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「人工の島、人造の魂」第9話(全11話)

    ★

「ぼくたちは、あの《暗闇の雲》と戦わないといけないんだよ。この人工の島を守るためにね。ほら、ごらん」
 真っ赤な雲の中から、黒い翼を持った、数えきれないくらいの人影が現れてきました。
 顔もなければ、指もありません。ただつるつるして、尖った突起だけが生えているのです。
 その黒い大群は、同じ色の雨を避けるようにして飛び回りながら、見る間に空を埋め尽くし、私たちの港の方へ向かってこようとしているのでした。
 するとどうでしょう。
 港の岸壁に立ち並んでいた赤いキリンたちが、もうもうと土埃を立てながら、重々しく足を動かし始めました。
 何十という赤いキリンが、一斉にその場で足踏みをして、同じ方向へ顔を向けようとしていました。
 ものすごい轟音が、耳を破るくらいに響き渡っていました。
 キリンたちの顔が、ぼんやりとした青白い光をまとい始めていました。それがあちこちで同時に起こっているので、まるで真っ暗な宇宙で星雲のただ中にいるみたいなのでした。
 ふいに、薄い金属の板をしならせるような音を立てて、いくつもの光が一つの方向へ向かって放たれました。
 その勢いは、思いのほかゆっくりでした。何十本という青白い光線が、糸を引くみたいに黒い空のかなたへ向かっていました。
《暗闇の雲》の方角です。
 全てが一つの点に重なった時、すさまじい爆発が起こりました。
 だけど、今度は少しも音がしませんでした。ただ雲が裏返るみたいに沸き立ち、空全体を覆う渦を作り出して、台風みたいな暴風を視聴覚室の中にまで吹き込んできました。
 カーテンが暴れまくっていました。私は思わず顔を伏せ、背中をかがめました。だけど、絶対に目を離してはいけない、という気がしていました。自分はこれを、最後までしっかりと見届けなければいけないのだと。
「第一波、着弾。敵戦力の損害不明。目標、健在を確認。引き続いて、白兵戦に移る」
 山ン本先生は、いつの間にか手に持っていたトランシーバーに向かって、ぶつぶつとつぶやいていました。
『ラジャー。敵八時の方角より、三騎にて突貫する』
 ガーガーピーピーというやかましいノイズのかなたから、聞き覚えのある女の人の声が漏れてきました。
「幸運を祈る。オンマリシエイソワカ」
『そちらの数は?』
「一騎か、二騎だ」
『オンマリシエイソワカ』
 そこで通信は終わったらしく、先生は膝元へトランシーバーを下ろしました。
「はるちゃん、飛べるかい」
 先生にそう尋ね下ろされても、私にはとてもうなずくことはできませんでした。
「はるちゃん、飛べない」
「そうか」
 たいして残念そうでもなく、先生はあっさりと答えました。そうして丸眼鏡を外し、ポロシャツの胸ポケットに入れました。
 山ン本先生がそんなにハンサムだったなんて、その時まで想像もしませんでした。
「はるちゃん、この人工の島で育ったことを、君は決して忘れてはいけないよ。それはこの世に生まれた、君自身だけの記憶なんだからね。そうしていつか、先生たちのあとに続いて、《暗闇の雲》と戦うんだよ。それは君がこの世で果たさなければいけない、いちばん大切なことの一つなんだよ」
 口角を上げて微笑むと、大きな手のひらで、先生はわしわしと私のつむじを撫でてくれました。
「約束とは言わない。だけど、はるちゃんがきっとそうするだろうことを、ぼくは知っているよ」
 そうして腰をかがめ、タバコくさい唇で、私の額にキスしてくれました。ごま塩ひげが、紙やすりか砂鉄みたいにちくちくしました。
 すぐに背中を向けると、山ン本先生は窓枠に足を掛け、手すりの向こうへ身を乗り出して、そのままくたびれた革靴で強く蹴りつけました。
