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#ふるさとを語ろう

ふるさとへの思いやエピソード、ふるさとの魅力、ふるさとのためにできることなど、ふるさとにまつわる投稿を募集します。ふるさとのまちの名前のハッシュタグ「#●●●(自治体名など)」もつけてもらえるとうれしいです!

人気の記事一覧

たまには真面目に感謝しよう。

俺の世代、それも田舎の人間でも珍しい話かもしれないが、俺が幼少の頃は愛知県豊田市に住む爺ちゃん婆ちゃんの家は自給自足がメインだった。特に母方の家は味噌も梅干しも漬物も野菜もみんな自家製だったし、カマドも火鉢も現役だったし風呂は五右衛門風呂だった。当然、トイレは汲み取り式だ。と言うより、畑の肥料にしていた。 春にはタケノコを掘りに行き、夏は梅をもいで土用干しをし、野菜を育て、秋には椎茸や米を収穫し、冬は火鉢と掘り炬燵で暖を取った。 法事や年中行事、節句に合わせて料理を作り、お

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¥300

東北のお祭り#やっぱり夏がスキ

はじめましての方も、いつもお立ち寄りいただいている方も、ようこそお越し下さいました。フードコーディネーターのNYです。地場産品のマーケッターを目指して日々奮闘中です! 7月も後半戦、いよいよ夏本番ですね。 夏は明るい太陽のせいか、楽しい思い出しかないような気がします。今回はそんな夏にピッタリなよづきさんの企画に参加してみたいと思います。 夏の楽しい思い出と言えば「お祭り」 北東北は毎年8月1日~7日頃に大きなお祭りが行われます。 岩手県「盛岡さんさ踊り」 北東北の

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「人工の島、人造の魂」第10話(全11話)

    ★  ある夜の晩ご飯のあとに、お父さんが唐突に言い出しました。 「うちはな、もう、引っ越すぞ」  どういうこと、と私は首をかしげました。  よく意味がわからなかったので、へらへら笑っていました。 「引っ越すって、誰がどこに」 「だから、うちの家族が引っ越すんや。違う家へ行くんや」  お父さんは、食事中にシーハーとつまようじを使います。食べかけのみそ汁に卵を入れたり、お茶碗に麦茶を注いだりしながら、しつこく食事を続けるくせがありました。  テレビからは、サンテレビの野

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「甘い氷 食べたいよぉ」詩―#シロクマ文芸部「かき氷」

かき氷を 幼稚園の頃 夏休みに たべるのが 一番の ご馳走だった 虫取り、川遊びを投げ捨てても バアバの お買い物に くっついて 行った 小さな町の 小さな甘味屋さん バアバの お気に入りの店 すだれが 店先でゆれてる 買い物が済むと いよいよ 甘味屋さんに入る 「おいでんせぇ~」 バアバは お店の人と顔なじみ 「暑うて おえんぞなぁ」とバアバ メニューは 壁にかかれた 手書きの品の 数点だけ バアバの注文はいつも 同じ 「冷やし白玉と カルピス氷」 カシャ カシャと

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シは消えヒトえ

僕は、御手洗 一。 この名前のおかげで小さい頃からよく 揶揄われたり小バカにされたりしてきた。 ”おい、はやくトイレいってこいよ!”とか。 ”おまえ、便所が一番スキなんだろ笑”とか。 親に訴えると「由来は洗い清めるって意味だからいい苗字なんだぞ」と諭されたけど、僕自身は納得いかないままだった。 そんな僕もー。 この春から関西にあるIT企業に就職。 中小とはいえ、そこそこの従業員数。 社外の方との顔合わせもあり、 名前の話題でたびたび億劫になることも・・。 ある日ー

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「人工の島、人造の魂」最終話(全11話)

    ★  E! E! E!  E! E! E!  Eの形のポートアイランド〜 「なに、その歌」  と、妻は眉をひそめる。 「知らないの? ポートアイランドの歌」 「何それ? 聞いたことない」 「じゃあこれは? ワ・ケ・ト~ンわけわけ~ わけるんやで~」 「それは知ってる。ワケトンダンスだ」 「じゃあこれは?」  あーかーいキーリンが うーみいを み・て・る  キーリンよ キーリンよ あーそぼうおうようおうおうおう 「もういいよ」  妻はそっぽを向き、はあ、とため息

