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思い出の「月見泥棒」 N家の月見団子を盗め!

 朝日新聞の「月見泥棒」の記事を読んでいたら、急に思い出が頭に溢れ出てきたので、そのことについて書こうかなと思います。

 私の住んでいるは、大阪府の北河内です。このあたりにも「月見泥棒」習慣がありました。中秋の名月の日に、子どもたちが近所の家を回って、月見団子を盗んで回るのです。  

私の地域の月見団子です

 ルールは、2つだけです。一つは「手で触ってはいけない」でした。多分「神様の団子なのだ」という意味でしょう。手で触れないので、箸で突いて盗むのですが、このルールのせいで結構難しくなっていました。なかなか、突き刺さらないのです(刺さらないで、落ちてしまう)。
 だから、私達は菜箸を肥後守(当時、一人一丁必携のナイフ)で削って、先をピンピンにしていました。それを、突き出しながら、手のひらを上に向けに撚るとうまく突き刺さるのです(なぜか、それは、鹿島流と呼ばれていました)。
 もう一つは「盗んでいるところを、見つかってはいけない」というものです。このルールで、私達子どもたちにとっては、それはもう、ドキドキのスリル満点な行事でした。探偵ごっこ(警泥)なんて、目じゃありませんでした。見つかったら、底の家の人に「どやしつけられる(死ぬほど怒られる)」と思っていたからです。

ギャングエイジ

 これらのルールは、ギャングエイジを通して6年か生ら下級生に伝えれていました。団子の取りやすい家や、各戸別の団子の取り方を書いた「秘伝書」までありました。

 実はこの行事は、団子を盗られ家は「繁盛する」か「お米が、豊作になる」と言われていたのでした。盗んだ子どもたちも「長生きできる」と言われていました。つまり、盗られた方も盗った方も得する、Win-Winの行事だったのです。
 だから、各家の人達はテレビなどを見ている振りなどして、子どもたちに団子を盗っていってもらうようにしむけていたのです。だから、簡単に見つからずに団子を盗めて、腹が破裂するほど食べることができたのです。

月見泥棒は、Win-Win

 しかし、随分前から一つの伝説が、私達のギャングエイジ集団に伝わっていました。「N家(名前はあえて伏せています。イニシャルも変更しています)の団子だけは、誰も盗ったやつがいない」というものです。私が6年生になったときも、先輩から聞きました。
 どうやら、N家では、盗られ家は「繁盛する」か「お米が、豊作になる」ということを全く信じておらず「団子が盗られたら、損だ」と考えていたようです。だから、N家では2階のベランダ(当時、2階建ての家は、珍しかった)にお団子を置いて、盗られないように用心しつつ月見していたのです。
つまり、N家は、ガチの団子争奪戦を私達のギャングエイジ集団に臨んでいたのです。
 先輩たちは、去年縄ばしごを使って盗ろうとしたそうですが、N家の爺さんの月見泥棒巡回に見つかって、ホースで水をしこたまかけられたそうです。

絶対に盗らせん!!

 私達が6年生になったときは、このN家の伝説を絶対にぶっ壊すことを決定しました。作戦は、私が担当しました。この難題は、正面からぶつかっても解決しないことは、ここ数年のトライアルで分かっていました。そこで、当時流行っていた「スパイ大作戦的な作戦」に出ました。

 当日の夜は、このように進んでいきました。7時から、たらふくよその家の月団子を食べた後、いよいよ、午後9時決行です。

 まず、陽動作戦で「爆竹」を鳴らし、巡回の爺さんを惹きつけます。爺さんは、ホースで水を撒き散らしながら飛んできます。その間に、別働隊が友達の父親の大工さんから借り出した、脚立を伸ばして月見団子を取りに行きます。そして、音や声を出してわざと見つかります。すると、そこへN家の父親が出てきて、
 「何しとんじゃ、そんなしょうもない作戦で、うちの団子を取れると思っ
  てるのか。アホンダラ!」
と啖呵をきります。それに対して、私達が
 「何言うとんじゃ、もう団子は頂いたわ。ボケナス!」
と、捨て台詞を吐きながらか脚立を持って逃げます。そこにN家の長男(中学2年)が、
 「あっ、ほんまに団子取れてる。」
と悲鳴を上げるという作戦です。

こんなに可愛くは有りません。もっと、ゴンタクレでした

 これでどうして団子が盗めたのか?と不思議に思うかもしれませんね。そこが、その年の6年軍団のずる賢いところです。6年生は8人いたのですが、100円ずつ出し合ってN家の長男を800円(当時、10円でたこ焼きが10個買えた時代です)で買収したのです。あの長男の悲鳴は、演技です。あの演技しながら、実は箸で突いて団子を盗んでいたのです。
 月見泥棒のルールは、2つだけです。中学生が参加してはいけないというルールは、ありません。買収してはいけない、というルールもありません。子どもが、自分の家の団子を盗んではいけないと、いうルールもありません。つまり、この団子争奪戦は、私達、子どもの集団の勝利というわけです。

 N家の月見団子は、800円(多分、今の8000円)もしたので、大変美味しかったと記憶しています(実際は、2個しか盗ってないので、8人で分けたら、少ししかなかった)。

閉所恐怖症のシナモンが、好きでした

 これが、N家の月見団子の伝説が崩れた真相です。この真相は、私が70近くなった今も守られています。「どうやって、N家の団子を盗ったんだ」とたまに聞かれても、当時の6年生5人(2人引っ越して、一人交通事故で死亡)は沈黙を守っています。N家の長男とは、今、自治会で一緒に役員をしていますが、N家の伝説の話が出たときは、目配せをするだけで終わっています。800円には、沈黙料も入っていたのです。

   ※この「月見泥棒」の風習は、私達が6年生の時を最後に
    廃止されました。N家より「子どもに泥棒を奨励するの 
    は、如何なものか?」と自治会と子供会に提案があった
    と言われています。

 以上、朝日新聞の「月見泥棒」の記事を読んで、記憶が鮮やかに蘇ってきたので、ここに記しておきます。

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