見出し画像

【第2章】義務教育奮闘篇(ともユッキー過去篇)

※前の記事(前回の章)を見たい方は下記URLから!

第0章(プロローグ)➡️https://note.com/0420tomoyuki/n/n571d2c130d21


第1章(爆誕&エリート園児篇)➡️https://note.com/0420tomoyuki/n/n8d0f36be9492


今振り返れば「生まれてから幼稚園卒業まで」の期間が、俺の人生で相対的に1番 順風満帆と言えるのかもしれない。

小学校に入学。
このタイミングから、良いか悪いか俺の人生は大きく動き出す。

当時 少し大人になれた気分と新生活が始まるという事実に対してのワクワクと、
全員が「はじめまして」の環境に行くというドキドキの二律背反の感情に挟まれ押し潰されそうになりながらも入学式に向かっていた。

入学式開始前。
組み分けされたクラスごとに教室に入り、ビデオ鑑賞しながら待機する様に指示された。
組み分けと言っても某魔法学校の様に喋る帽子に振り分けてもらう訳も無く、大人達がランダムで何のファンタジー性も無く決めた内容。
当然 お互いに初対面で緊張していて静寂の中「トムとジェリー」の音だけが響き渡る・・・はずなのだが。 
現実はそうでは無かった。
「トムとジェリー」の音など聞こえない程にザワザワしていて、既に幾つかのグループごとに固まり会話していたのだ。
しかも会話内容に耳を傾けると、明らかに初対面の人と話す内容じゃない会話をしており、俗に言う「身内感」が漂う空間だった。

これは後から知った話なのだが、俺が通っていた小学校は近所に「幼稚園」「小学校」「中学校」があり
ほとんどの子が事実上エスカレーター式に進学する為、顔ぶれが変わらないのだとか。
幼稚園から一緒で、下手すりゃ家が近くでそれ以前からの仲だって居たくらいだから小学校入学式時点であったも「身内感」も出るはずやわ。

そこで当時の俺は、幼いながらに「1人ボッチになるのは今後の長期に渡る学校生活に支障が出る」と判断し、まずは男の子に片っ端から話しかけてみた。
結果は惨敗。 そりゃそうだ。
想像してみて欲しい。
自分たちの知り合い・身内しか居ないと思ってリラックスしていた空間に、全く知らん奴が居て、ソイツが突如満面の笑みで自分に話しかけてくる。
大人になった今でも同じ状況に置かれたら相当怖い(笑)

当然のごとく9割には、邪険に扱われたり・無視されるといった反応だった。
しかし1人だけ俺に関わってくれた男の子がいた・・・正確に言えば、俺が追いかけた回した結果「逃げる」というリアクションを取った奴が居た。
後にその子とは今に至る迄、家族ぐるみでの付き合いをしたり、頻繁にでは無いが定期的に連絡を取ったりする仲に成る。

その子と仲良く成ってからは、その子を介して話す人が増え少しずつ交流関係を構築する事が出来た。
でも時間も掛かったし、俺がコミュ障な事もありスムーズに打ち解けれなかった時も多々あるため、
関わりが その男の子となかったと思うと容易に想像できる暗い学生生活が待っていたと思う。
そうゆう意味ではマジで感謝しかない。

そしてYouTubeでユニット「まりしてん」を組んでくれている「わゆ」と出会ったのも、この小学生時代になる。
小学生から高校までずっと同じ学校に在籍して、大学で「わゆ」が上京。
その後社会人になり俺が後追いで上京し、今のいままで交流がある。
人間的なタイプや得意分野はのは違えど、考え方で似た部分が有ったり、趣味が同じだったり、
少なくとも俺はリスペクトする部分が多くあったりで「親友」「悪友」「戦友」「盟友」どれにも当てはまるけど、どれにも該当しない。
不思議な関係性やけど、長い付き合いのある人物もこのタイミングで出来た。

徐々に打ち解け始めた頃、人間関係において
特に「学校」という箱庭社会においては最も重要視される「キャラ設定」が決まる。

俺は自分で言うのも恥ずかしいが、決してスクールカーストにおいて上位に位置している人間で無い。
ただ、この時期の俺はまだ「アウェイ感」がある反面、キャラクターに関しては「未設定」の状態だった。
そんな中、いわゆるクラスの中に1人は居る「バラエティ担当組」の「いじられ役」のポジションに空き枠があり見事にその位置を陣取った。

