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悔しかったあの試合



#悔しかったあの試合

僕はあまり、過去を振り返るのが好きではありません。

過去って今の自分の生き方で解釈が変えられると思うし、未来も過去も“今”が形成していると思っているからです。

ただそんな中でアスリート、サッカー選手として今31歳ですがこの歳までプレーしてくると、「この試合で自分の人生が変わるかもしれない」というような試合に直面することがあります。

例えば高校生の時にクラブユースの準決勝で勝って決勝まで行って優勝できていれば。
大学生3年生の関東大学リーグ、前十字靱帯を断裂した試合で怪我なくプレーできていれば。
SC相模原時代、やっと得たJ3でのスタメンの試合で点を取ってチームが勝っていれば、など。
思い返せば色んな悔しい試合がある気がします。

強いてその中で悔しかったあの1試合を挙げるとするなら、マレーシアのサバFAでプレーしていた時の2017年マレーシアFAカップの準々決勝、対ネグリスンビランとのセカンドレグを振り返りたいと思います。

アルビレックス新潟シンガポールからマレーシアのサバFAに移籍し、初めて日本人1人で外国人枠の選手としてプレーし始めた僕は、サバFA初めての日本人選手として10番を付けさせてもらってシーズンがスタートし、自分としてもとても楽しみなシーズンでした。

ところがフタを開けてみればチームはなかなか勝てず、雰囲気はどんどん悪くなり、僕を気に入って獲得してくれたはずのフランス人GMからは唯一のアジア人外国人の僕への当たりが英語も流暢ではないのが拍車をかけて強くなり、負けるたびに対応が悪くなり、最後には名前も呼んでもらえず「スシ!」と呼ばれる始末でした。
悔しくて練習後に毎日家で塞ぎ込んでいたのを覚えています。

そんな中チームの成績不振でフランス人GMと監督が去り、マレーシア人のスタッフで再スタートを切った僕たちサバFAはカップ戦は順当に勝ち進み準々決勝に駒を進めました。
しかしフランス人スタッフの交代で外国人枠4人のうちのフランス人選手はプレーを拒否、外国人選手は僕とクロアチア人DFの2人という中で試合を迎えました。
(東南アジアでは外国人選手への依存度が高いチームが多く、外国人選手は枠をフルに活用して獲得することが多いです。その分負けたら外国人の責任にされることも多いです。)

なかなかリーグ戦で勝ててないこともあって、普段の試合は入っても数千人の観客数でした。
それがローカルの選手が、「おい、今日の試合チケット完売らしいぞ?」「満員のスタジアムだ」なんて言うから半身半疑でピッチに出た僕は、満員のスタジアムに突然包み込まれました。



J1でもJ2でもプレーできず、やっと海外でプロサッカー選手としてプレーできることになった僕は、夢だった満員のスタジアムでプレーできるチャンスをもらえました。

本当に近くの選手の声もほとんど聞こえなくて、観客の声しか聞こえない中プレーできるのは、サッカー選手として本当に幸せな瞬間だと思います。



なれないポジションでプレーした僕でしたが、ポスト直撃のシュートなどいくつかチャンスを作りましたが、チームは結果的にドロー。
1stレグで敗戦していた僕たちは、準決勝に進むことができませんでした。

その1ヶ月後に僕はタイのチームからオファーを頂いて移籍することになったけど、あの時ゴールを決めて、チームを勝利に導いて準決勝まで行けていればマレーシアでのサッカー人生は違うものになっていたんじゃないか、そう思うような1試合でした。

自分のサッカー人生は、キャリアのある選手みたいに大きな栄光も全然ないし、上手くいかなかったことの方が大半です。

でもだからこそ色んなことに食らいついて、色んな経験をさせてもらって、その結果色んな国に行ってプレーさせてもらうことができました。

悔しいことってその瞬間は辛いししんどいけど、「生きてるな」って瞬間のひとつのような気もするし、人間にとって必要不可欠な感情のような気もします。

これからもひとつでも自分の目の前にあるものを掴みたいと思って生きていくと思うけど、自分の中の悔しいとか、そういう内側から湧き出る強い感情と向き合って生きていく人生にしていけたらと思います。

#悔しかったあの試合
#ライズ東京
@masayajitozono

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