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夢中になる、盲目。

日記を書くことに抵抗感がありました、完成されたわたしを見てほしいという願望を捨てられずにいました、中途半端なら吐き出さない方が、コンテンツとして、わたしとして、価値を持っていられる気がしたのです、かといって、必死に作り上げたわたしほど受け入れられないし、たった30分、夢中になって書いたあの夜の何気ない言葉の方が愛されるし、なんか、そういうもんなんだって思ったら、ここにいました。

最近はずっとむかついています。よく分からないイライラというよりは、負けている気がする今の状況にむかついている。他人に対する嫉妬、自分への期待と現実のギャップ、手に入らないものへの距離の遠さ、些細なものが積み重なって、むかついて、今の動力源になっている。怒りがあるうちが、わたしは輝いている、満足してしまうと光をなくす、皮肉な人生だね。

この言葉はこの表現には使えません。教科書に載るような正しい日本語だらけの文章のおかげで、わたしは言葉を好きになれたのに、ここ数年は、ちゃんとされていない言葉にばかり惹かれるようになりました。ですます調か話し言葉、どちらかに合わせて書きなさい、と教わった文章も、今ではこんな感じです。ちゃんとしないといけない時は、こんなわたしでも、ちゃんとしています。けど、ここではちゃんとしていないわたしを見てほしい。表現が間違っているような気がする言葉も、正解は調べないまま残すようにしています。だからこそわたしらしいし、そんなわがままでいられる場所が欲しくて、わたしは今のわたしになったのだから。目的を見失う必要はない。

たいへん気分屋で飽き性です。動画を見ていたと思えば、次は音楽、本、ご飯、電話、、数秒前の自分の行動を忘れてしまうので部屋は散らかる一方です。思考を整理するのが苦手、それがわたしの行動のすべてに出ています。上手く生きているような気がしていたけれど、友人と遊んでいるときに急に無口になってしまったり、気が乗らない時はなにもしなかったり、突然ひとりでどこかへ行ってしまったり、わたしのわたしらしさは日常のあらゆるところで発揮されていること、最近ちゃんと気づきました。薄々、気づいてはいたけれど、というよりは、分かっていたけれど、最近複数人の友人とともに過ごす時間が増えて、ちゃんと思い出した。共同、という言葉がかなり苦手です。

みんな知ってると思うけど、恋愛の話が大好きなんです、わたし。男女の駆け引きなんてたまらない。しょうもない男女の話を一生聞いていたい。愛されたい女の子と、愛を知らない男の子の話を聞けば、一日中妄想していられる。そんなわたしは、恋愛を見失うどころか男女であるという認識をすることすら億劫になってしまいました。大切な恋人がいなくなってから、数人から連絡が来ました。今までのわたしなら飛びついていたのに、今のわたしはそのすべてを断ってしまった。かといって過去の恋人を思い出すわけでもなく、適当に遊ぶでもなく、本当に無感情になってしまった。いまのわたしは、本気で自分に夢中なのかもしれないです。他のなにかが目に入らなくなるぐらい、自分に夢中で、その中で出会える人たちに夢中で、毎日どうやって一秒でも長く生きるか、そればかり考えている。社会人になってしまったら、いやでも背負うものが増えて、責任が付きまとって、生活が制限される。今にときめけ、明日にきらめけ。自分自身にとことん夢中になってくれ。ふざけながら話してくれた先輩の言葉が、ずっとわたしの中にいる。

ひとりでは生きていけません。ひとりで生きていくことも望んでいません。でもまずは、自分を大切にしてあげられないと、自分に夢中になれないと、だれかのことを考えて、幸せにするなんてことは到底できません、とわたしは思っています。来月、また大好きな冷たいまち、東京に行きます。わたしは東京に行くたび、毎回違う人に会えている。今回は本当にたくさんの人に会えます。ただ、初日、ひとりで東京に行く、と友人に告げると、深夜に湘南のデートコースを案内してくれると言ってくれました。ホテルもひとりで泊まるのは危ないからと、一緒に泊まろうと言ってくれました。過去にわたしが一目惚れした友人です。あれ、わたしの恋愛、案外近く?

今日は、よりわたしに近いわたし、でした。おやすみ。



いつか青い鳥になって、あなたの下へ幸せを届けます。