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【書籍編】愛するということ(エーリッヒ・フロム)

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エーリッヒ・フロム著「愛するということ」について思いついたことなどを綴ったものをまとめました。
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#愛

「神様は私の心の中に」の話

「神様は私の心の中に」の話

神は人間であること、男であること、父親である事をやめ、様々な現象の背後にある統一原理の象徴となり、人間の内にある種子から育つであろう花を象徴するものになった。

だから神は名前を持つことができない。
なぜなら、名前というのはつねに物とか人間とか、何か限定されたものを示す。
神は人間でも物でもないのだから、名前を持てるはずがあろうか。

ー エーリッヒ・フロム

「超越者はその多様性・統一性・網羅性

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【読書感想文】愛するということ 3/3 「愛は技術」

【読書感想文】愛するということ 3/3 「愛は技術」

これまで、前々回の「分業はできない」ということ、そして前回の子育ての終盤に訪れる「巣立ちを望む我が子の背中を押してやる徹底した利他性の難しさ」というニュアンスの「母性愛の難しさ」を解説してきた。

3回目の今回は「愛は技術」について掘り下げていきたい。

愛は熱情に駆られた「運命的なもの」ではなく練習して身に着く「スキル」本書冒頭で「愛は技術である」と述べられている。

読了以前は私も世間同様例に

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現代の社会システムに対する「怒りと絶望」の正体

現代の社会システムに対する「怒りと絶望」の正体

「現代社会を構成する資本主義が人の心から深く思考するリソースを失わせている」

その一言が、まるで先行きの見えない中に晴れ渡らせる日の光が差し込んだかのような納得感を与えた。
私が抱いた怒りと絶望感のかけらが、そこに見えた気がしたのだった。

特定個人ではなく、社会的に人々の心がないがしろにされているのが気に食わないのか?

同等の話が、当たり前を追求できる人が少なすぎる。
苦境を必要な犠牲と捉え

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「フロイトが嫌い」という話

「フロイトが嫌い」という話

かなり主観な解釈が入ってますけど、私はフロイトの「"正常な愛"と"幼い恋愛"に本質的な差はなく、つまり頭に血が上った恋という名の愛には正・不正はなく本能的なものだから、肉体的な快楽こそが究極の愛なのだ」という思考が、どうも受け付けないんですよね。

そこには卑しさや愚かさや怠惰を合理化する為の大義名分の様なニュアンスが読み取れて、性行為に伴う罪悪感と恥を真っ当なものに昇華しようとしてる様にしか見え

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「同情由来の他者への行為はマスターベーションと変わりない?」の話

「同情由来の他者への行為はマスターベーションと変わりない?」の話

(あらかじめ断っておきますが、少々穿った解釈をしてる、とお伝えしておきます。
好んでそう思考したわけではないのですが、そう思わずにいられないというのも、また好んで思ったわけではないのです。言い訳でしょうがね。)

結論から申しますと、「自己満足のための"同情"と、同情由来の"与える“という行為は、その対象の自尊心、ひいては尊厳を損なうことに繋がってしまうのではないか?」ということです。

この点を

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「父親の権威意識が変質したものこそ、現代社会の根幹を構成するシステムなのか?」という話

「父親の権威意識が変質したものこそ、現代社会の根幹を構成するシステムなのか?」という話

※暇をこじらせている方は「時間を投資してやろう」と思ってコメントにてお教えいただければ幸いです。
ほんとに周りに聞ける人がいなくて困ってるんです(汗)

今日も今日とて「愛するということ(エーリッヒ・フロム)」を読んでいるんですが、またまた気になることがあったんですよ。

それでその気になることというのが、「父親の"息子に財産委託をしたい"とさせる権威意識の変質したものこそ、この現代社会の根幹を構

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「未熟な二人すらも愛が育てる」と言う話

「未熟な二人すらも愛が育てる」と言う話

今ですね、カウンセラーさんにお勧めされた「愛するということ(エーリッヒ・フロム)」という書籍を読みながら、再度マインドマップを作るべくノートを取ってます。

かれこれp.56、2章の2項目目まで読んだところなんですがね、すこし気になったことがあったんですよ。

それで気になったことというのが、フロムは著書で「"配慮"、"責任"、"尊重"、"知"が備わってこそ甲は乙を愛せるのだ」みたいなことを言って

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