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ちょっとした話

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楽園の向こう側

楽園の向こう側

最近、どうにも楽しいと感じる事が少ない。

それなりに癒されるひとときはあるのだが、楽しい!と思えないのである。

コロナ禍で、今まで楽しいと感じていた事も全く琴線に響かなくなってしまったのだろうか。

仕事が嫌な訳でも無く、休みも充実させようと思っているのに、いざ休みになると何をするでもなく一日が過ぎてしまう。

少しコロナ禍の縛りから緩和されつつあるので、飲みに行く事もあるのだが、何だかそれで

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noteって、どうやって書くんだっけ?

noteって、どうやって書くんだっけ?

何だかなぁ。

書こうとするのが久しぶりすぎて、感覚が若干おかしくなってる気がする。

写真も、先月上旬に撮り溜めしたもの。

今は秋色だもんなー。

てか、

どうやって、どんな事を書いてたんだっけ?w

noteの書き方を忘れるくらいに、試験勉強漬け、だったはず。なのに、試験は恐らく2問程ボーダー届かず。。。

人はひたすら落ち込むと、言葉を紡げないのだな。と、自覚する日々。

でも、あきらめ

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試験前なのもあり。

試験前なのもあり。

大丈夫かなぁ。

10月某日の介護支援専門員の試験まで、あと数日になってしまった。

ここのところ、体調不良が無くなったと喜んでいたら、今度はパソコンの調子が悪く、モバイルからの投稿だとどうしても校正しづらくてnoteから足が遠のいていた。

本来、気になる事はモバイルで下書きして、自宅で校正をしてから載せる事にしている。

続き物を書きたくて、プロットは下書きしてあるのに、なかなかこういう細かい

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やると決めたらやる。それしかないから。①

やると決めたらやる。それしかないから。①

介護士のはずの私が、元々は保育士資格をもち、保育関連の事務局長をする事になる経緯は、幼少期に遡る。

小学校低学年の頃。両親が離婚する寸前には、父も母もお互いが家庭を顧みない猛毒親になっていたため、夜になっても独りぼっちで過ごす事が多かった。妹は、母の友人宅に預けられていたが、私は母に折檻されるくらいに嫌われていたので、基本独りぼっち。

借金取りの関西弁の、ミナミの何たらの千原ジュニアみたいなお

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夏は苦くて、切ない季節。

夏は苦くて、切ない季節。

中学生の頃から…いや、社会人になってからもしばらくの間吹奏楽に没頭していた私は、コンクールを筆頭に夏の思い出が多すぎて、毎年少し感傷的になってしまう。

思えば、自分の生きたいように生きようとしていたつもりが、あの頃から多数の理不尽な事に巻き込まれ、そして生きづらい展開になっていく人生に変わりはなかったように思う。吹奏楽もやらなくなってしまい、楽器に触れる事も無くなって10数年程経つ。

何故あん

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その人の常識、その人の価値観。

その人の常識、その人の価値観。

訪問介護をしていると、その人のこだわりだとか、その人なりの常識、価値観が垣間見えてきて、実に人となりが見えて来るものである。

玄関先に何を置いているかによって、掃除を重んじる方なのかどうかがわかるし、台所の調味料の置かれ方やその種類、シンクの使われ方等によって、料理の得手不得手や得意料理もわかる。

洗濯物を外に干す順番は、上の服、下の服を道路側に干す。だとか、掃除機をかけていくのは、玄関や仏間

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バーンアウトした3年前。

バーンアウトした3年前。

私は、3年前燃え尽きて灰になった。

保育関連の事務局長をしていた3年前は、事業としても何かとはじめての試みが多かったのは仕方ないとしても、調子の良い行政担当者達に持ち上げられ、かけた梯子を外され、保護者は勝手な事を言い、保育士はなかなかまとまらない…

日々、孤独を感じていった。

保護者からの求めで、私も元保護者としてやれる事をやったはずだったのに、気がつくととんでもなく深い闇の中に居た。

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ありがとうございます😆✨

ありがとうございます😆✨

3月21日からはじめたnoteですが

おかげさまで、3ヶ月弱で

フォロワーさんが200人超えとなりました!

これからも、不定期ではありますが

マイペースにやって行こうと思ってます。

どうぞよろしくお願い致します🙇‍♀️

大病になってはじめて、わかった事が沢山あった。

私は、10年前に大病をした。

きっかけは、当時某大手グループで、管理者一年生だったが仕事がありすぎて、優先順位をつける事もできず、夜も普通に家に帰れない日々だった。前任者のやり残した事が大きすぎた。

ケアプランのサインは一年近く貰えていない入居者が居る、ADLの急激変化があったにも関わらず、要介護度区分変更申請もしていない。

一番ヤバかったのは、入居金未納がとっくに退去を申し渡せる期限に来て

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会わない後悔より、会う後悔なんてすごく綺麗事だった。

会わない後悔より、会う後悔なんてすごく綺麗事だった。

私は、9歳の時に両親が離婚し、父と二人暮らしをしていた。多感な時期には父とも色々あり時々、友人宅に居候もさせてもらっていた。

両親の離婚は、妹は3歳の時だから、覚えてるかどうかも微妙な頃である。彼女は母と一緒に暮らす事になり、私達姉妹は離ればなれになった。

妹と再会したのは、今から6年前の事。

実に、30年ぶりという運命的な節目だった。

きっかけはそれより3年程前に、突然ある県の市役所から

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一周回って、訪問介護に戻った理由を書いてみる。

違う仕事をしていた時期が何度かありながらも、気がつけば通算今年で介護の仕事に携わり、26年目となる。

前職がぬるま湯の某老人ホームであった事は、何度か書いているが

私が何故このタイミングで、某府から隣県までわざわざ通っていたのをやめて、居住地の某府隣市、ようは地元に戻る形の通勤をする事にしたのか、何故色々やってみて、訪問介護に戻ったのかを書いておきたいと思った。

ぬるま湯ホームを辞めた理由は

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時には、胸の内を書いてみる。

かれこれ、四半世紀ほど介護に携わっている。

自分の年齢を考えると恐ろしくもなる…。

当たり前の事ではあるのだが

訪問介護で言えば、20代で仕事をしていた頃は

「若いのに料理もできてすごいね」

「車の運転上手いね」

等、微笑ましく見て頂いていた面が大きいが

今となっては

料理は主婦歴も長くなったので、短時間でできて当たり前。

車の運転だって、ベテランすぎるので今更凡ミスな事故はない

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自己紹介します(*・ω・)

はじめてnoteの世界に足を踏み入れさせて頂きました。h_r(ハル)と申します。

私は、短大卒業後、

特養

訪問介護

ディ→訪問介護に異動しサ責

有料→有料管理者→サ高住管理者→エリアマネージャー

サ高住と小規模多機能兼務

☆介護でない仕事(親と姑の介護をしていた為)

大手コールセンターオペレーター+訪問介護登録ヘルパー

某市の保育関係の運営事務局の事務局長

寝たきりになった父

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道開きの神様

道開きの神様

先日、所用で

滋賀県の白鬚神社に行って来ました。

ここは、日本全国の『白鬚神社』の総本山。

全ての道開きの神なんだそう。

琵琶湖の中の鳥居が神秘的⛩

とても気持ち良く、パワーを頂きました✨

…私の、初心に返って訪問介護をまたはじめた

介護の道が開けますように。

皆様にも、いい道開きがありますように✨