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「人工の島、人造の魂」最終話(全11話)

    ★

 E! E! E!
 E! E! E!
 Eの形のポートアイランド〜


「なに、その歌」
 と、妻は眉をひそめる。
「知らないの? ポートアイランドの歌」
「何それ? 聞いたことない」
「じゃあこれは? ワ・ケ・ト~ンわけわけ~ わけるんやで~」
「それは知ってる。ワケトンダンスだ」
「じゃあこれは?」

 あーかーいキーリンが うーみいを み・て・る
 キーリンよ キーリンよ あーそぼうおうようおうおうおう

「もういいよ」
 妻はそっぽを向き、はあ、とため息をついた。
 久しぶりの神戸だ。
 私たちは三宮からポートライナーに乗って、貿易センタービル駅、ポートターミナル駅へと進んでいった。
 完全自動運転のモノレールだ。女性の声の車内アナウンスは、日本語のあとに英語、中国語、韓国語と続く。
「ここはほんとに、いつも人がいなかった」
 大型船がつけられる港の突堤に差しかかっていた。
 昔はたまに、優美なシルエットの帆船が停泊していた。日本丸、海王丸。体験乗船をして、ヤシの実で甲板をごしごしこすったことがある。
 高速バスのロータリーも備えている。にもかかわらず、不思議なくらい人影が見えなかった。その点は震災の前からずっと変わらない。
「売店でチョコボールを買おうとして、父親が『おうい、お金置いとくで』って大きな声を出しても、誰も出てこなかった」
 妻は、窓の向こうのハーバーランドを眺めたまま返事もしない。海辺の観覧車がライトアップされるのには、まだ少し早かった。
 彼女はただ、イケアに行きたいだけだ。
「あそこは元々、南公園だったんだよ」
「ふーん」
「この島で一番大きな公園。たくさん走り回ってから買ってもらった、売店のメロンフラッペが、冷たくっておいしかったな」
 モノレールは自動運転の無感情さで、真っ赤なアーチ橋を渡っていく。
 崩れそこねた高層ビルの町、過去に存在した未来都市。そういう姿が車窓の枠内でどんどん大きくなっていく。
 土地勘のない妻をちょっと騙して、中公園駅で降りた。南公園までは、そこからずいぶん歩かないといけないのだけれど。
 丸くつやつやした大きな御影石が、いくつも芝生に埋まっている。幼い私はピクニックをして、その上をテーブルにしてお弁当を食べたものだ。
 ペン先みたいな形をしたビルの下から、大通りに架かっている陸橋を渡った。
 高台に並木道の商店街が伸びている。昔からそんなに流行っていなかったけど、今はほとんど閉店してしまい、デイケアやパソコン教室だけが点々と開いている。
「典型的なシャッター通りだね」
「これでも、ずいぶん甦ってきたんだけど」
 私はうきうきと答えていた。
「大学をいくつも誘致して、若い人たちが戻ってきた。もちろん、新しくここに住もうっていう人は少ない。公団もマンションも、高齢化が進んで大変みたいだ」
 わかっている。妻にとっては何の興味もない話だ。それでも私は、一人でぺらぺらと話し続けるのをやめられなかった。
 途中で閑散としたテナントビルの中をくぐり、化粧タイルの坂道を降りていった。
 そこからは、分譲マンションの団地だ。空をぎざぎざに縁取るビルの谷間。通い慣れたレンガ敷きの通学路をたどっていく。
「ちょっと。イケアは」
「ここをまっすぐ進んでいけば、じき着くよ」
 妻は首をひねりながらも、強く言い返すことができない。なにしろ彼女にとっては、縁もゆかりもない初めての町なのだ。
 緑の金網の向こうに、小学校のプールとグラウンドが広がっていた。
 こんなに広かったんだ、と思った。大人の目で見ても、他の土地の学校よりもずいぶんと大きい。あのころには、本当に土でできた海みたいに見えたことだろう。
 今そこは、一面の芝生で埋め尽くされている。
 小学校と中学校は合併して一つになったらしい。日本のどことも同じように、深刻な子ども不足なのだ。子どものいない所に、ブリキとメッキの夢なんて生まれるはずがない。
 遠くに見える演壇の横には、くすんだ銀色のずんぐりしたロボットの姿はなかった。
 下りのスロープを挟んだすぐ隣が、幼稚園の敷地になっている。コの字型の園舎も、きちんと並んだうわぐつ箱も、道沿いのおゆうぎ室も、昔と何も変わらない。
 ただ、園庭の端に並んでいたのぼり棒、ジャングルジム、すべり台といった「危険な」遊具は、全てきれいに消えてしまっていた。最近はどこでもそうだ。ならばそういう「危険な」遊具で毎日遊んでいた自分たちは、どうして今も平気で生きているのだろう。
 尖った角と黄色い目をした、錆びたドラム缶のようなロボットの姿もやはりなかった。
 夏の庭は、しんと静まり返っている……
 何事もなかったようにそこを通り過ぎ、薄い曇り空を見上げた。
 すると、うろこ雲の切れ間から黄金の陽射しが降り注ぎ、それとともにいくつもの声がポリフォニーとなって、私の耳の奥で響き渡った。
『はるちゃん、おかえり!
 他のみんなが忘れてしまったとしても、ぼくたちだけはちゃんと憶えているよ。
 君がかつてここにいたことを。ここで育ち、生きていたことを。
 君は君なりの《未来戦争》を戦い抜いて、ここへ帰ってきたんだよね。
 そしてこれからも、それは続いていくんだね。
 君の人生の中での、《暗闇の雲》との戦いは。
 はるちゃん! またいつでも戻っておいで。
 ぼくたちはいつでも、君のことを待っている。
 君とぼくたちだけが分かち合える思い出は、話し尽くせないくらいたくさんあるんだから』
「何にもない、人の少ない所だね」
 妻はあくびをしながら言った。
「都会の中の田舎みたい」
 私は笑って、何も答えなかった。
 妻は知らないのだ。
 もうずいぶん昔から、自分の夫が人間ではなく、人造の魂だ、ということを。
                               (了)

Ending Theme
「Landslide」 from 『Pisces Iscariot』
The Smashing Pampkins

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