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ただ存在しているだけで人間は価値がある。それは間違いない。

ただ、仕事で結果が出ていないときの存在肯定は、成果が出ていないことに対する正当化で使われてしまうことがある。

そうなると、当然衰退していくのみなので、遠からず存在肯定の難易度はさらに上がってしまう。

逆に仕事の成果が上がってる時は「結果出てるし、まぁいっか」と努力を放置しがち。存在肯定が悪い方向で発動してしまう。


本来は「存在肯定」と「結果に対する自信」は無関係。

だが、人と比較することが当たり前になると、両者は強い結びつきになってしまう。

やはり仕事で成果を出し続けることが、唯一の存在肯定につながるのでは…?とも思ってしまう。

しかし仕事というやつは、あまりに不確実性の高い要素だ。

努力だけでどうにかなるような話じゃない。外部要因もたくさんある。


そうすると、存在肯定と仕事の成果に対する自信はやはり分けて考えねば…

いやしかし、他人との比較の中でしか生きられないように植えつけられてしまった私たちにそれはできるのか?

もちろん意識することによってある程度は改善するものの、人間関係の中で起こりうる比較から完全に逃れることは、雨の日に雨の間をすり抜けようとするようなものだ。せいぜい軒下を転々として濡れる時間を短くすることしかできない。

存在肯定と仕事の自信を分けるスキルを高め、せめて傘ぐらいは開発したいものですね。

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