理想、普通、現実
年明け一発目の精神科受診でした。
クリスマスから年末年始にかけて仕事が忙しく、今は若干燃え尽きモードです。
その私にとっては「忙しい」時期だったのですが、ふと、「一日中働く」「人と多く接する」「臨機応変に動く」ことは、「普通」のことなのではないかと感じて、不安になりました。
午前中労働で、家に帰ってからは人と話さない、仕事中も人とあまりかかわらない今の生活は、かつてのフルタイム労働や人と接することが多かった業務内容と比べ、心身ともに楽にはなっているのですが、それはおかしいことではないかと、思うようになったのでした。
そのことを先生に話すと、「一日中働くのはみんな苦手だし、特段我慢もしていない」「普通を気にしすぎているし、普通のハードルも高い」「働くのは生きていくためのお金を得る手段であって、それは楽な方がいい」と言われました。
それに、「普通」と言われることは50%の人しかできていないこと、すなわち2人に1人はできないことで、全ての人が、2人に1人しか出来ないことができるわけではないと言われました。
また、旅行に行く予定ができ、体力を付けたいと思っているのだが、「体力を付けるために太る」という考え方はアリか尋ねると、「全然アリ」と言われました。
私の理想を言えば、食べても太らず体力を付けることなのですが、それは現実的ではないと自覚していますし、実際先生にも「無理」と言われています。
そもそも「体力がある」というのは「肝臓にエネルギーが貯蔵されている状態」であり、「痩せている」というのは「エネルギーが切れている」状態だから、相反していると。
「食べないで運動しても体力はつかないですよねえ」と聞けば、「むしろエネルギー切れ状態だからかえって体力がなくなる」と言われました。
「食べて太って体力を付ける」という感じなのですが、ここでも「太って」というのは意識しなくていいと言われました。
私の考える「普通」は、「理想」のものなのか。
「理想」を求めても、「現実」はそういかないのか。
この手の抽象概念は、いつになっても答えが出ないし、仮に答えを出されても納得できないし、難しいなと思います。
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