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帰宅すると家の中がやけにがらんとしている。妻と子供たちの姿が見当たらない。家財道具が無くなっている。
警察に捜索願を出しに行くと「ご家族は無事ですが、あなたには行方を伝えられませ…
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#毒親
もう駆け引きには乗らない。すべてを白日の下に晒す。私のターンが始まった。
エピローグ
子供たちと再び引き離された私は、「この断絶はかならず意味のあるものだ」と決めた。
自分と同じ境遇の人がたくさんいることを知り、多くの当事者と出会った。
出会いは思考を飛躍させる。
私は自分の子供を「奪還」するだけでなく、全員の子供を奪還するほうが、もしかしたら早いのかもしれないと考えるようになり、具体的にその方法を探りはじめた。
まずは自分の体験を、ツィッターに綴ることか
怒りは「使命」に変えなければ、ただの「怨み」となり自分を不幸にする。
■45
あなたを幸せから遠ざける声は、今では誰がささやかなくとも、あなたの脳内にアナウンスされている。自分が気に入らないもの、非効率なものを排除する「離婚脳」は、あなたを一歩ずつ不幸にしていく。
あの両親すら、もはやあなたの敵ではない。年老いて、力がなくなった今では、あなたに遠回しに許しを請いながら、弱者にイライラをぶつける習い性を変えられずに苦しんでいる哀れな存在だ。
あなたの積年の思いを
〈23〉子供の声は誰にも届かない。それを経験した元妻が、いま子供の声を封鎖している。
■23
この三ヶ月、子供たちへの道が、一度は大きく開かれた。学校という子供の福祉の体現者に、間に立ってもらえるという希望が芽生えたからだ。
だがその芽は、いとも簡単に摘み取られた。このショックは、いまもなお身体に染みついている。
約束の七月になった。夏休みに入った頃合いに、私は新潟駅に降り立った。だが、私はまだ会えるまでの道筋が見い出せずにいた。
やはり、元妻の実家しかないか――
とてつも