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元妻を虐げてきた毒親。その二人の日常を目の当たりにし、言葉を失った。

第二部 プロローグ

 二つの気持ちが、私の中にある。
 子供たちと暮らしたい。しかし同時に、元妻とは暮らせない。
 元妻と暮らせば、私は確実に「ダメ」になる。彼女は、自分の両親を怨みながら、反面で自分が育った家庭を再生産しようとする。
そして自分が「そういうこと」をしてしまうと、絶対に認めない。
いまこそ少し態度をやわらげているが、時間がたてば、また彼女は私を抑圧するだろう。それに耐えられるだろうか。
元妻の導火線は短い。子供たちに両親が諍いをしているところを見せたくなければ、彼女の言うことをコンマ一秒で即答して受け入れつづける以外に無い。
私は現実的に、それに耐えつづける自信がない。株式会社リクルートを卒業してから、映画のプロモーションや中小・零細企業経営者のコンサルティング、NPO法人の運営などに携わってきた。元妻はその仕事にひとつずつ難癖を付け、辞めさせた。そして「あなたは仕事がつづかない、工場で単純作業をするしかない」と言う。
どう考えても、誰に聞いても、それは私には向いていない。
元妻の父親は、地元の某製菓会社の工場のラインを定年まで勤めあげた人だ。そして元妻の母親は、そんな夫を虐げつづけてきた。

映像が浮かぶ。それはいつか、元妻の実家で本当にあった出来事だ。
私は彼女の父親とテレビを眺めながら、世間話をしていた。そこに彼女の母親が近づいてくる。
「テレビ、見てないの?」
「見てるよ」
ここまでは、ありふれた夫婦の会話。母親は近づきながらもう一度言う。
「見てないの」
まるで聞こえなかったかのようなそぶり。父親も、もう一度返す。
「見てるよ」。
一回目でどう考えても聞こえていたはずだ。私は少し緊張した。
母親はそのまま近づいてきてテレビのリモコンを持ち上げ、私と父親が見ているテレビをブチッと消してしまった。父親が大きな声を出す。
「なにするのぉ!」
「見ていないのかと思って」
そう言い捨て、何の用事を足すでもなく、去って行った。
肌が粟立つ。
他人事として聞けば、しょうもない話。幼稚な意地悪だが、これを私の目の前でやっているという事実。それが当たり前になってしまっている感性。二人の積み重ねてきた数十年が、一瞬にして見えた気がした。

この家に、子供たちを置いていることは、危険だ。かといって、私が引き取るためには、元妻と暮らさなければならない。
元妻と暮らすということは、この父親と同じ扱いを受け続けるということだ。
子供のことは、命がけで守りたいと思う。この場合の命がけとは、エイッと生命を投げ出すことではなく、毎日、命の時間を削りながら耐えることなのかもしれない。
しかしどうしても、私には元妻と暮らすことが現実的に思われなかった。

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