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「人工の島、人造の魂」第8話(全11話)

    ★  私はプラスチックのお椀を両手で隠すように持ちながら、A棟の三階へつながる渡り廊下を走っていました。  途中ですれ違った一年生たちは、みんなホウキやちりとりを持っていました。 「なに、あれ」 「いーけないんだ、いーけないんだー。ろうかはしったら、いけないんだー」  と、こちらを指さしながら笑っています。  だけど私は、そんなことに構っていられません。  給食を食べ残してしまい、それをいんぺいしようとしているだけではなく、掃除当番までサボってしまっているのです。

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わたしの名は

北海道恵庭市。 新千歳空港のある千歳市とエスコンに湧く北広島市の間にある、人口5万7000人のちいさなまちである。 陸上自衛隊の3つの駐屯地と補給処の他には、特筆すべきものは何もない。 札幌市のベッドタウンであるにも関わらず、2年前までスターバックスのひとつさえなかった。ツルハドラッグはありすぎる。 道外の人に出身を聞かれても、近隣の市に比べると圧倒的知名度の低さで絶対に分かってもらえないので「札幌です」と言うことになる。 最近なら「北広島です」でも通じるかもしれない。 空港

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孤独な人は、「会」をつくってみよう

12年前、地元に帰ってきたときはとても孤独だった。産後、孤独がピークに達して、2016年に読書会(その名も「のべおか読書会」)をはじめてから少しずつ人とのつながりができていった。2019年に書いた拙い記事が残っているので、よかったらそちらも読んでほしい。 だからもし今、孤独を感じている人がいたら、自分の好きなことややりたいこと、興味のタネを取っかかりにして、自分で会をつくっちゃえばいいと思う。(少々乱暴な物言いだと自覚しつつ、書いている。) 会といってもわたしはもともと4

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じぶんえおかえり

わたしは羽里間 日真晴。 未亡人であり、一児の母だ。 闘病中に本当のじぶんに戻り、みんなあってくれるおかげで、このキセキの生命をてらすことができてる。 いつもオーバーヒート気味だった思考さんから離れ、ハートでとらえながら、わたしに満たされて生きるようになり、ひどかった生理痛もほとんど苦にならなくなったり、ときどき不思議なことも起こりながら、この愛に満ちた世界を楽しんでいる。 不思議といえば、あのひと。 恩地さんー。 まったく自我を感じない。 自分だと信じてきたものが

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「人工の島、人造の魂」第7話(全11話)

    ★  二年生に上がって、新しい教室に変わりました。  今までA棟の三階だったのが、今度からはB棟の二階です。 「まるで、お引越ししたみたいだね」  クラスが同じだったお友達と、私はキャッキャ笑い合っていました。  その最初の授業で、私たちはいきなりどぎもを抜かれました。  新しい先生は、丸眼鏡をかけ、薄く髭を生やした背の高いおじさんでした。頭は、白髪交じりの短髪です。  それはいいんですけれど、首からでっかいギターを提げていました。薄茶色の木でできた、フォークギター

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「風鈴と寝息」詩ーシロクマ文芸部「風鈴と」応募作品

風鈴と 子どもの寝息が 夏の 故郷の 小さな コンダクターだ 鎮守の森を わたってくる風は 風鈴を 鳴らし すだれが サヤサヤと揺れて 演奏会の始まりだ ヒグラシは 赤ちゃんの子守歌を カナカナと 哀愁を込めて 歌う 風鈴が バックコーラスを務める 寝息は 蚊取り線香の煙のように 空に舞い上がっていく カマキリの子供は 片目をつぶり 鎌をたたいて 拍手 母さんの 作ってくれた ひやむぎを すする 風鈴は 澄んだ音で  チュルチュルと 小さく鳴り アリに お昼の時間を知

