見出し画像

「フロイトが嫌い」という話

かなり主観な解釈が入ってますけど、私はフロイトの「"正常な愛"と"幼い恋愛"に本質的な差はなく、つまり頭に血が上った恋という名の愛には正・不正はなく本能的なものだから、肉体的な快楽こそが究極の愛なのだ」という思考が、どうも受け付けないんですよね。

そこには卑しさや愚かさや怠惰を合理化する為の大義名分の様なニュアンスが読み取れて、性行為に伴う罪悪感と恥を真っ当なものに昇華しようとしてる様にしか見えないんですよ。

そこには触手で凌辱されてる様な気持ち悪さがあって、つまり「そのおぞましきものによる快楽に身を浸せ。その転堕こそ、闇堕ちこそ愛の本質だ」と言ってる様で、一方的な男の優位性を見せつける不平等性を感じます。

精神分析という領域の礎を築いた偉人としての尊敬はあるものの、その思考にはスタンディングオベーションどころか腕を上げる気すら起きません。

私みたいな異端を切り捨てる現代資本主義が嫌いで、そもそも穿った愛を唱えていて、時代錯誤なことを言いやがるからでしょうか。

異議を唱えられるほどの武器が私にはあるわけじゃないし、なんだかんだ言いながらこれからも資本主義の恩恵に甘んじることになるんでしょうが、こちらからは相いれることは今のところないでしょうね。

最も、私はまだ多くを知らず、一側面について、それも負の面を眺めただけなのでしょう。

ですからこれからも勉強と思索、そして主観を交えた主張はやめません。

何より私の成長のために、言葉にできぬ神を見つけるために、私は私の中を覗き続けますよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?