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わたしはどう書くか

静森あこさんの記事を読んで、あー、わかるなぁって思ったはなし。

あこさんね、すごいのよ。
何がって書くこと、創作に対する情熱がすごい。
その情熱でもってわたしに「エッセイストになりたい」と宣言させたのはあこさんなのだ。


いや、私、次は静かな文章書きたい!

良い意味で欲が出た。より

これよ、ここ。
小説を書いた経験がわたしにもちょっとだけあるから分かる。
「こういうお話が書きたいな」っていう欲望は当然のこととして、「こういう雰囲気の文章が書きたいな」っていう欲望もあるんだよね。
色々な文章を意図的に使いこなせたらそれはもう本当にすごいことだけど、なかなかうまくいかないものなのだ。
記事の中であこさんも触れているけど、焦っている時はジタバタした感じの文章になってしまうし、自分がとにかく楽しんでいる時は文章もルンルンしてる。
(余談だけどコニシさんのエッセイはいつもルンルンしていてだから好き)

軽いエッセイを書くときには『自省録』のような堅い文章は似合わないし、自分の過去と決別するようなものを書くときにさくらももこや町田康じゃイマイチだよなって思う。
今わたしが書いているような思考を画面にそのまま貼り付けていくような文章のときには、わたしの場合は話し言葉混じりで書いた方が伝わるかなぁと思うけど、じっくり読ませたいときにはそれはノイズでしかない。

要は、書く内容によって文体を自由自在に操りたいですよね、っていうはなし。
んで、どんな文体で書いてあっても「めぐみティコだよねぇ」って思われるくらい、自分のスタイルを確立したいなってはなし。
(余談だけどコニシさんのエッセイはどんな内容でもコニシ節でだから好き)

あこさんよりだいぶん欲深いぞ、わたし。

(ここまでの部分は読んでほしいから呼んでおく。
⬇️結構好きな文章なのでみんなにも読んでほしい。けどもうコニシさんはコニシ木の子ってジャンルになってると思うのですよ)

あ、コニシさん、おつかれさまでした。ここまでで大丈夫。
リアクション、回収などはしなくていいです。


ティコ節って言われたいなぁ。
向田邦子みたいに「今」を描きたい(書く、ではない)し、雨宮まみみたいに自分のエロい妄想やどろどろした部分を書きたいし、さくらももこみたいにばかばかしいことを書きたい。
どんなことを書いても、「ティコだからなぁ」って納得してもらえる人になりたい。

耳馴染みのいい素敵な言葉だけを並べたエッセイなんて、書きたくないんだよねぇ。
自己啓発的な。自分を癒してあげよう的な。自分にも周りにも優しくしてあげよう的な。
そういう方が伸びるのかなぁと思わないこともないんだけど、それはそういうの専門の人に任せておけばいいし、わたしの領分じゃないし。

やっぱりさ、エッセイで性のこと堂々と書ける人って強いよなぁって思う。
エロとしてじゃなく、自分の内面を書くツールとしての性。

今ね、雨宮まみをどしどし読んでいるんだけど、
「1日8回オナニーしては、虚しさに泣きました。自分はこのまま誰にも触られずに死んでいくんだと思うと悲しかった。」
ってことがそりゃあもう赤裸々に、これ以上脱ぐものないよってくらい綴られている。
そしてこの感じはわたしにも痛いくらいに共感できてしまうんだけど、彼女以外にこういうことを堂々と書く人もいなくて、やっぱり令和でもこういうことを書ける人間ってのは必要だろうと思う。


来年の創作大賞、わたしはもう出せないなって思ってたけど、出せそう。
あれ以上のもの書けないって思ってたけど。
まだまだちっぽけな輪だけど、わたしに求められる役割って、たぶん自分の内面を通して人間を描くことだって、そう思う。

ああ、結局内容のはなしになってしまった。



今週も感想、ご紹介ありがとうございます。
本当に、何が起きてるんだろうって思います。


今まで頂いたものはこちらのマガジンに収録しています。
ありがとうございます。





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