中で、あかりは突然、逮捕される。その時のことを、あかりは、このように表現している。

 ところどころ黒いペンキが剥げた手錠の、ガチャガチャという金属音が耳につく。
 え、手錠汚い、嫌なんだけど、しかも、何そのくっついている青いロープ、汚い。
「手出して」
 何その言い方。
 嫌々ながら怖ずおずと両手首を差し出すと、女性警官が慣れた手つきでカチャン、カチャンと嵌めてゆく。
 ゾクリと冷たく、ズシリと重かった。
「悪いけど、このお茶捨てるから」
「え、何でですか?」
「逮捕されたら、こっちが用意するものしか口に出来ない決まりで」
「いや、これ、そちらが見てる前で私のお金で買ったやつで、まだ残っているんですけど」
「……ごめん、決まりだから。水持ってくるから」
 女性警察官が半分以上残っているペットボトルを取り上げ、プラスチックの黄色いコップを持ってきた。
 え、何この黄色、気持ち悪い。
 見たことのない、安っぽい黄色だった。

 手錠をかけられ、逮捕される場面を、このように描写した人は、これまで記憶にない。これだけの冷静さを保つことができたのは、元々の能力に加えて、とても傲慢で失礼な推測なのだろうけれど、過酷な母との生活が可能にしたような気もしてくる。その後、頑なに殺人を否認し続けたのも、同様ではないだろうか。

否認と黙秘を貫くあかりに翻弄され、立件は大幅に遅れていた。初犯の、三二歳の若い女性被疑者なら、口を割らせるのは簡単だという思い込みが滋賀県警にはあったかもしれない。しかし、長年の母との生活で、「嘘をつくことに慣れていた」あかりのガードは、予想以上に鉄壁だった。

 そのガードが緩んだのは、突き崩そうとする姿勢ではなかった。

大西裁判長は一時間近くをかけて判決文を読みあげていた。その誠実な口調が、耳に蘇ってきた。母を殺害するまでの私を、ずっと横で見ていたかのようだ(中略)
 誰にも理解されないと思っていた自分のしんどさが、裁判員や裁判官に分かってもらえた------嘘をついているのに。 

   それが嬉しくて、ありがたくて心が救われたようだった。
 もう、嘘をつくのは止めよう。
 父も弁護士も、本当の私を受け入れてくれるだろう。控訴審できちんと打ち明けて、真相を知ってもらおう。ようやく、迷いはなくなった。 

   その後、刑が確定し、囚人としての生活が始まった。

入浴時間がきわめて短く「カラスの行水」を強いられることや、食事の量が少なく、味が薄いことまで、囚人生活は「九年間続いた浪人生活と実によく似ている」と感じている。

刑務作業で、あかりは、「班長」と呼ばれる指導員役の受刑者から「仕事ぶりが丁寧で、仕上がりがきれいだ」と褒められることもある。
 しかし、あかりははじめ、褒められても素直に受け入れられなかった。褒められることに慣れていなかったのだ。これまでの人生で、母には一度も褒められたことがなかった。褒められると嬉しいと思う一方、なぜだろうとつい邪推してしまう。    
 たとえば取り調べ検事から「字がきれいだね」と言われても、気を許させるための策略だろうと警戒したり、

 加害者は殺人を犯しているが、それでも、それまでに、どれだけ過酷な生活を送ってきたのだろうか。そんな不思議な感慨に近い気持ちが、どうしてもわき起こってしまう。


 そして、同時に、これだけの話を、加害者である本人との30通を超える往復書簡によって明らかにしたというが、殺人の加害者が、ここまで詳細に気持ちも含めて伝えている、という意味で、個人的には「奇跡のようなドキュメント」に感じるのだけど、著者の送った手紙が、どのようなものなのかも、知りたいように思ってしまう。

おすすめしたい人

 家族に対して、何らかの葛藤がある人。

 支援の仕事に就いている方。

 質の高いノンフィクションを読みたいと思っている人。

 人間関係の難しさについて、感じている人。

 暴力表現があるので、読む人を選ぶかもしれません。
 それでも、ここまでの過酷な生活と、悲惨の事件の再現が、不適切な言い方もしれませんが、わずかですが、澄んだ印象まで感じるのが、不思議でしたので、他の読者の方によって、それが本当かどうかを確認していただきたいとも思っています。


(こちら↓は、電子書籍版です)。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。






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