・・・「陣取った」と言えば聞こえは良いが「無意識の内にあれよあれよという間に気付けばそうなってた」と言った方が正しい(笑)
でもこのポジションはアウェイで生活する上で「いじめ」の対象では無く、その手前で止め「笑い」に変える事で自らの居場所へにする、
かなりパワープレイではあるが俺の中では立派な蘇生術だと思ってる。
それにバラエティ班のポジションはどこであれ、俺の性分には合っていた。

勿論メリットも有る。
男女、先生・生徒、カースト・派閥。
いじられ役・バラエティ担当のポジションは、そういった境界線を関係無く行き来でき交流できる。
いわゆるトランプで言う「ジョーカー」。まさに「道化師」。
・・・これもまたカッコ付けた言い方にしてしもうたわ(笑)

とは言え 前述した通り「小学校」も「中学校」も顔ぶれが9割変わらない状態なのにも関わらず波乱万丈あった。
全て語ると note 記事が幾らあっても足りないので、タイトルのみで一部紹介させてもらう・・・

例えば小学校時代で言うと、
「渡邊(俺)・小杉の一年戦争」
「下校途中に逃走中開始(野良犬篇)(ヤンキー篇)」
「う〇こ隠蔽 イン ポッシブル」
「つどいの池 使用禁止発令」
「中野のマー君 鬼ごっこの乱」
「文集 なんでもランキングの乱」 etc..

中学生時代は、
「ヤンキー先輩大乱闘事件」
「放送部 改め チャリ暴走族」
「牛乳早飲み&大量の飲みタイマン事件」
「授業前のギャグ定例披露会」
「マキシマムザホルモン in 昼の校内放送事件」
「≪ネクストち〇ぽ侍≫の誕生」
「こなっちゃん 牛乳大噴射事件」
「修学旅行帰宅バス恋物語」 etc..

数えだしたらキリがないくらい濃いエピソードがある(笑)
今日はその中から、俺史上1位・2位を争う黒歴史「スプリング事変」と、俺がAKBオタクとしてデビューの話をして
「ともユッキー過去篇」の「義務教育奮闘篇」を締めたいと思います!

まずは今の俺からしたら特級の黒歴史「スプリング事件」から・・・

これは中学校の頃の話。
当時俺には同級生に好きな女子が居た。
ボーイッシュで童顔なスポーツ女子。結構県では名の知れたバトミントン部のエースだった。
自分なりには結構露骨にアピール・アプローチしてたつもりだったし、何なら仲の良い友達とかはかなりアシストしてくれた。
しかしその甲斐なく、その子には全く響いてなかった。

そんな中、別にその子に見せたり聞かせたりするつもりは一切無いにも関わらず何を思ったか
伝えきれていなかった想いや実らぬ恋心といったフラストレーションを晴らすべく、その子に向けての「ラブソング」を作った。
楽器なんて出来もしないのに、いっちょ前に作詞作曲と豪語していた。
(実際はメロディラインだけで、作曲なんで全く出来ちゃいなかった(笑))

歌詞は、その子に対する俺の想いや実際にあった出来事をベースに好き好きアピール満載の内容。
今でも歌詞はハッキリと覚えているけど、今思うと我ながら反吐が出る程の甘い言葉オンパレードだった(笑)

曲の作成の終盤。
あろうことか俺は学校の授業中や空き時間にも歌詞を書いていた。
すると案の定、クラスメイトに見つかり、歌詞を書いた紙も流失。
秒速で好きな子の元まで広まって、その勢いはとどまる事を知らず学校中の生徒に広まった。
更には在校生から入学前の弟・妹に迄広まり、入学と同時に曲と俺の存在を知っている生徒達が入って来るという意味の解らない現象まで起きていた。
この話は今に至るまで、俺としては意図していないが 知る人ぞ知る伝説の事件として語り継がれ
そして歌のタイトルであり、女の子の名前が「ハルカ」ちゃん であることから 一連の騒動はこう呼ばれている。
「スプリング事件」と。

