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幸せとは、この時がいつまでも続いてほしいと願うこと

幸せとは何か、生命にとっての幸せは繁栄であり生きることそのもの。

我々は今幸せなのか、幸せだと思うなら何が幸せなのか、どんな時に幸せを感じるのか、しっかりと考えてみたい。


今、ミルクたっぷりの甘く冷たいコーヒーを飲み、タバコを吸っている。とても美味しい、本当に幸せだ。心地良い風が首筋を通り抜けTシャツの中に入ってくる、風で草がざわめき、少し遠くから少年たちが野球の練習を頑張ってる声が聞こえてくる。

猫が見つめてくる、なんとも言えない優しい顔でじっと。自分は今からフリーの時間がある、何をしても何処へ行っても自由、1人だから何者にも縛られない。


お腹が空いたら何かを食べる、何でも良い、その時に食べたいものを食べる。時間なんか関係ない、1日何食など決めていないし、食べないから不安になるなんてこともないし、食べ過ぎて不安になることもない。


暑い日に外回りの仕事をして何時間も歩き喉がカラカラで、冷たいお茶やジュースを自動販売機で買い、たくさんの汗を流した体に一気に流し込む。その至福は何とも言えない喜び、なんて美味しいんだって、心から思う。

その喜びのために何時間も歩くのはたまらない、必ずしもお金のためではない、本当の幸せ、至福がそんな所にある。幸せだからこそ、こんな日々がずっと続いたらいいと、そう願う。


何てことない、皆が普通に今生きてることこそが、幸せなんだと実感する。だから今を全身で感じて、二度と戻らない過去を今として大切に生きることが大事だと言ってきた。

時間を捨てないこと、お金よりも大切なこと、今を大切にする。大きな幸せも小さな幸せも同じ至福であることには代わりない。



最近では人工知能、AIが文章を書くようになった。今後は、そういった量産された人為的ではない文章が中心となる世界になって行くと思う。人ではないものが人のような振る舞いをし、人のような言葉を使うが、そこに心はない。心があるような文章を綴るが、それは人間の心理学を多用した大衆心理操作、群衆心理操作になる。検索エンジンの上位表示に羅列される、心が籠らないアフィリエイトブログ等でも活用されると思う。


だから自分は今後も、人間らしく、素直な心で表現し文章を綴る。ただ読むだけ、知るだけなんて、つまらない。誰が話してるか、ではなく何の話をしているか、それが重要で、名前なんか無くてもいい、顔なんか覚えてもらえなくてもいい、お金が稼げない無意味な発信でもかまわない。

テクノロジーは進化し続けるが、どんなに人工知能とAIロボットが人間に近づいても、我々にしか無いものは確実にあり、この愛を生み出すための糧となる「小さな幸せ」、至福を感じられるのは我々生命だけで、機械には無いもの。だから人工知能に愛を備えることはできない、それは永久に不滅となる人間の複雑な心。これがあるかぎり、人間が人工知能に支配されるシンギュラリティが起こる事はない。


草がある所にたくさんの生命の営みがある。何でもかんでも無くせば良いものじゃない、アスファルトより土の道路を歩きたい人も大勢いる、直接この足で大地を踏みたい、そう願う人はいる。全て整備され綺麗な街並みにしても結果的に多くの大切なものを失う。

何処へ行ってもコンクリートジャングル、何処かに座りたくてもベンチを探さなければいけない、しかし1人ベンチに座っていれば不審がられる、監視カメラが増える社会。先進国の発展と整備により、我々はどんどん生命としての自由、神による秩序を奪われる。

保守右翼思想も行き過ぎれば息が詰まる監視社会となり、左翼リベラル思想も行き過ぎれば息が詰まる監視管理社会とされる。それが新しい社会と経済による秩序となるなら、帝国共産主義社会においては連邦政府のような体制となる未来は避けられないのかもしれない。左右共に目指すのは全体主義、結果的に独裁的なマルクス主義に行き着いてしまう。


そんな未来では、今大切に感じられる小さな幸せがどんどん淘汰されてしまう。


最も好きな人と一緒に生きて、今ある小さな幸せを共に共有する。それは必ずしもお金の問題ではなく、より贅沢に生きようとする事、願うことは幸せなんかじゃない。誰かが何かを持っているが、自分は持っていないとする寂しさはファッションでしかなく、小学生なら立派な筆箱を持ちたいとする心理のような感覚であり、カンペンしか買えない自分を恥じる気持ちに似ている。

アニメキャラやヒーロー戦隊もの、そんな絵が描かれた高級な筆箱も、数百円で買えるカンペンも同じだけ鉛筆は入る。


自分は大勢が集まる祭りごとはあまり好きではなく、花火大会等はまったく見には行かないが、そんな幸せも人々が日々の辛いことを忘れられる一時の至福でもある。

自由と多様性を排除し、監視管理される社会を強化するなんて人の幸せではない。どんなことでも、幸せを感じられたなら、この瞬間、この時がいつまでも続いてほしいと願うもの。その人々の幸せを守ることこそが、本当の保守であり、人を愛すること。











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