 黒い雨が降りしきる、黒い翼の生き物で満ち満ちた雲の下へ向かって、先生は一つの輝く玉になって、光の帯を残しながらすっ飛んでいきました。
 別の方角から、同じような光弾が三つ、重力に逆らいながら斜めに飛び上がっていくのが見えました。
 一つは、尖った角と黄色い目を持つ、大きなドラム缶のような錆びた遊具。
 幼稚園にいたマリンです。
『ノン、ノン! はるちゃん、さよならは別れの言葉じゃないよ。再び逢うまでの遠い約束なのさ』
 もう一つは、おもちゃの刀を抜いた灰色のずんぐりしたロボット。
 校庭の端にいるはずのポピアです。
『それがしは、武士じゃ。しからば、戦うために選ばれたソルジャーじゃ。はるちゃん、君の心にしるしはあるかの』
 そして最後の一つは、丸いおかっぱの髪に黒縁メガネをかけた、小柄な女の人。
 一年生の時の担任だった、神野先生でした。
『生命尊重のみで、魂は死んでもよいのかしら。伝統を守るために死ぬ。それがこの国に生まれたの者の命の華なのよ』
 三人は錐揉みしながら一体となり、やがて山ン本先生もそこに合流して、一つの大きな流れ星みたいになりました。
 そうして、飛びかかろうとする黒い翼の生き物たちを跳ね飛ばし、どろどろに溶かしながら、まっすぐに《暗闇の雲》のど真ん中へ向かって突っ込んでゆきました。
 ふと、全ての音が聞こえなくなりました。
「山ン本先生、みんな」
 静寂の中で、私は喉が破れるくらいに叫んでいました。
 まるでその声に答えるみたいに、地面がぐらぐらと揺れ始めました。
 遠くから地鳴りが伝わってきて、海鳴りがそれに続いてきました。
 そして来た、突き上げるような衝撃。
「うわああっ」
 私は叫びながら、その場にすっ転んでしまいました。それでもお構いなく、二度三度と地面が激しく上下し、私はゴムボールみたいに飛び跳ねながら床に叩きつけられました。
 手足をもがこうとしましたが、思ったとおりに動きませんでした。その代わりに、生まれてから感じたこともないほどの痛みが襲ってきました。どうやら骨が折れてしまったみたいなのです。
「山ン本先生、マリン、ポピア、神野先生」
 私は一人一人の名前を呼びながら、仰向けに寝転がり、ごぼごぼと血を吐き出しました。熱いものが口と鼻から溢れ出し、胸元へ真っ赤に広がっていくのがわかりました。
「フィローゼ」
 きっと、二度と出会うことはない。
 他に頼る場所もない外国人の女の子を、この人工の島から追い出した罰を、報いを、私は受けているのでしょうか。
 天井がめりめりとひび割れ、すさまじい音を立てながら口を開けました。黒い雨が、バケツをひっくり返したように降り注いできました。柱が傾き、こちらへ向かって倒れ込んできました。
「ああっ」
 私の体はその下敷きになり、腰の辺りから肩にかけて、ぺちゃんこに潰れてしまいました。
 そこで目が覚めました。
 薄暗がりの中で、見慣れた天井が目の上にありました。
 人工の島の分譲マンション、その一室です。
 私はびっしょりと汗をかき、顔いっぱいで泣いていました。
 隣で寝ているお母さんは、向こうを向いて、気持ちよさそうにいびきをかいていました。
 私は、どきどきする心臓に手を当てながら、しばらくそのまま横になっていました。まぶたを閉じても、あとからあとから涙がこみ上げてきて止まりませんでした。
 ふと、変な感じがして、鼻水をすすり上げながら体を起こしました。
 パジャマのズボンの後ろ部分が、海につかったみたいになっていました。
 私は幼稚園の時から久しぶりに、おねしょをしてしまっていたのです。
 

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