若さ故の出来事の次は俺がAKBオタクデビューの話をしよう。
元々俺は小さい頃からアイドル好きではあったが当時俺は「浅く広く」といった感じで、
決まった推しが居るわけでは無く、現場にも行かず、ただ「アイドル」という存在が単純に好きだった。
主にはモーニング娘の出演する「ハロー!モーニング」って番組見たり、いろんなアイドル曲聞いたり情報収集する程度だった。
もちろん「スカートひらり」の頃からAKBも認知していたが、やはり当時は地方の貧乏中学生。
オタク活動を活発化させる程の財力はおろか、オタ活の概念すら無かった。

そんな中、紆余曲折あってメンタルがズタボロになってた時が中学2年にあり、その際に偶然テレビで流れてた「大声ダイヤモンド」を
耳にしてからAKBにハマっていった。
最初の推しは「まゆゆ」こと「渡辺麻友」さん。(そこから数年間イチ推しの座に君臨した)
勿論 握手会やライブにも必死に金を貯めて行き、ハガキ職人としてラジオ番組への「メール投稿」にも精を出していた。
上記で出てきた「わゆ」も当時一緒に握手会へ行ったり、ライブに行ったりで前線でオタクをした。

AKBを好きに成りたての当時。
初めての握手会参戦で「何とかして認知が欲しい」「他のファンより目立ちたい」という一心から、ある作戦を決行する・・・

昔から握手に行くアイドルの生誕Tシャツや推しTシャツを着たり、特攻服を着たりコスプレしたりする人は良くいた。
でもそれを真似しても埋もれる。

自分の名前を書いた名札やボード等をもってアピールする人も結構居た。
でもまだそれじゃ目立たない。

じゃあどうするか?
俺は黒地に白文字で「I am ともユッキー」と書いたTシャツを業者に発注して作り、それを着て握手会に行った。
無論そんな馬鹿は他に居るわけがない。 少なくとも俺は今まで何回もAKBの握手会や他アイドルイベントにに行ったが、同じ戦法を使うイカれ野郎には逢った事が無い。

そしてコレが効果覿面!
最初の自己紹介をする1回目以降もループすればするほど、自ら名乗らなくてもTシャツのお陰で「サブリミナル効果」が発動し記憶に刷り込まれる。
加えてもし「僕の事覚えてます?」と聞いたとして、覚えられてなくても目の前に「カンニングペーパー」ならぬ「カンニングTシャツ」が有るから間違えるはずもない。
それでまた俺が自分でも「ともユッキー的には・・・」「これはともユッキーのオススメです!」とか会話の中の一人称として言う事で、
名前を「覚えてるか?」の質問に答えた事で自分の口でも発し、耳で聞き、目で見て、反復に繋がる。
その結果、数回目の握手会でそのTシャツを脱ぎ別の服で行くと「あれ?今日はいつもの服じゃないんだ!」と言われ認知完了である。
中坊のガキにしてはよく考えた作戦だと我ながら感心する。

これが俺のオタクとしての本格デビュー。

てな感じでアイドルオタクとしての活動も本格化しはじめる反面、激動の学校生活を送りながらも無事に卒業。
なんやかんや小学校・中学校の卒業式は両方大号泣。
色々あっただけに思いが込み上げたのもあるし、好き嫌いは別として「小中校合わせて9年間一緒に過ごした奴らと高校進学で散り散りになる」という事実で感極まってしまった。
現に未だに連絡を取って繋がりが有る、関係性が続いてるというのは片手で数えられる程しかない。
あんなに長く濃い時間を過ごしたのに・・・不思議なもんですねぇ。
でも少なからず確かに濃く長い時間を本当の意味で「共有」できた面々が居る事が嬉しくもあり、これはこれでまた不思議なもんですね。

という訳で長文最後までご視聴いただきありがとうございます。
文章の長さに反して掛けてないエピソードが9割ですが、いかがでしたでしょうか?

次回は「高校デビュー篇」に突入!
迷い込んだ大奥、入学当初のイメチェン、波乱の修学旅行、人生初経験の交際と破局・・・激動の3年間であった出来事の内はたしてどれだけ話せるのでしょうか?笑
ご期待ください!!

ではまた🐷

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?