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〈23〉子供の声は誰にも届かない。それを経験した元妻が、いま子供の声を封鎖している。

■23
 この三ヶ月、子供たちへの道が、一度は大きく開かれた。学校という子供の福祉の体現者に、間に立ってもらえるという希望が芽生えたからだ。
だがその芽は、いとも簡単に摘み取られた。このショックは、いまもなお身体に染みついている。
 約束の七月になった。夏休みに入った頃合いに、私は新潟駅に降り立った。だが、私はまだ会えるまでの道筋が見い出せずにいた。
 やはり、元妻の実家しかないか――
 とてつもなく気が重い。インターフォンで、なんて声をかけよう。声をかけても無視されるだろう。門前払いは確実だ。警察にも通報することだろう。学校はともかく、家ともなれば、私の申し開きは通用しない。なにか妙手はないものか。
 わずかな可能性に賭けて、一緒に暮らしていた頃に家族で行った場所を回ってみることにした。もしかしたら、そこで行き会えるかもしれない。
 実家を訪ねるよりは、ましだ。衆人環視があれば、元妻といえど奇行に走ることはできない。彼女は人一倍、人目を気にするのだ。よく、こんなことを言っていた。
「うちの親は外ヅラだけはいい。私が『家の中では、こんなに酷いことを言われている』と近所の大人に訴えても、誰も信じてくれなかった。『それは愛情があるからだよ』『親は、親だから』『あなたにも悪いところがあるんじゃない?』と言われるのがオチ。誰も分かってくれない」
 そう聞くたびに、(それをいま、自分がやっている側なのに、この人はなぜ気づかないんだろう)と思ったものだが、とても口には出せなかった。激昂させて娘を怖がらせてしまうだけだ。
 子供の声は、誰にも届かない。それをいちばんよく知っているはずの元妻が、いま我が子の声を封鎖している。これがカルマというものなのか。
元妻と行き違いが発生すると、「よく分からないけど、自分が悪いのだろう」と諦めるのが癖になっていた。私もまた、カルマを断ち切れずに、子供を苦しめた張本人だ。今こそ、重い鎖を引きちぎりたい。

 ショッピングモール、商店街、駅周辺、「女権業者」が巣食う公民館などを歩き回った。行き交う車の中や、バスの乗客にも注意を向けた。しかし、そこに子供たちの姿を見つけることはできなかった。
 時刻は午後四時をまわった。日が暮れてしまう。元妻の家、灰色の空気。
 思い切り息を吸い込み、肺の中の空気を一気にすべて吐き出した。
 私は自分を鼓舞して、元妻の実家がある新潟市北部の町へ向かった。


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