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初代の正統派令和リボーン。大傑作「ゴジラ-1.0」感想

すごかった。
山崎貴監督の集大成です。

STORY:
出兵していた敷島浩一は日本へ帰還するが、東京は焼け野原と化し、両親は亡くなっていた。人々が日々を懸命に生き抜いていく中、浩一は単身東京で暮らす大石典子に出会う。しかし、これから国を立て直そうとする人々を脅かすように、謎の巨大怪獣が現れて……

https://natalie.mu/eiga/film/193785

令和に甦った正統派ゴジラ

国産ゴジラ作品が公開されるのは、2016年の「シン・ゴジラ」以来。
「シン・ゴジラ」は庵野秀明監督の作家性も手伝って、ゴジラシリーズ史上最強の変化球という作風。
あれはあれで傑作でしたが、本作「ゴジラ-1.0」はまさに真逆で、初代ゴジラを令和の作風に正統に落とし込んだような作品になっています。

王道を征こうとすると、自ずと大傑作である第1作目の「ゴジラ」(1954)と比較されることになるわけですが、本作は勝るとも衰えない素晴らしい完成度。
今のCG技術や感性を活かした、令和版ゴジラの”答え”のような作品に仕上がっています。


情け容赦のないゴジラの迫力にビビる

本作のゴジラは、最初から最後まで全くキュートさなし。容赦なく街や人を蹂躙します。

人々が踏み潰されたり、食いちぎられたりする様子がここまで克明に描かれるのはシリーズ史上初なんじゃないでしょうか。

映画開始6、7分の時点でいきなりゴジラが登場しますが、その時点で凶暴さに息を呑みます。
ここは、映画の導入としても非常に優れたシーン。いきなり山場をもってくることで「この映画は甘くない」という認識を観客に植え付けつつ、その迫力でこちらの目を釘付けにしてくれます。

しかしながら、このシーンはまだまだ序の口。
核による進化で更に大型化したゴジラの強さ、恐ろしさといったらもう。
ここまで”怖い”と思わせるゴジラはこれまで見たことがないかもしれません。
ハリウッド版の「ゴジラ」(2014)「シン・ゴジラ」に登場する個体はどちらというと超自然的な存在で、人が歩いていようと気にも留めないという感じですが、本作のゴジラはちゃんと狙って人を殺めたり街を壊している感じがしますからね。
あんなデカい怪物が明確な殺意を持って迫ってきたら、人類はもう逃げるしかないですよ。


人間ドラマとの調和がお見事

ゴジラ映画って、大体人間ドラマ部分がお粗末になりがちなんですよね。
だからこそ、それをクリアしている初代「ゴジラ」「シン・ゴジラ」は傑作になった。

本作も、人間ドラマの部分がよくできています。
さすが、邦画で何本もヒット作を作ってきた山崎貴監督です。

まず、時代設定が上手い。
本作は、初代「ゴジラ」が製作された1954年より前の1947年が舞台。
戦後、すべてを失った日本がどのようにゴジラに立ち向かうのか。
そして、戦争を生き抜いた上で更なる絶望に襲われる登場人物たちがどのように葛藤するか。
時代設定を巻き戻すことが、物語に一本の軸を与えています。

そして、戦争の影に囚われたままの主人公・敷島(神木隆之介)と橘(青木崇高)。
彼らが、ゴジラとの戦いを通じて人生にどのような答えを見出し、自分の中でだけ続く戦争をどう終わらせるのか。

若干ご都合主義が過ぎるようにも思えますが、令和らしい前向きな答えを提示している本作は鑑賞後感も気持ち良いです。
ドラマ部分で描きたい軸がハッキリしているので、ゴジラファン以外の方も安心して鑑賞できます。
シリーズもので間口を広く設けるって、結構重要ですよね。


ご都合主義展開にオチでバランスを取る

さっきも書いたんですが、本作は色々と上手くいき過ぎな部分もあります。
ここからは多大にネタバレを含むので未鑑賞かつ観に行きたい方はブラウザバックを。

まず、やっぱり典子(浜辺美波)強過ぎる問題。
宙吊りになった電車(しかもゴジラに振り回されてる)の中で懸垂状態になって耐えるなんてまず無理だし、あの爆風で吹き飛ばされて生きているのもおかしい。

ただ、入院している彼女の首元には黒いアザが。
あれはゴジラの放射能による被曝を意味しているのか、ゴジラから他の影響を受けたのか、どちらなんでしょうね。

ネットではゴジラの細胞が彼女の中に入り込んだという考察もありましたが、爆風で何千人もの人が亡くなったいるはずなのに彼女だけがそうなるのはどう考えてもおかしい。
となるとやはり被曝の表現と考えるのが自然ですが、同じ場所にいた敷島は特に影響を受けていないし、アザが少し動いていたような気もする(一瞬だったので記憶が曖昧)し…結局は観客の解釈に任せる、ということなんでしょうかね。

奇跡的に助かった彼女にも、この後は辛い日々が待っているのかもしれない。
そう考えると、ご都合主義といった印象は幾分薄れてきます。

肉片になっても生き続けるゴジラを描写して復活を匂わせるラストは、もはやファンサービスですよね。
過去作でもほぼ同じような描写がありましたし、オマージュの意味合いもありつつ不穏さも残す、といううまい落とし所だなーと思いました。

ただ、物語のテーマ的にはない方がスッキリしそうなシーンではあるので、オールドゴジラファンとライトなファンで受ける印象は変わりそうです。


“王道”で期待以上のものを作ったことに脱帽

結局、これに尽きるんですけど。
この作品、めっちゃ王道なんですよ。

展開は予想を裏切らないし。
死にそうな感じで誰も死なないのは、セリフやストーリーからなんとなく予想がつくし。
説明的なセリフが多かったり、ちょっとクサい演出もある。

でも、そんな王道展開でもしっかり期待を超える面白さがある。
これが、中々どうして難しいことなんですよ。

まず、やっぱハリウッドの映画とかって予算が莫大なんですよね。
CGは作り込めるし、脚本家やスタッフだって日本の数倍の人数が揃う。
だから演出はいくらでも派手にできるし、脚本を複数人で叩くことで展開も煮詰めることができる。
洋画は、力づくで期待を越えさせることができる訳です。

邦画は、洋画に比べると圧倒的に予算が少ない。
「ゴジラ-1.0」は邦画の中では制作費が潤沢な作品ですが、それでも公称値は15億円程度。
ハリウッド版の「ゴジラ」と比べたら1/10程度の金額です。
そんな条件の中で、ここまで王道に面白いディザスター映画を作れたのはお見事という他ありません。

冒頭に本作は山崎貴監督の集大成と書きましたが、振り返ると彼のフィルモグラフィーは「ゴジラ」を撮るためにあったのでは、とさえ思えてきます。

「ALWAYS」シリーズで描いてきた古い街並み、「永遠の0」で描いた戦争と戦闘機、「アルキメデスの大戦」で描いた戦艦。
これまで彼が作ってきた作品のノウハウすべてが本作に活かされているように思えましたね。


というわけで、令和初の国産ゴジラ作品「ゴジラ-1.0」は、紛うことなき傑作に仕上がっています。
迫り来るゴジラの迫力、絶望感はスクリーンで味わってこそ価値があるはず。
迷っている方がいたら、ぜひ映画館へ。

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