ZONO/Masaya Jitozono/地頭薗雅弥/SETAGAYA UNITED◢
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いま試合に出れていないけど、本気でプロになりたい君へ
僕はジェフU18で、高卒でトップに昇格してプロになるつもりでいました。
しかしそれは叶わず、僕はもう一度プロになるチャレンジをするために青山学院大学に進学し、大卒でプロになろうと決意しました。
1.2年生は試合に結構出ていて、このまま4年間ちゃんと試合に出続けて、大卒でプロになろうと思っていました。
そんな大学3年生の最初に、前十字靭帯断裂という大怪我を負い、大学生3年生は開幕の2試合以外全て
fridge×SETAGAYA UNITED
new local integrate partner🧊 @fridge.setagaya
世田谷線の上町駅すぐにあるセレクトショップ、fridgeにユニフォーム背中のパートナーになっていただくことになりました。
昔から良くしてもらってるサカモさん @sacamogram がオーナーの熊坂さん @sugurukumasaka を紹介してくれて、熊坂さんにお会いしてすぐに「世田谷ユナイテッド
2023.5.20世田谷ユナイテッド初ホームゲーム
今日2023年5月20日、僕たち世田谷ユナイテッドは、世田谷区内で初めての公式戦ホームゲームを駒沢公園第二球技場で開催できることとなりました。
2022年1月1日に創設以降、毎月、毎日のように困難が訪れながらも、たくさんの方々に支えられ、もうすぐ創設1年半というこのタイミングでホームゲームを迎えられたこと、本当に嬉しく思っています。
今年は新加入選手も増え、試合やトレーニングを分析してくれるス
2022.11.3 SETAGAYA UNITED今季最終戦
2022.11.3
駒沢公園
SETAGAYA UNITEDの創設初シーズン、2022年の最終戦を行うことができました。
FC.BANDELIEさんにお越しいただき、審判団も公式戦と同じ様な雰囲気を作ってくださり素晴らしい雰囲気の中試合をさせていただくことができました。
選手とスタッフ全員で、チームの輪郭を創っていっている最中で、来ていただいた方々にも1戦目より2戦目、2戦目より3戦目と少しずつ
2022.10.8 駒沢公園
2022.10.8
駒沢公園第二球技場で、世田谷ユナイテッドとして世田谷区内で二度目の試合のイベントを開催することができました。
まずはパークフットボールで、子供から大人まで、沢山の方々と一緒にボールを蹴って交流することができました。
「前のイベントも来たよ!」と言ってくれる子供がいたり、地道にやっていくことで少しずつ根付いていくことを実感するイベントとなりました。
ご参加ありがとうございまし
世田谷ユナイテッドの存在意義
世田谷ユナイテッドが始まって、早いもので半年が経ちました。
そして6月26日、ついに世田谷区内の駒沢公園で試合のイベントを行なうことができました。
イベントはチームのコンセプトでもある、「世田谷を舞台に街と人を繋いでいきたい」そんな想いから、老若男女問わず参加して頂けるサッカー交流会からスタートしました。
みんなが笑顔で、同じ空間にいることを楽しめる、最高の時間になりました。
サッカー交流
SETAGAYA UNITED開幕戦
いよいよ今日2022年4月23日土曜日、世田谷ユナイテッドの公式戦の開幕戦を迎えます。
1月1日の立ち上げここまで本当に色んな事があって、上手くいったこと、上手くいかなかったことが沢山ありました。
僕の力不足でメンバーに迷惑をかけたこと、行き当たりばったりで壁にぶつかり続けていること、課題は本当に尽きません。
ただ世田谷ユナイテッドを立ち上げたことで、クラウドファンディング含めて沢山の方々の
SETAGAYA UNITED 始動
2022年1月1日、SETAGAYA UNITEDというサッカーチームを始動させて頂くことになりました。
引退も考えていた2021年、渋谷シティにオファーを頂き、ウィズアスという会社にも声をかけてもらい初めて会社員として働きながらサッカー選手としてのキャリアを続けるというチャレンジをしました。
渋谷シティではブランディングなどチームとしての見せ方の部分を多く学べて、素敵な仲間とも出会えてとても
悔しかったあの試合
#悔しかったあの試合
僕はあまり、過去を振り返るのが好きではありません。
過去って今の自分の生き方で解釈が変えられると思うし、未来も過去も“今”が形成していると思っているからです。
ただそんな中でアスリート、サッカー選手として今31歳ですがこの歳までプレーしてくると、「この試合で自分の人生が変わるかもしれない」というような試合に直面することがあります。
例えば高校生の時にクラブユースの準決
夢を諦めたくない、未来ある君たちへ
僕は4歳からサッカーを初めて、気づいた時には“プロサッカー選手”になるのが夢でした。
だけど、26歳になるまでサッカーでご飯が食べれませんでした。
だけど諦めずにやり続けたおかげでサッカーでご飯を食べさせてもらうことができて、色んな国に行けて、大切な人たちに出会うことができました。
そして今年、サッカーとは全く関係のない新しいお仕事も始めてさせていただいて、さらに“渋谷”に本気でJリーグクラブ