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わたしの名は

北海道恵庭えにわ市。
新千歳空港のある千歳市とエスコンに湧く北広島市の間にある、人口5万7000人のちいさなまちである。
陸上自衛隊の3つの駐屯地と補給処の他には、特筆すべきものは何もない。
札幌市のベッドタウンであるにも関わらず、2年前までスターバックスのひとつさえなかった。ツルハドラッグはありすぎる。
道外の人に出身を聞かれても、近隣の市に比べると圧倒的知名度の低さで絶対に分かってもらえないので「札幌です」と言うことになる。
最近なら「北広島です」でも通じるかもしれない。
空港から札幌までJRで向かうにせよ、高速に乗るにせよ、一般道でのんびり行くにせよ、通過するだけのまち。
それが、わたしの故郷である。

わたしが小学生だった30年ほど前には、「えにわの子」という冊子が毎年発行されていた。
市内の小学生の優れた作文、詩、読書感想文などが集められた冊子だ。
今もあるのかは分からない。
わたしも仕事柄この手の冊子の編纂に携わったことがあるのだけど、その仕事も途絶えて久しい。
働き方改革、予算削減、という時代の流れで「えにわの子」が消えていても不思議ではない。

わたしは、その「えにわの子」の常連だった。
なるべくたくさんの子を載せたいという担任の意向で川柳ばかりが掲載された4年生のとき以外は、毎年作文か読書感想文で登場していた。
当時から書くことが好きだったかと言われると、自分ではよく分からない。
ただ、苦ではなかったように思う。
周りの子が苦労しているなか、行事作文も感想文も比較的らくらくと書き上げていた記憶がある。

それが、わたしの「書く」原風景。
「えにわの子」に載せてもらえるということは、わたしの書いたものが学校の代表として恥ずかしくないものだったということだ。
教師の気に入るように書いたというつもりもない。
思うまま、感じるままに言葉を紡いでいた。

「えにわの子」に書き手としてのわたしの原点があり、「えにわの子」に書き手としてのわたしは育まれてきた。
恵庭の子。
めぐみ 庭子ていこ

これが、書く人間としてのわたしの名前。

恵庭市の山奥には3つの滝がある。
原生林の中を落ちる瀑布はどの季節に訪れてもたくましく、人間の干渉を拒むさまが清々しい。
また義経伝説などが残っていることもあり、妄想が膨らむのである。
わたしは、このまちを愛している。
恵庭で育ったのだと、自らの筆名にそのルーツをのせた。
これからも、めぐみティコとして気ままによしなしごとを綴っていく。

なまえのはなし

今朝つぶやいたのだけど、荒らしが来た。

この記事に対して、「文体は一人に一つしかない」と語るご婦人がひとり。
書いているうちにヒートアップしてきたのか、意味のわからない短いコメントを連投しはじめた。
最後にはわたしの筆名をあげつらい、「めぐみティコってハンドルネームからして胡散臭いまたどこかの駄文書きだわな。バカバカしい、飽きた」とのこと。
勝手に騒いで勝手に飽きているのなら世話ない。
こういう時には、例の呪文がものすごい効果を発揮するのかもしれない。
でも、あれはわたしにとって、大切な呪文。汚したくない。こういう場面で使うべきではない。

筆名のことを言われたのも腹立たしかった。
おかしな名前に見えたとしても、きちんと意味と想いをのせている。
そして、私は自分の書いた文章であっても絶対に「駄文」なんて言わないし、まして人の書いたものならなおさら。
この世に駄文などひとつもない。

自分の生まれ育ったまちのことや、筆名の由来を記事として書くつもりはなかった。
でも、言われっ放しなのでは腹の虫がおさまらない。
やり返すか、正当な方法で。と思い、記事にした。
スクショやメール画面を晒さないわたしの寛大な心に、多大なる感謝をして頂きたい。
noteにも荒らしっているんだなぁ。

「文は人なり」って荒らし夫人に言われたけど、そっくりそのままお返ししたいわね

気分を悪くされた方がいたら、申し訳ないです。
お口直しに「自分もつれていけ」というもね殿をどうぞ。
洗面所に諸々用意しに行って戻ってきたらこうなってた。

多分あなたのことは手荷物では持ち込めないのよ
なんなら鼻ぺちゃさんは飛行機に乗れないのよ

遠征するバンギャだったので、荷造りめっちゃ速いのが自慢です。
1泊2日なら20分あれば終わります。

#どうでもいいか


路地裏への案内状🩷

今週はコニシさんにたくさん変態って言われてて嬉しかったです(?)(?)(?)(?)(?)


私信:コニシ木の子さま
これはお家芸通り越してもはや伝統芸能ではないですか?
またまたコニシさんをネタにコングラボードを頂きました。

コニシさんのサイトマップを勝手に作ったときの記事で二冠達成です㊗️🎉