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幸福を追求する権利、幸せになる権利、公共の福祉は全ての人々に適応される普遍的な世界共通認識

知恵とは、蛇が人間に授けた力。それは善悪の知恵と羞恥心のセットとしてあり、承認欲求のある者は、その善悪の知恵で相手の羞恥心を攻撃、それにより相手にパラノイア、悪魔の囁きを聞かせようとする。それによって更に善悪の知恵を使い相手の羞恥心を攻撃する、その繰り返しが左右を操る分断対立となり、それそのものが蛇、ルシファー、悪魔崇拝者達による分割統治となる。



人間には幸福を追求する権利、幸せを求め感じて生きる権利、人権があり、それは絶対に揺るぎない権限、不動なるものとしなければ自分達自身が苦しむ結果を生む。それが無いと見なされた場合、その人権無き者を、同じく人権無き、どちらも逆らう権利無き者が権威者に従い勾留、または処刑などの処置をされ、行わなければならない結果となる。

善悪とは主義主張のぶつかり合いであり、そのどちらか一方に偏る、それが正しいとするならそれは独裁状態だと言う事になり、裁判すら行われない矛盾した理不尽なる社会が構築される。

女神テミスは自身が愛として、目隠しが覚り、ソードが欲望として物事をジャッジして天秤を安定させる。物事をジャッジするためには女神の愛は大前提とし、目隠しは偏見なき心で判断するため、ソードは絶対的なる力で振り下ろし判決させるため。それが裁判、審判における正義の女神の理念である。



第十三条
すべての国民は個人として尊重される。生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法、その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国憲法より



憲法では自由と生命の権利は保証され、幸福追求とは文字通りの幸せを求め幸せになる権利で、公共の福祉とは一方に偏らない、女神テミスのジャッジのような普遍的なる人々の権利権限による判断と言うこと。

普遍的と表現するなら自然法における自然権、人権、生きる権利、生存する権利はよほどの独裁国家、権威者以外には民主主義も人権も一切無い完全なる個人支配のある国でなければ、世界共通の認識としてあるもの。

それこそが普遍的なる世界共通の公共の福祉であり、たとえ難民認定されない、亡命を許可されない移民や不法滞在者と言えど、誰にでも当てはまる幸福を追求する権利や、生存権、人間としての自由となる人権が当てはまらない人は何処にもいない。誰もが人間としてある以上は国民、国籍問わず、世界共通認識としてある民主主義、人権を基本としてある国ならばそれを道徳的に考え厳守しなければならない。


今各国で騒がれる移民などの問題、それが策略、意図的なのか何なのかは別としても、移民や外国人の問題に関しては、そのお互いの人権としてある公共の福祉が重要となる。

公共の福祉が世界共通とする普遍的なる認識とするなら、それがある各国では移民や不法滞在者としても、人権、同じ人間として扱われる絶対なる自然法による生存する権利、権限それを考慮し配慮しなければならない。

しかしそれもお互いの公共の福祉による共通認識の中で判断されるもの。たとえ日本人としても、他国からの人だとしても、公共の福祉に従った妥協をお互いがしなければならない。そのために議論は必要で、議論もなく一方的に自分達の主義主張を押しつける、従わせようとする、排除しようとする、それが公共の福祉に反する事だと言うこと。

公共の福祉、それをうまく機能させるためにあるのが法律範囲内で設けられる地方自治体による条例である。その条例の適応範囲内にいる人達は、日本人も、移民も不法滞在者と言われる人達も、他国からの人も全て含め、皆従う必要がある。それに従わない場合、罰則を与えられるのは仕方がないこと。


つまりは、民主主義、人権のある国ではそれぞれ異なる意見を持つグループなどがあり、対立する場合はお互いの意見を尊重した対処を講じる必要がある。それが公共の福祉となり、公平なるジャッジ、平等なる人間としての権限を守る我々が主権者となる民主主義の普遍的なる秩序となる。

だから、普遍的なる世界共通認識としてある公共の福祉の前では、どんな理由があろうとも移民、難民、他国からの移住者、不法滞在者と言われる人達ですら、一方的なる排除等は決して許されない。

それを一方的に行う前にあらゆる解決策、方法を考えなけらばならず、それも無くただ排除しろと言う、それに従い実際にそうするなら完全に公共の福祉に反する行動、または言動となる。少なくとも、日本国籍のある日本国憲法適応範囲にいる者として、全ての国民である個人として尊重される、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利、がある国民の主張とするなら、その人の主張、意見、それを考慮した判断をしなければ日本国憲法の違反行為である。


これが難民や移民や、不法滞在者と呼ばれる人達、そして他国からの移住者に関する自分の意見である。

自分は今争う東側、西側の冷戦のどちらにも偏らない、陰謀論による偏った右翼的、ナショナリズム、ポピュリズム思想主義にも与しない。つまりは、共産主義圏内のコミンテルン思想主義者、相反する西側資本主義勢力どちらにも偏らないと言うこと。

自分の考えを思想主義として表すとするなら、どちらが善悪ではなく、全てとしてある事を望む、だから表現するとしたなら、共産民主資本主義と言ったところだろうか。社会主義に近い考えだが、それとは違う。人々が生存する自由な権利である民主主義を守り、広がり過ぎた格差を正すための共産主義で富の分配、実力が報酬となる資本主義での真なる公平での報酬、それら全てが統合した完璧なる自由な主義。

つまりは、自分が左右をジャッジする女神テミスの天秤、公共の福祉であると言うこと。



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