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バーンアウトした3年前。

私は、3年前燃え尽きて灰になった。


保育関連の事務局長をしていた3年前は、事業としても何かとはじめての試みが多かったのは仕方ないとしても、調子の良い行政担当者達に持ち上げられ、かけた梯子を外され、保護者は勝手な事を言い、保育士はなかなかまとまらない…

日々、孤独を感じていった。

保護者からの求めで、私も元保護者としてやれる事をやったはずだったのに、気がつくととんでもなく深い闇の中に居た。

いや、この事業の現在を見ていると、きちんと私なりにやれていたし、勉強もした上で1,500万円もの赤字を改善し、経営を立て直した。

と、いう事は。自分が考えていた以上に周りの理解があったのだ。理解がなければ、事業を動かす事はできないからだ。

ただ、私が各相手にあまりに色々求め過ぎたし、その時々の声に敏感になりすぎていたのかも知れない。

自分と同じ感覚で、相手は答えてはくれない。当たり前の事なのに。。。


色々な事がありすぎ、3年前に燃え尽きてしまい、私のキャパシティではどうにもならない。力不足だと痛感し、潔くその職を退いた。今でも、やり切ったと思っている。後悔はない。


救ってくれたのは、認知症高齢者の方との関わりであった。自分の存在を認めて下さり、私自身もその人達のために生きる事ができている、と心の底から感じれた事が人間として、もはや再起不能かも知れないと思っていた私の再生を導いて下さった。

私という灰は、認知症高齢者の方のピュアな心という土壌に撒かれ、再び新しく芽を出した。そして、ゆっくりゆっくり育っている。


薬を飲まなくなって1年半くらい経つ。

おかげさまで、仕事も施設介護から訪問介護職に復帰し、自分の得手でメンタルは安定してきた。

人生リハビリは経過良好である。


昔、施設管理者だった頃に、先輩管理者から言われた言葉がある。

『ハルさんって、戦車のように突き進んで、どんどん片っ端から仕事を片付けて解決していくよね。いい意味で。』

最初は、大柄な私に対するセクハラか?!とも思ったが…彼は私なんかよりずっとずっとピュアな心の持ち主で、フェミニストであり、差別的発言をするよしもない人格者であった。

あくまでも業務遂行能力に対する発言であったらしい。

言い得て妙というか、腑に落ちた。

人が手のひら返しや理不尽な事をすると、必要以上に感情的になり、何が何でもやり抜いてやる!となる。意地になり、必死になり、周りが見えなくなってしまう。そして、最悪の事態を予測しながら、リスクヘッジをしながらも、『ええいっ、ままよ!』と前にひたすら突き進む。

そういう意味では、確かに戦車かブルドーザーか、と苦笑する私。

褒め言葉だと解釈しているが、ある意味何かあれば刺し違えてもやってやる、という闘う姿勢を貫き、スイッチが入ると途端に無謀かつ刹那的思考に捉われてしまう、私に対する警鐘でもあったのかも知れない。


かかりつけ医のR先生が以前、こう話して下さった。

『ハルさんは仕事柄不安に思う「癖」がついてるから、それをなるべく取るように、同じ思考の「癖」を辿らないように、日頃から意識をすると少し違ってきますよ。』

癖、か…。

何となくだが、またまた腑には落ちる。

なるべく同じ思考回路を辿らないようにする。

そのためには、逆説を考察したり、いつもと違う選択肢を選んでみる。最近は、これで非常にうまくいくようになった。


心が灰になった3年前、別のクリニックにかかっていたが、その先生が、あんまりにいい加減な感じで無責任にヘラヘラ笑いながら、

「大丈夫、大丈夫。だってハルさん、今日も生きてるじゃん。」なんて言うのがどうしても嫌で、嫌悪感しか無くなってしまった。

開設したばかりのR先生のクリニックへの紹介状を書いてもらい、変更した。

R先生とは、まだ2年くらいの関わりだけれども、とても理論的で哲学的で、私にはわかりやすい。

本当の頭の良い人は、その人に合った示し方をする。R先生はまさに私の何故?と思う気持ちに、欲しい言葉をダイレクトに下さる。少し話せば、内容や私が何を言わんとしているかさえも、すぐ理解して下さる。

医者と患者なのに、病気の話を説明して下さっていたかと思えば、アフターケアとして思考回路の話から経営や人を動かすためのポイントのアドバイスから、まるで経営者の先輩後輩のように会話をして下さる。

勿論、私なんかより海千山千渡って来られているだろう。同い年とは思えない程に、精神的に成熟された方である。リスペクトする人の一人だ。


私も、丸ごと狂信的にR先生のアドバイスを受け入れるのでは勿論なく、自分にすぐに活かせる内容から取り入れて、あとは家でお風呂に入りながら、珈琲を飲んでまったりしながら、こんな話だったなぁ、なんて思い返して頭の中を整理している。

何か引っかかる事があれば、R先生に相談してみる、という形になり、冷静に次の一歩を踏みやすくなった。


なるべく、淡々と過ごそう。そう思う。

感情的にならずに、理論的に。

必死にもがくのではなく、やれる事を余力を持ってやる。


…そう思うのに、何かあると引っかかる。

そりゃそうだよね、それで上手くやれてりゃ人間誰しも苦労なんてしないわな。


一人、苦笑しながら、今日も私は認知症高齢者のキラキラした瞳を見て、癒され、ここに存在できる価値を見出している。


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