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小麦色ってこんな色 #岩手の小麦「もち姫」

はじめましての方も、いつもお立ち寄りいただいている方も、ようこそお越し下さいました。フードコーディネーターのNYです。地場産品のマーケッターを目指して日々奮闘中です。 ついに梅雨に入った東北地方。そんな今の景色は小麦色です。(私の家の周りだけですが笑) 子供の頃、日焼けした人を見て「小麦色に焼けた肌」なんて言っていたことを思い出し「たしかに、こんな色だなぁ」と、しみじみ感じています。 最近は私の周りの家は田んぼをお休みする時は小麦を育てる家が多くなってきました。(昔は「

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〔詩〕稲の波

今日は 強く 風が吹く 田んぼいっぱい すくすくと 背の伸びた 稲たち 気持ちよさそに 風受けて そよぐ姿は 波のよう あぁ 稲の波 何度も 打ち寄せる 緑の波

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「人工の島、人造の魂」第9話(全11話)

    ★ 「ぼくたちは、あの《暗闇の雲》と戦わないといけないんだよ。この人工の島を守るためにね。ほら、ごらん」  真っ赤な雲の中から、黒い翼を持った、数えきれないくらいの人影が現れてきました。  顔もなければ、指もありません。ただつるつるして、尖った突起だけが生えているのです。  その黒い大群は、同じ色の雨を避けるようにして飛び回りながら、見る間に空を埋め尽くし、私たちの港の方へ向かってこようとしているのでした。  するとどうでしょう。  港の岸壁に立ち並んでいた赤いキリ

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ひめ皮付きの筍を、木の芽の酢味噌和えにしてみた件🤭❣️ 🌸春満喫🌸春は豊かです🎶😋

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想いを割る

 小学校の低学年だった頃だと思う。ある時、どうしてそんなことをしていたのかはもう覚えていないけれど、ベランダから通りを眺めていた。  ふっと目を上げると、向かいの二階窓から藤井の婆さんがニコニコしながら手招きしている。  藤井さんのところには子供がいないから、この家の人と接したことはこれまでない。だから婆さんも藤井の婆さんというだけで、知っている人ではない。それが随分ニコニコしながら手招きをするのは、何だか不思議な心持ちがした。  家に入って「向かいのお婆さんが呼んでる」と言

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【日常】【随筆】街の風景が変わったなー

私が幼い頃、日曜日というと  母に連れられて母の実家に 遊びに行ってた。 当時、その家には、母の妹たちが4人、弟がひとりいて、とても賑やかで、子どもの私たち姉妹と遊んでくれる人は、誰かしらいて、楽しく過ごした。 行くまでの間は、街中を歩いて行く。  個人商店街で、呉服屋、雑貨屋、米屋、金物屋、肉屋、八百屋、お菓子屋、洋服屋、惣菜屋など、色々並び、 店主と母は、ほぼ顔馴染みの人たちばかりだった。 中でも、ガラス戸が付いた大きなステンレス製の収納棚に、 せんべいがガサッと

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福澤諭吉と歩く

 先日、不滅の福澤プロジェクト「中津城下町まち歩きマップ」完成プレイベントに参加してきました。  不滅の福澤プロジェクトとは、一万円札として史上最長の40年活躍された福澤諭吉の功績を2024年の肖像交代をきっかけに”オールなかつ”で後世に伝えていくプロジェクトらしい。  あまり知られていないけど、大分県中津市は福澤諭吉の故郷なんですよ。  そして、「中津城下町まち歩きマップ」とは、福澤諭吉が創立した慶應義塾の山内教授が監修した地図。諭吉先生が歩いたであろうルートを歩きながら

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日々記:海とユーミンの青春

山も海も本格的なシーズン到来だ。 とりわけ地元では、静かだった海岸に、今年も海の家がどんどん建ってにぎやかになってきた。 夏が本番を迎えようとしている。 今も昔も、ここ湘南の海はわたしの心のふるさとだ。 まだ十代の頃、 わたしは親の仕事の都合で、東京都八王子市のJR八王子駅近くの繁華街の中に住んでいた。 近所のアーケードには「荒井呉服店」があって、それはつまりユーミンこと松任谷由実さんの実家だった。 昭和のおわりに近い頃の話。 あの頃のわたしたちの世代は、ニューミュージッ

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