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エッセイ・コラム

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2024年3月の記事一覧

単調な表現の世界は退屈

単調な表現の世界は退屈

かつてユーチューブやツイッター、フェイスブックといったSNSを見るときに、広告に悩まされたことなど一切なかった。新型コロナの流行などもあって利用が進んだせいか、かなり広告の数は増えてきており、嫌でも目に付くようになった。
企業がアカウントを持って発信しているケースも珍しくないため、一見すると普通の投稿なのか広告なのかがよくわからないこともしばしばだ。

こうした広告は男女や年齢によって出し分けがさ

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オタクとJDと仕事できる風の若者からイデア論を考える

オタクとJDと仕事できる風の若者からイデア論を考える

いまではもう死語なのであろうが、かつて「オタク」と呼ばれていたひとたちには、ファッションや体形などで一定のモデルに収斂する傾向があった。
大体はチェックのシャツでめがねをかけていて小太りで、そして滑舌があまり良くなく、総じてハキハキとはしゃべらない。もちろんオタク全員がそうだというわけではないのだが、不思議と近似していくのが世の常であった。

人間が、一定のモデルに収斂するという現象はオタクだけの

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人の顔を見るといつも――

人の顔を見るといつも――

極めてばかばかしい話で恐れ入るのだが、記者という仕事は様々な人と会うものである。
それだけに、対面で挨拶をしてしばらくアイスブレイクよろしくあれやこれやと話すわけだが、いつもその際に私が人の顔を見て思っていることがある。

それは「人間の顔はだいたい何らかの動物に似ている」ということである。

ともすると人をからかうときなんかに「ウマ面」とか「サル顔」と言われることもあるが、いろんな人の顔を見ると

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納得「感」のナゾ

納得「感」のナゾ

世の中で起きていることを正確に理解するというのは難しい。
それだけに、一個一個の事象を丁寧に説明してもらい、ようやく納得することが多い。

納得をした際に、「納得”感”がある」ということを言う人がいる。または理屈が通っていることでも、説明をするとなぜか「うーん、納得感がない」といったフィードバックを受けることがある。

「納得感」というのは思わず素通りしてしまう言葉の一つなのだが、よく考えてみると

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どう生きるかを考える前に「どう生きて来たか」を振り返ってみよう

どう生きるかを考える前に「どう生きて来たか」を振り返ってみよう

映画「君たちはどう生きるか」が、このたびアカデミー賞の長編アニメーション賞をとったという。実にめでたいことである。同作については前に感想も書いているのでご覧いただければ幸いだ。

さて、「どう生きるか」というのは極めて抽象的な問いだ。考えようとしてみても、これからどう生きるのかにあれこれ施策をめぐらせるのはそれほど簡単ではない。

しかし、今までをどう生きてきたのかは、私たち自身がよくわかっている

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弔いのことばを見つめて

弔いのことばを見つめて

有名人が亡くなったときには多くの人がお悔やみのコメントを寄せる。関係者はもちろん、今の時代ではファンもコメントを発信できる時代だ。
以前記したように人が亡くなったときにはその人の真価が出る。残された側が故人に対して適切なお悔やみができるかどうかは、故人との関係性の深さや愛着に依存するところがある。
先に触れた有名人であれば、出演している作品や手がけたコンテンツに愛情を持っていた人ほど、「弔いのこと

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本屋には「きっかけ」が満ちている

本屋には「きっかけ」が満ちている

かつて私は本が嫌いであったという話をしたことがあったけれども、まともに純文学を読み始めるようになったきっかけは、間違いなく作家の中村文則さんの『遮光』にある。

出会いのきっかけも同様に書いてあるが、今思えば本屋における偶然の出会い(いわゆるセレンディピティである)であったように思う。
なんせ、そのときたまたま実家の駅前の本屋で「いま売れ筋です」みたいな感じの特設コーナーで置いてあっただけなのだ。

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